第17話 美少女は言った「やるじゃんパパ」
「パンダだぁ!!!」
チケットを買って入場ゲートをくぐってからすぐアイは歓声を挙げた。
来園客を出迎えるのは黒と白の体毛が特徴的なジャイアントパンダ。中国を代表するこの動物は、日本全国で十数頭しか飼育されておらず、見られる動物園も限られている。
アイは動物園を訪れるのが初めてのようで、さながら絵本の中のキャラクターが目の前に実在している心地なのだろう。
優斗と日和からパッと手を放して、一目散に駆け出していく。
「わっ……ほんとうに笹たべるんだね」
透明なガラス板に張り付くようにして、アイは好奇心いっぱいの視線を注ぐ。
地面を背にして寝転がり、両手で笹の葉を頬張る姿はあざとくも愛らしい。想像よりも一回り大きい図体は、もふもふと柔らかそうな体毛に覆われていて触り心地を確かめたくなる。ころん、と右へ左へ身体を転がすたびに、観客は黄色い声をあげた。
客寄せパンダとはよく言ったのもので、来園者がメロメロになるもの頷ける。
「パンダかわいいねぇ」
「そうだね。……あっ、アイ見て。パンダさんお水飲んでるよ」
「ほんとだ! アイも一緒に飲む!」
そう言ってまたアイはペットボトルを引っ張りだす。
「アイもパンダさんみたいに可愛いよ」
「ほんとー? えへへぇ」
日和が頭をなでると、アイの目尻がパンダのようにだらしくなく下がった。
こういう会話はお手の物なのだろう。子供の扱い方がよくわかっている。捉えようによってはキザなセリフだが、日和はすらすらと言葉にしていた。
優斗にはまだ恥じらいがあるので、見習うにしてもノートの端っこに留めておく。
「パパ、写真とって?」
しばらくパンダに見とれていると、くいくいっと微弱な力で袖が引かれた。
言われた通りにカメラを構えて、ファインダーを覗く。
「パンダさーん、こっちこっち」
ガラス板越しに手招きして呼びかけるアイに、その様子を微笑ましく見守る日和。
二人を画角に入れながら優斗もまたわずかに口角を上げた。
「パンダさん来てくれるかな?」
「どうだろ。気まぐれな性格みたいだよ」
「いっしょに写真とってほしいなぁ」
そんな願いが届いたのか、のそのそと足音が近づいてくる。
「いまっ! いまとってパパ!」
大はしゃぎのアイはちらちらと忙しなく目を動かしていた。急接近したパンダを見たい気持ちと、カメラ目線で写真を撮りたい気持ちがせめぎ合っている。それを横目にしゃがんでピースをしていた日和には自然体の笑顔が浮かんでいた。
「はい、チーズ」
タイミングを逃さずシャッターを切る。
切り取った一瞬を見せると、アイは大いに喜んだ。
「このパンダ、アイの声わかるのかも!」
「よかったね。いい写真撮れたじゃん」
「ほかの動物ともとれるかな?」
「アイが呼びかければ隣に来てくれるかもね」
「じゃあいっぱい話しかけなきゃ!」
ご機嫌なままのアイはパンダにお別れを言ってから手を伸ばす。
それがなにを求めるサインなのかは履修済だ。
左手を優斗が、右手を日和が握って三人は次のコーナーへと歩いた。
広々とした空間から一転、一本道の左右に鉄の檻が現れる。
キジ、フクロウ、ワシ、タカと鳥類が集まっていて、バサバサと激しい羽根の動きにアイは少しおびえた様子を見せていた。獲物を捕らえる眼力にあてられたのか、繋いだ手にぎゅっと力が加わる。
いつもの笑顔が絶えない姿を見慣れていた優斗は意外に思いつつ、アイを守るように身体を寄せてやった。五歳児は好奇心旺盛な年頃であると同時に、未知なる物事に恐れをなしても仕方がない。
前言撤回で写真を撮る前にそそくさと道を抜けた先、再びアイを笑顔にしたのはつぶらな瞳をしたカワウソだった。
「この子、すごくかわいいね」
浅い水辺を優雅に泳ぐ胴長短足の小動物をアイはうっとりと眺める。
薄茶色の被毛は水中で体温を保つために役立つようで、人気の一役を買っている長くて細いひげも餌を探す機能があるらしい。キュー、キュー、と特徴的な鳴き声も可愛らしく魅力的だ。
陸地では飼育員に餌を与えられて群がるカワウソの様子が見られ、アイは自分も餌やりをしたいと言ってきた。
さすがにそれは無理だと伝えると、頬を膨らませたが納得はしてくれた。
かわりに写真を撮ると満足げに次のコーナーへと足を運ぶ。
「……わぁ」
この反応はどちらだろうと優斗はアイの表情を探っていた。
グルルルルゥ、と獰猛な肉食動物の喉を鳴らす音が園内に轟く。
来客を待ってましたとばかりに悠々と陸地を歩いてるのは、黒と黄色の縞模様が目を引く虎だ。
見た目の厳つさと迫力なら猛禽類をはるかに凌ぐ。
アイは興味をそそられているのか、それとも怖がっているのか。
呆然と立ち尽くす女の子を心配していると、するりと繋いだ手が抜けた。
「虎かっこいい!」
どうやら前者の反応だったらしい。
アイはパンダを前にした時のように走り出し、物怖じせず話しかけた。
「ねーね、一緒に写真とってくれる?」
人の言葉を動物が解せる道理なく、虎は目もくれずにいる。
しかしアイは一生懸命に喋り続け、それ自体に楽しみを見出しているようだった。
「さっきアイを怖がらせないように気遣ってたでしょ」
視線は虎と意思疎通を図るアイに向けたまま、日和は優斗に話しかける。
「よくわかったな」
「相良さんがしてなかったら私がしてたから」
「……抱っこくらいすればよかったか」
「いや、十分だったよ。アイもすぐに落ち着いてたし」
一拍が置いて、ふと目が合った。
「やるじゃんパパ」
子供の前とはまた違った笑みで、白い歯が覗く。
その言葉に初めて優斗は父親としての行動を認められた気がした。
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