第32話 思い出の少女は言った「結婚しよ?」


 それは、とある夏の日のこと。

 せっかく家族で遊園地に訪れたというのに、相良優斗の父親と母親は口喧嘩ばかりしていた。

 園内を自由に遊べるパスポートだけ渡されて、優斗はひとりで遊んで来いと放り出される。


『……つまんな』


 広々とした敷地にいくつものアトラクション。小さな子供からすれば心躍る夢のような場所だが、両親からほったらかしにされて楽しめるほど能天気ではない。


 すれ違う家族連れの幸せそうな笑顔を見るたびに優斗の心は荒んでいった。

 どうして自分だけ、何度もそう思ってしまう。周りの子供たちが当たり前のように享受している愛情とやらを優斗はどうしようもなく求めていた。


 だからだろうか。

 

『……ひっく、ぐすっ……お母さんどこぉ……』


 笑い声が溢れる人混みにそぐわず涙を流す女の子を見て、つい声をかけたくなった。


『どうしたの』

 

 優斗が聞くと、女の子は涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげた。


『……お母さんとはぐれちゃった』


 大方予想通りの答えが返ってきて、優斗は憐れみの目を向ける。

 詳しく話を聞けば、母親と二人っきりで遊びに来たが、ふとした瞬間に離れ離れになってしまったらしい。とある事情で迷子センターは控えるように言われているようで、頼れる人もおらずただひたすらに泣いていた。というのが背景だ。


『待ち合わせ場所とか決めてないの?』

『……決めたけどわすれた』


 まさかの回答に優斗は呆れてため息をついた。

 携帯も持っていないようだし、連絡を取る手段は途絶えている。


『迷子センターが一番楽なのに……』

『お母さん、有名人なの……だからダメって。あっ、いまの内緒だよ?』


 ようやく誰かと話せて、しかもそれが自分と同じくらいの子供とあって、女の子は鼻声ながらも饒舌に語った。

 と思えば急に肩を落として不安げな顔をする。


『……お母さんどこにいるのかな』


 涙は止まったようだが、状況が好転しているわけではない。


『一緒に探そうか』

『……いいの?』

『いいよ。俺ひまだし』


 優斗が手を差し伸べると、女の子はパッと表情を明るくした。


 一人で遊園地を徘徊するよりは、目的を持って歩き回るほうがまだ有意義な時間の使い方だ。

 優斗としては人を助けるついでに暇を潰せるので一石二鳥となる。


『おなまえは?』


 迷える女の子は見知らぬ男の子を頼ることにした。


『相良優斗』

『……さがら、ゆうとくん……なんて呼べばいい?』

『なんでも。てきとーで』


 どうせ今日この限りの関係だ。

 名前も顔もすぐに忘れてしまうのだから、特に深く考える必要はない。

 

『じゃあ……ゆうくん』


 やけに距離を詰めてきた女の子に、優斗は少し動揺した。

 涙が枯れた目はひどく腫れているが、よくよく見れば整った顔をしている。


『そっちは?』

『ん?』

『名前だよ名前』


 優斗が聞き返すと、女の子はわずかに口角を上げた。


『ひより。天瀬、日和』


 そう名乗った彼女には可愛らしい微笑みが浮かぶ。


『日和って呼んで?』

『……ん』


 相良優斗と天瀬日和はこうして出会った。


 二人で遊園地を歩き回るが、目当ての人物は見当たらない。


 長い黒髪、世界で一番綺麗、身長が少し高い。

 容姿については特定に至る情報が得られず、ただひたすらに白いワンピースを探していた。


『……見つからねえ』


 優斗と日和は園内をぐるっと一周して、また同じ場所に戻ってきた。


『お母さん、日和を置いて帰っちゃったのかも……』


 どうにかして優斗は励ましの言葉をかけていたが、足が疲れてきたこともあって日和はすっかり弱気になってしまっている。


『子供置いて帰る親なんていないだろ……多分』


 優斗が断言できずにいると、日和はますます気を落とした。

 二人きりで見つけるしかないというのに、子供の力だけではどうしても限界がある。


 優斗は休憩がてら何気なく空を仰ぎ、夏の太陽の眩しさに目を細めた。まだ夕暮れ時には早く、雲一つない快晴が広がっている。そこでは鳥が翼を広げ、自由気ままに飛び回っていた。


――空から見下ろせたら楽なんだけど……。


 そう考えて、優斗は視線を前に向けた。

 たった一つ、思い当たる方法がある。子供が空から地上を見下ろす方法を優斗は知っていた。


『日和、まだ歩けるか?』

『歩ける……どこか行くの?』


 優斗は天高くそびえ立つアトラクションを指さす。


『観覧車に乗ろう。そうすれば遊園地内を一気に探せる』


 その提案に、日和は少しためらう素振りを見せた。

 しかしややあってからおずおずと頷き返す。


『うん、わかった』


 二人はすぐに観覧車へと向かい、係員の案内でゴンドラに乗り込む。

 幸い年齢制限や身長制限はなく、子供だけでもアトラクションを利用することができた。


『やっぱりこっちのほうが効率いいな』


 ゆっくりと空に近づくゴンドラからは、遊園地内どころか遠くの町まで一望できる。

 あまりに高くまで行き過ぎると人の見わけがつかなくなってしまうので、日和の母親を見つけるなら今このタイミングか、一周回って地上へ近づくのを待つしかない。


 新たに得られた情報として、麦わら帽子とサングラスを着用しているらしい。

 それだけ特徴があれば探しやすいが、今のところはそれらしき人物が見つからない。


『……日和?』


 肝心の日和が座ったまま俯いているのに気付き、優斗は声をかけた。

 日和は顔が強張っていて、膝の上で組んだ手が震えているように見える。


『もしかしてお前、高いとこダメ?』

『……ダメじゃないけど、苦手かも』

『そういうのは先言えって……無理すんなよ』

『だって、お母さんと早く会いたいから……』


 そう言われてしまうと責めることができない。

 しかし一向に外を見ようとしない辺り、高所恐怖症とは言わずとも心配になってしまう。


『これでも舐めとけ』


 優斗が差し出したのは、いちご味の飴玉だった。

 日和と出会う前、暇つぶしに遊んだ射的で貰った景品だ。

 そしてもう一つ、ポケットに手を入れると固い感触が甲に当たる。


『ついでにこれもやる』

『……もらっていいの?』

『うん。俺は使わないから』


 同じく射的で手に入れた髪飾りを、優斗は日和に手渡した。

 女物の景品をどうしようかと余していたが、この時のために神様が選んだのかもしれない。

  

『どう? 似合ってる?』


 日和は早速、髪飾りを着けた。

 艶のある黒髪に青色の蝶々が留まり、夏日に照らされて美しく光る。

 

『……いいんじゃね』


 優斗は素直に感想を伝えられず、ぶっきらぼうに言葉を返した。


『ありがとう』


 日和は嬉しそうに笑顔を浮かべてお礼を述べる。


「お母さんね、すごく忙しい人なの。じょゆう?っていうお仕事やってて」


 飴玉と髪飾りで落ち着いたのか、日和は母親の話をし始めた。


「あまり会えないんだけど、すごく優しくて……」


 優斗が知っている母親像とはかけ離れたそれは、羨ましくて妬ましくて複雑な感情だった。

 

「母さんのこと好きなんだ」

「うん!」

「……それじゃ、早く探さないと」

「そ、そうだね」


 優斗は立ち上がって園内を見渡すように探し、日和はおそるおそるチラッと窓の外を覗き見る。

 ときどき優斗が正面を向くたび日和とぴったり目が合った。すると日和は照れくさそうに微笑み、優斗は決まって目を逸らす。


『見つからないな』

『……見つからないね』


 ゴンドラが地上に近づき、再び道行く人の姿がはっきりと見えるようになった。

 

 半ば諦めながらも二人は広大な敷地からただ一人を探し続ける。


『……なあ、あれ』


 優斗が見つけたのは麦わら帽子を被り、サングラスを着用した白いワンピースの女性だった。日和が言っていた特徴と完全に合致するうえ、必死に誰かを探している素振りが見て取れる。


『お母さん!』

 

 案の定、その人物は日和の母親だった。

 しかしそこで優斗の作戦に重大な欠陥が発覚する。


『……どうやって合流しよう』


 大前提として、観覧車は一定の速度でしか動かない。途中で降りることはできず、地上に到着するのを待つ必要がある。そして、日和は連絡手段を持たない。つまりは観覧車内で母親を見つけても、それを伝える術がないのだ。


『お母さん、日和ここだよ! こっち見て!』


 出来ることはただ、こちらに気付いてくれるのを祈るのみだ。


『あっ』


 観覧車が一周する直前、日和の口から息が漏れた。

 親と子の絆があるとすれば、いま目の前の光景をいうのだろう。


 ゴンドラから降りてすぐ、日和は待っていた母親に抱き着いた。

 奇跡的に視線が重ならなかったら、まだお互いを探していたかもしれない。

 

『初めまして、天瀬春香あませはるかと申します』


 日和の母親はサングラスを外し、妖艶に口元を緩ませた。

 その素顔を見た瞬間、優斗は不思議な魅力に釘付けとなってしまう。


 日和が世界で一番綺麗と称したのは過大評価でも身内びいきでもなく、正当な表現だと思わず納得してしまうほどには麗しい。有名人だと言っていた通り、芸能界に疎い優斗でも見覚えがある気がした。

 美人という言葉はこの人のためにある。そう優斗は子供ながらに感じた。


『日和と一緒にいてくれて、本当にありがとうございました』


 娘と背丈の変わらない少年に向かって、春香は深々と丁寧に頭を下げた。

 それっきり優斗は春香と目を合わせられず、声も顔も朧げに記憶することとなる。


『ねえ、ゆうくん』


 別れ際、日和は優斗の名前を呼ぶ。


『もしいつか、ゆうくんと日和が再会したらさ』


 そんなあり得るはずのない前置きがあった。


『その時は……私たち、結婚しよ?』


 

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