第16話 幼女は言った「どうぶつえんだー!」
五月一日、ゴールデンウィーク初日。
優斗はサルビアに来てから初めての休日を迎えた。
一人暮らしの最中は翌日が休みならアラームを設定せずに就寝。朝と昼の境目で目覚めて、眠くなるまで適当にだらける。ただそれだけの、だらしない生活をしていた。
しかしサルビアではそうは言ってられない。
普段はまだ布団の中にいる時間に優斗は外出していた。
電車で揺られること三十分。
葛西駅から東西線、途中駅で日比谷線に乗り換えて上野駅に着く。
「着いた!」
今日も元気いっぱいなアイが、両手を天高く突き出す。それに呼応するかのように、青空を優雅に泳ぐ野鳥が不思議な鳴き声を発した。
お出かけ日和の晴天の下、小さな足でアスファルトを駆け抜ける。
半袖のワンピースは薄い青地に花柄があしらわれ、ティアードデザインのスカートがひらひらと風に揺れた。お気に入りの髪飾りもしっかり身に着けており、癖っ毛の黒髪に青い蝶々がとまっている。
「あまり先行かないようにね」
先へ先へと行ってしまう子供に、母親が後ろから注意をする。
「……服間違えたかな」
日和は思わぬ暑さに体力を奪われているようだった。
紺色のノースリーブにタイトなデニムのロングパンツを合わせ、上から薄手のコットンワンピースを羽織っている。カーキ色のアウターは丈が長く、元からスタイルのいい日和の縦ラインを強調していた。
「上着預かろうか?」
「大丈夫、自分で持つから」
これから涼しくなると期待しているのか、日和はカジュアルなコーデを崩さずにいた。
優斗も優斗で軽装に身を包むも、早すぎる夏日を受けて額に汗を浮かべる。
目的地までの並木道を歩く間、二人はアイを見失わないよう目を見張りつつ、五月の太陽に文句を言い合っていた。
「それ持ってきたんだ」
「アイが写真撮りたいって」
「へーっ、すっかり気に入ってるね」
「撮るのも撮られるのも好きっぽい」
「そういや私のスマホでよくカメラ使ってたっけ」
首から下げた優斗のカメラを見て、日和は思い出したようにスマホを取り出す。
写真フォルダを開こうとしていたのだが、その前に遠くから声がした。
「パパー? ママ―? はやくぅ! アイさきいくよぉ!」
ぶんぶんと手を振るアイに置いて行かれないよう、優斗と日和は小走りで近づく。
「子供って元気だな」
「そのセリフまだ早いよ」
「これ以上があるのか」
「五歳児の体力舐めちゃダメ」
経験者は語るといったように、日和は苦笑した。
運動不足の優斗からしたら不穏な忠告だ。
今も同じペースで走っているのに、優斗のほうが息使いが荒い。
――情けねえな俺。
密かに体力アップを誓いながら、優斗はアイの近くまで距離を詰めた。
「ん!」
待ってましたとばかりに手が差し出される。
「……抱っこか?」
「違う、手を繋ぐの」
すでに日和とアイは手を取り合っている。
迷子を未然に防ぐためか、はたまた甘えたがりなのか。
おそらくそのどちらもであろう手を優斗もしっかりと握った。
こうして三人並んで歩いていると存外、仲良し家族に見えなくもないかもしれない。
アイはご機嫌な足取りで両手を大きく前後に動かし、うきうきルンルンといった様子だった。
そうしているうちに着々と目的地に近づく。耳を澄ませなくとも、力強い生命の鳴き声が届いた。駅前で聞いた鳥のさえずりが可愛らしいものだ。
「どうぶつえんだー!」
入場ゲートを目の前にして、アイは再び両手を挙げた。
手を繋いでいる優斗と日和もそれに釣られるので、中途半端に手が止まって気恥ずかしくなる。
アイに選ばれたのは、動物園だった。
優斗が提案した場所であり、元を辿れば透と美羅の一押しだった。
他の候補と最後まで悩んでいたが、決め手となったのはふれあい広場の存在。文字通り動物たちと触れ合えるコーナーで、アイは大層楽しみにしていた。
「……混んでるな」
「まあ、ゴールデンウィーク初日だしね」
チケット売り場には老若男女が列をなしていた。
そのなかでも、一目見るだけでわかるくらいに家族連れが多い。
「ならぶ?」
「うん、チケット買わなきゃ」
「アイのどかわいた」
「ちょっと待って……はい、こぼさないようにね」
最後尾に並んでペットボトルを差し出すと、アイはごくごくと喉にお茶を流し込む。
「ぷはーっ!」
そんな似合わない飲みっぷりで口についた水滴を服で拭った。
「服で拭いちゃダメでしょ」
「そだった! ごめんちゃい」
「次からはティッシュ使おうね」
優しく諭す日和と素直に頷くアイ。
「こらっ、じっとしてなって言ったでしょ!」
「だってー、暇なんだもん」
「お父さんにスマホ借りてゲームしときなさい」
列の少し前で同じような会話があった。
母親に怒られた男の子は拗ねてしまったようで、父親から借りたスマホを仏頂面で操作している。
周りを見渡せば多くの家族の関係性が、表情なり会話なりで見て取れた。大半は笑顔で溢れているが、そうでないケースもちらほらと。
「パパも楽しみ?」
「え?」
「動物探してるんでしょ?」
周囲を観察していた優斗にアイが問いかける。
人間も動物の一種だからとか、そういう難しい次元ではない。
アイはもっと単純に、自分と同じ気持ちだと嬉しいから聞いているのだろう。優斗が周りを見ている姿が早く動物を見ようと探しているように見えた。それだけの話。
そう汲み取って優斗はまだぎこちない笑みを浮かべた。
「そうだな。久々だから楽しみだよ」
アイに合わせた会話だったが、本心でもあった。
動物園は幼少期に一度、保育園の行事で行ったっきりだ。どのような形にせよ、家族で訪れたことはない。それだけで優斗はこの場の子供たちが恵まれていると感じ、同行する保護者は尊敬するに値した。
実際の家庭環境は知る由もないが、アイくらいの年齢だった優斗からすればうらやましい光景だった。
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