第27話 幼女は言った「おつかいしたい!」


 風邪を引いたアイは、翌日には完治して復活していた。

 騒がしい一日がまた戻ってきて、元気いっぱいな幼女が笑顔をふりまく。


「パパとママにお礼したい」

 

 アイがそう言いだしたのは、優斗と日和が学校から帰宅してからだった。

 

「お礼?」

「うん。かんびょうしてくれたから」

「それならアイが元気になったのが一番のお礼だよ」

「そうなの?」


 日和が頷くと、アイは満更でもなさそうに笑う。

 しかし、それとこれでは話が別だった。


「でもお礼したい」

「うーん……どうするパパ」

「部屋の掃除とか手伝ってもらえば?」

「アイ、そーじきできるよ!」

「この前、コードに引っかかって転んでたでしょ」

「……そうだっけ?」

「とぼけないの」


 日和としては、少しでも危なっかしいことはやらせたくないようだ。

 

「……おつかいしてみるか?」


 優斗の提案に、二人は正反対の反応を見せた。

 アイは目を輝かせて激しく頷き、日和は明らかに怪訝な表情をしている。


「おつかいしたい!」


 はいはいっ、とアイは手を挙げて主張した。

 もともとスーパーに買い出しへ行った際、おつかいの話はしている。本人のやる気は十分で、いつでも任せてほしいと胸を張っていた。


「ひとりで行かせるの怖くない?」


 早とちりにして外出用のポーチを探すアイを尻目に、優斗だけに聞こえるよう小さな声で耳打ちをする。

 ちょうどいい機会だと思って優斗は口を出したが、日和としては案の定、心配の気持ちが勝つらしい。


「後ろからこっそり追えば安心だろ」

「……はじめてのおつかい的な?」

「そんな感じ。近場で簡単なおつかい頼もうぜ。そうすりゃアイも喜ぶ」


 優斗の説得を聞いて、日和は眉尻を下げて息を吐いた。

 一応は納得したが、不安は拭えない。そんな様子だ。

 結局は着々と準備を進めるアイを見て、諦めたように買い物メモを用意する。


「いい? 知らない人には?」

「ついていかない」

「信号は?」

「まもる」

「無駄遣いは?」

「しない」


 玄関の上がりかまちを隔てて、日和とアイは注意事項をひとつひとつ確認していく。


「よし、じゃあおつかい頼んだ」

「うん、まかせて!」


 すべての問答を終えてから、日和はアイを送り出した。


「いってきまーす!」

「いってらっしゃい……はい、後に続くよ」

「待て待て、まだ早いって」


 事前に連絡をしておき、サルビアを出る前にうめが足止め。その間に優斗と日和が尾行の準備をすることになっている。


「……これ、本当にバレないかな」

「少なくとも変質者ではあるかも」

「私たち見てアイが逃げ出さなきゃいいけど……」


 二人は適当なアウターと帽子を着用し、なぜあるのかわからないおもちゃのサングラスをかけた。

 

 簡単な変装を施してから、急いで部屋を出る。

 するとエントランスで立ち話をするアイとうめの姿を捉えた。

 

「よかった、まだエントランスだ」

「なに話してるんだろ」

「アイの声大きいから聞こえるんじゃない」


 廊下の角に隠れて聞き耳を立てると、はっきりと会話が認識できた。

 

「それでね、パパがおんぶしてくれたの」

「あらぁ、それはよかったわね」

「うん、ママもたくさんよしよししてくれてね?」


 どうやら今の話題は優斗と日和が中心で、二人の頬がわずかに緩む。

 他にもテレビの話とか、遊びの話とか、お風呂の話とか。とにかくアイが話したいことをたくさん喋り続け、うめはそれをうんうんと楽しそうに相槌で返していた。


「……全然話し終わらないけど」

「おしゃべりな奴だからな……おつかい忘れてたりして」

「そんなことある……?」


 見守っている側としてはむず痒い状況だ。

 ときどき廊下を通る施設の子供に話しかけられるので、そのたびに内緒でお願いと頼み込む。


「あっ、うめさんが俺たちに気付いたっぽい」

「ちょっと申し訳なさそうに笑ってる。これ多分、うめさんも話に夢中になってたね」


 うめが自然とおつかいに話を持っていき、アイは慌てたように駆け出していく。


「私たちも行くよ」


 その後ろに日和が続き、優斗も背中を追った。


「長話になっちゃった。ごめんなさいね」

「帰ったらまた話聞いてあげて」

「そうしましょう。楽しみにしているわ」


 うめに送り出されて、三人は少し距離を開けながら目的地へと向かう。

 おつかいはサルビアから徒歩十分の八百屋でいくつか野菜を買うように頼んだ。少なすぎず多すぎず、アイが持ち運びやすいようにとの配慮がうかがえる買い物メモは、日和が冷蔵庫の中身と相談しながら頭を捻らせ考えたものだ。


「本当に一人で大丈夫かな……」

「天瀬は心配性だな」

「だって……心配にならないの?」


 日和は不安げな表情で首を傾げる。

 

「心配してないわけじゃない。でも、俺らが目を離さない限りは大丈夫だろ」


 答える優斗は安心させるように呟いた。

 そうしてようやく心が落ち着いたのか、日和は静かにアイの小さな背中を見守った。


 可愛い子には旅をさせよというように、時には自立した経験を積むのも大切だ。

 それと同時に、旅に危険は付き物という言葉もある。

 

「ワンっ! ガウっ!」


 正面からやってきた散歩中の大型犬が、アイに興味を示して吠えたてる。飼い主が持つリードを引っ張る勢いで、どうにか近づこうとする動きを見せた。もし嚙まれでもしたら、傷を負うのは間違いない。

  

「大丈夫かなあれ」

「飼い犬なら大丈夫」

「アイ、怖がってなければいいけど……」


 その心配は程なくして杞憂となった。


「……そういえば、犬が一番好きって言ってたっけ」


 距離が離れているので会話は聞こえないが、アイは飼い主となにやら話をしてから大型犬を触らせてもらっていた。

 犬もアイを気に入ったようで、顔を擦りつけたり、足をベロで舐めたりと好き放題している。


「帰ったらすぐ風呂入れないと」

「私も同じこと思ってた」


 飼い主と大型犬と別れてから、アイはY字に差し掛かった。

 そこで軽快だった足取りが止まり、右と左を交互に見始める。


「左。左だからね」

「地図書いてたじゃん。間違えないって」


 買い物メモと一緒に、日和は手書きの地図を渡していた。

 そのひと手間が功を奏し、アイは花柄のポーチから一枚の紙を取り出す。


「そうそう地図見て……ってすぐ仕舞っちゃった」

「買い物メモのほう出したんだろ」

「……ほんとだ、もう一枚出てきた」


 無事に二択を正解したアイは残る直線をスキップで進む。

 そのあまりに元気で明るい姿に、優斗と日和は顔を見合わせて笑った。


「ここまでくればもう安心だな」

「アイは賢いからね。買い物は問題ないはず」

「まあ間違えてくれても面白いからよし」

「その場合は今晩のメニューが変わるよ」


 五歳児にしてアイはひらがら、カタカナの読み書きだけでなく、簡単な文章なら書けるようになっている。それでも年相応に漢字は難しく、読めない商品表記だと戸惑ってしまう可能性があった。特に行きつけのスーパーはふり仮名がなく、おつかいで頼むには向いていない。

 そこで優斗と日和は商品名がひらがなで統一されている近所の八百屋を選んだのだった。


「あっ、店主さんと話してる」

「どっちも声でかいから会話筒抜けだな」


 アイと店主は顔見知りのようで、他の客がいるというのにお喋りに興じている。

 客も客たちでいつものことだと気にせず、各々で勝手に買い物をしていた。


「そうだ。うちの看板犬のポチ、覚えてるだろ? アイちゃんが気に入ってたやつ」

「ポチ?」

「そうそう。訳あって娘に一年くらい預かってもらったんだけどよ。その娘が実家に帰るって言い出すもんで、ついさっき散歩しにいったんだよ。いやー、アイちゃんに会わせたかったな」

「ポチなら、さっきのワンちゃんといっしょのなまえだ」

「おーう、じゃあうちのじゃねえか? こーんくらいの白い犬」


 両手を広げてサイズを示す店長が言う特徴と、ここまでの道中でアイが戯れた大型犬の特徴は一致している。

 しかしアイは記憶にないようで、不思議そうに首を傾げていた。


「何回か遊んでたけど覚えてねえ?」

「うーん、はじめましてだとおもう」

 

 食い違う会話に八百屋の店長も首を傾げる。

 二人して顔を傾ける様子を、周りの客は微笑ましそうに笑っていた。


「まぁー、こまけぇことはいっか。アイちゃん、今日はおつかいなんだろ?」

「うん。にんじんときゅうり……あと、こまつなたのまれた」

「よーし、そんじゃあおっちゃんが新鮮で美味しいやつ見繕ってやろう」

 

 張り切って腕まくりをする店主に、アイは礼儀正しくお礼を言う。

 

「ちゃんと買えそうだね」

「……なんかおまけしてもらってね」

「あー……そういえば、あの店主さんいつも多めに持たせてくれるんだった」

「ビニール袋パンパンだけど、アイの力で運べるか?」


 もしもに備えて、二人は助けにいく準備をする。ただその必要はなかった。


「よいしょ」


 念のため二重にされたビニール袋をアイはひょっと両手で持ち上げた。そのまま一歩、二歩と歩き始める。


「意外と力持ちみたい」

「だな」

 

 その後は何事もなくアイはサルビアに帰ってきた。

 ギリギリまで見守ってから先回りした優斗と日和に迎えられ、はじめてのおつかいは無事に成功となった。


「アイえらい?」


 看病のお礼という建前を忘れたのか、アイは純粋に称賛を求める。


「えらいえらい。おつかい完璧にできたね」

「ありがとな、助かったよ」

「……えへへぇ」


 二人から頭を撫でられて、その顔に緩み切った笑みが浮かんだ。


「またおつかいたのんでもいいよ?」

「そうだね、考えとく……ってことで、お風呂入ろっか」

「おふろ? まだ夜じゃないのに?」

「途中で犬と遊んだでしょ。べとべとだから洗っちゃいな」


 そこまで言って、日和ははっと口を塞いだ。


「なんでワンちゃんのことしってるの?」


 アイからすれば当然の疑問だった。

 家で待っていたはずの母親がどうして道中の出来事を知っているのか。


「……服に毛がいっぱいついてる」

「すごい、ママってたんていさんかも」

「あははー……ある意味そうかも」


 探偵というのは言いえて妙かもしれない。得られた結論は推理ではなく尾行によるものだが。


「さーっ、全身あわあわにしてやるぞー」

「きゃーっ、あわあわにされるぅ!」


 楽しそうに早めのお風呂へと向かう日和とアイを、優斗は軽く笑いながら見送った。


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