第12話 幼女は言った「はい、ちーず!」
おかえり、と迎えられ、優斗はまず荷ほどきに着手した。
「これはこっち!」
靴下をタンスへ。
「あれはあっち!」
ノートを本棚へ。
「それは……わかんない!」
電動髭剃りには首を傾げる。
優斗がキャリーケースから荷物を取り出すたびに、アイは嬉々として大げさに反応した。
寝室のタンスに洋服と下着、白シャツなどの衣類を詰め込んでから通されたのは、まだ見ぬ扉の先。そこには六畳間の子供部屋が広がっており、おもちゃや絵本を始めとした遊び道具が多く目に入った。
明らかに子供用ではない勉強机も並べられていて、それは日和が使っているらしい。本棚を借りて教材を並べると、同様の教科書が隣り合った。優斗と日和は同じ学校に通っているため、必然的に不思議な陳列になる。
そうしてキャリーケースが軽くなった頃、ゆっくりと日が沈み始め、夕食時になっていた。
荷物は少なかったが、アイに構いながらだったので、思ったより時間がかかった。ただ、迷惑だったわけではない。むしろ楽しいひと時だったといえる。
子供の相手は慣れておらず、振り回されてばかりだが、不思議と口角は弧を描く。
「これ、パパのカメラ?」
アイが特別興味を示したのは、置き場所に困り後回しにしていたカメラだった。
持ってきたのはいいものの、特に用途は考えていない。
「撮ってやろうか?」
「うんっ!」
アイは大きく頷いて、優斗から数歩離れた。
それからいくつかポージングをして、どの格好で撮ってもらうかと考えている。
その間に優斗はカメラの電源を入れた。
久々に息を吹き返し、電動音とともにレンズが光る。
最後にこのカメラで写真を撮ったのがいつだったか覚えていない。
メモリーカードには空や花、自販機に信号機など自然と人工物が入り混じるだけだ。それが優斗の日常の風景であり、何気なく写真に収めてはしばらく眺めていた。いつしか飽きてやめてしまったが、結局は一度も人を撮ることはなかった。
――上手く撮れるかな。
ピースサインをするアイに、カメラを向ける。
最初はボケていたピントが徐々に焦点を合わせ、くっきりと笑顔を捉えた。
「はい、チーズ」
懐かしいシャッター音は今も昔も変わらない。
「かわいくとれたー?」
駆け付けたアイに写真を見せると、手を叩いて喜んだ。
画角や照明など一切気にしておらず、お世辞にもカメラの腕が立つとは言えない。それでも我ながらいい写真だと、優斗は思った。
被写体がいいのだろう。場所や環境にとらわれず、その笑顔だけで一枚絵が出来上がる。
「アイかわいい?」
「……おう」
「やった!」
一度はかわした質問から逃げられず、肯定してやるとまた喜ぶ。両手をバンザイと挙げて、そっと下げた。いつでも元気なアイにしては珍しく、もじもじといじらしくなっている。目線はカメラに注がれており、明らかに気になっている様子だ。
「撮ってみるか?」
「いいの!?」
撮られる側から撮る側へ提案すると、アイはキラキラと目を輝かせた。
高性能ながら軽量化された現代の機器とは違い、古びたカメラはサイズも重さも一回り大きい。
五歳児の手のひらには文字通り荷が重いのだが、アイは両手で掲げて見せた。電源の付け方と写真の撮り方を教えて、優斗は見守ることにする。
「パパ、こっち見て?」
小さなカメラマンに促され、レンズに目を向ける。
「ポーズはー?」
「これでいいよ」
「じゃあニコって笑って!」
「えー……」
「写真とるときはニーッ、ってするんだよ」
あぐらをかいた真顔の被写体に満足できなかったのか、アイは色々と指示を飛ばした。
しかし優斗が無理に笑おうとすると、どうしてもぎこちなくなってしまう。
「……パパ、えがおへた?」
さすがのアイも口をあんぐりとさせて、呆れたような顔を見せた。
それでも写真を撮りたい好奇心が勝り、無愛想な父親の姿にピントを合わせる。
「はい、ちーず!」
――そういや、撮られるのも初めてだな。
「あっ、笑った!」
シャッターを切るのと同時に、アイが声を上げる。
笑った覚えはないのだが、一瞬を切り取るカメラの目はごまかせない。
そこには確かに、微笑をたたえる優斗の姿があった。
「いいえがおだね」
自分が撮った写真を見ながら、アイもまた満足げに微笑む。
優斗が気恥ずかしくなって視線を逸らすと、その先でガチャッと音を立てて子供部屋の扉が開いた。
「ご飯できたよー」
現れた日和はエプロンをしている。
優斗が荷ほどきをしている間、夕飯を作ってくれていたのだ。
昨夜の作り置きを使って、カレーうどんをこしらえたらしい。キッチンから食欲を誘う匂いが漂ってくる。
「ママ、こっちきて!」
「ん? 遊ぶのはいいけど、ご飯食べた後にしよ」
「ちがうの。ちょっとだけ、ね?」
可愛らしく手招きされて、日和は眉をひそめながらも言われた通りにする。
「そこに座って」
指定されたのは、優斗の隣。
こちらは少し怪訝な顔をした後、それでも素直に従った。
「はい、ちーず」
背中に隠し持っていたカメラで、アイは素早くシャッターを切る。
大して動じなかった優斗の一方で、日和は目を丸くした。
「うちにカメラなんてあったっけ」
「パパが持ってきた!」
「アイにあげたの?」
「いや、貸しただけ」
ゆくゆくはアイに譲ってもいいかもしれない、そう考えてはいた。
しかし今はまだ、年齢的に持て余してしまうのが目に見える。
もう少し成長して、その時にまだ繋がりがあったら。
そんな一人約束を優斗は心に決める。
「どうせなら三人で撮ろう」
その提案を拒む者はいなかった。
子供用の椅子にカメラを載せて、タイマー機能をセットする。
「パパ、はやくはやく!」
点滅するランプを背に、優斗はアイと日和の待つ方へ急いだ。
自然と人工物が入り混じる何の変哲もない日常が、笑顔で溢れる非日常に上書きされていく。
今日、この日から始まる家族の物語。
その一ページ目がメモリーフィルムに刻まれた。
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