第28話 美少女は言った「なんでもない」


 優斗と日和とアイ。三人の日々は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

 再放送の映画をテレビで見たり、気まぐれに夜の住宅街を散歩してみたり、休日に川の字でお昼寝をしたり。

 なんてことない日常を過ごしているうちに、加速度的な早さで一日が積み重なっていく。


 五月も中旬に差し掛かったある日、優斗はサルビアの施設長室を訪れていた。

 

「……あれ、いない?」

 

 名前を名乗り、ノックしても返事がない。

 うめから呼ばれて来たのだが、当の本人は不在のようだった。


 優斗は廊下で待つか中に入るかを迷い、数秒の思考後に扉を開ける。


――やっぱりいないか。


 声とノックが聞こえてないわけではなかった。

 仕方がないので優斗は室内で待つことにする。


――写真多いよな……。


 この部屋には一度だけ来たことがあるが、壁面に飾られている写真の量は十や二十を軽く超えていた。

 前回はじっくりと見る機会がなかったものの、この際待ち時間にひとつひとつ眺めてみる。


――子供の写真ばっかりだ。


 映っているのはおそらくサルビアの児童たちだろう。見知った顔がちらほらと確認できる。そのなかにアイの姿もあった。そして、もう一人。見間違いようがないが、見逃してしまいそうな人物が優斗の目を釘付けにした。


「……これ、天瀬か?」


 現在と比べて一回りも二回りも幼いが、面影は確かに存在する。整った顔立ちは日和そのもので、左頬の泣きほくろも同じ位置だ。今よりも髪は短く、肩下あたりで切り添えられている。

 写真に映る日和はアイよりも成長していて、中学生よりは幼く見えた。十歳前後といったところか。カメラ目線の満面の笑みが眩しく、瑞々しい。

 

「隣にいるのはうめさんだよな……」


 うめは今と変わらず人の好い、しわくちゃな微笑みをたたえている。


 日和とアイが出会ったのは今年の三月と聞いていた。

 しかし目の当たりにした写真は明らかに数年前。日和とうめ、広く括ればサルビアとは古い付き合いだと示している。


 ただ優斗にとって、それよりも気になることがあった。


「……どこかで見たような」


 記憶の片隅に、薄っすらと朧げな人影が見え隠れする。

 顔ははっきりと思い出せないが、同じくらいの背丈の女の子と過去に大切な約束をしたような。

 

――あれは確か……。


「あら……お待たせしちゃった?」


 振り向くと、うめが扉を開けて申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「大丈夫です。俺が早く来ただけなんで」


 時計を見れば、まだ約束の時間になっていない。

 それでもうめは腰を低くして謝り、ソファに座るよう促した。


「子供たちがなかなか離してくれなくてねぇ……」


 その語り口からは嬉しさが隠しきれていない。

 うめは緑茶と茶菓子を差し出しながら、先ほどまで優斗が立っていた場所を見る。

 

「気になる写真でもあったのかしら?」

「……いや、まあ」

「わかった。日和ちゃんを見つけたのでしょう」

 

 図星を突かれて、優斗は苦笑いを返した。

 それを肯定と受け取ったうめが、昔を懐かしむように写真を眺める。


「天瀬はサルビアにいたんですか?」

「あらぁ? 日和ちゃんからはなにも聞いていないの?」

「はい。お互いに昔話とかはしないんで」


 仲が悪いとか、そういう理由ではなく、ただ単に過去を語る機会がないだけ。優斗と日和が二人きりになる時間は決まって登校時間とアイが寝た後の時間。言葉を交わすことはあっても必然的に学校の話かアイの話になる。


「もう十年前くらいになるかしら……とにかく日和ちゃんが今よりもずっと小さいときから私たちは浅からぬ縁があります」


 日和とのツーショットを遠い目で見ながら、うめはしみじみと語った。


 幼い頃に家庭の都合でサルビアへと預けられたこと。

 昔はアイに負けず劣らず明朗快活な女の子だったこと。

 最近になって久々に施設へ顔を出してくれたこと。


 特に幼少期の可愛らしさについて力説され、優斗としては反応に困る。


「ちょっと待ってね。多分、奥の書斎にアルバムがあるはずだから……」


 うめは本題そっちのけで日和の話に夢中になっていた。

 ゆっくりと腰を上げて、見つけてきたアルバムを机に置く。


 すると、この場合はタイミング悪くといっていいだろう。


「日和です。うめさんいる?」


 ノックと同時に遠慮なく扉が開いて、日和が姿を現した。

 

「あれ、まだ相良さんいたの……って、そのアルバムは……」


 瞬時に状況を理解した日和は大慌てでテーブルに駆け寄る。

 うめと優斗の間に割って入り、半ばふんだくる勢いでアルバムを抱きかかえた。


「まさか、相良さんに私のこと話したの?」

「サルビアとの縁を簡単に説明しただけよ」

「……なんで勝手に言っちゃうかな」

「ごめんなさいね、つい興が乗っちゃって。でも、隠してるわけじゃないでしょう?」

「それは……そうだけど」

 

 納得がいかない様子で日和は口を尖らせる。


「相良さん、変な話されてないよね」

「変な話は……されてないと思う」

「本当に?」

「ほんとに。小さい頃の天瀬が可愛いって話ばっかだったし」

「……じゃあいいや。はい、この話はここで終わり」


 むず痒そうな表情を浮かべた日和は、アルバムを元の場所に戻してから優斗の隣に座る。


「うめさん、お喋りばっかで面談してないでしょ」

「あら、もうこんな時間」

「私の番も控えてるんだから……この際、私たちは二人まとめてでいいよ」

「そうね、そうしてもらおうかしら」


 二人のいう面談こそ、優斗が施設長室に呼ばれた理由だった。

 

 サルビアでは月に一度、施設での生活について子供たちに話してもらう機会を設けているらしい。

 好意的な意見、楽観的な声だけならそれでいい。しかし、大勢の子供たちが共同生活を営んでいる以上、少なからず小さからずの不平不満を抱えている場合だってある。そういった心の内に抱えたもやを聞き出し、改善に努めることでより良い生活を目指すというわけだ。


 面談には必ずうめが同席すると聞くので、子供たちに対する愛情と情熱が窺える。


「それでは面談を始めましょう」


 仕切り直しといったように、うめは居住まいをただした。


「いきなりだけど、アイとは上手くやれていますか?」

「はい」「うん」


 ほぼ同時に即答があり、うめは満足そうに微笑む。


「聞くまでもなかったですね。相良さんと日和ちゃんのことは、アイちゃんがよく話してくれます」


 それからは簡単な質問が続いた。

 施設内で困っていること、求めていること、提案したいこと。

 日和は口数が多かったが、優斗は最低限しか喋らなかった。


 そうしてすぐに面談が終わり、うめはまた雑談を始める。


「あと一週間と少し……時間が経つのは早いわねえ」


 アイの親代わりを頼まれたのは六月二日まで。詳細に分刻みで時間を伝えられたが、正確な数字までは覚えてない。特に気にする必要はないだろうと、優斗は与えられた役割に徹していた。


 そんな生活も終わりまでの日々を数えるほうが早くなっている。


「アイとたくさんの思い出を作ってあげてね」


 施設長室の扉を閉めて、優斗と日和はお互いに聞こえない程の小さなため息をついた。


「……ほんと、あっという間だな」

「……そうだね」


 二人は特に会話をすることなく廊下を歩く。

 アイはまだ施設の友達と遊んでいる途中のはずだ。とりあえず部屋に戻って、洗濯物の取り込みや夕食の準備。頃合いを見てアイのお迎え。そんな予定を頭の中で組み込む。

 

「ねえ、相良さん」

「ん?」

「……ごめん。なんでもない」


 日和はぎこちなく笑ってごまかした。


――やっぱりどこかで……。


 聞き返すこともできた。聞きたいこともあった。

 けれども優斗は、あえてそれをしなかった。

 自分自身で思い出さなければいけない、そんな気がしたからだ。


 代わりに優斗は別のことを聞いてみることにした。

 

「天瀬って昔、サルビアにいたのか?」


 玄関の扉を開けていた日和の手が不自然に止まる。

 それがら数秒の間があって、振り返ることなく返事だけがあった。


「どうして知ってるの?」


 質問に返す質問。

 それは日和の肯定を意味していた。


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