第8話 美少女は言った「もしかして好きな子だったり」
髪を乾かしてから脱衣所を出ると、二人はソファに座っていた。
日和はスモーキーな色合いのTシャツと七分丈のボーダーロングパンツを着ている。シンプルなデザインながら上下で統一されており、モデル級のスタイルも相まってよく似合っていた。
さっきのことを気にしているらしく、優斗と目が合うとぷいっとそっぽを向いてしまう。
まだ身体が火照っているのか、若干頬が赤い。黒髪には水気が少々残っていて、照明の光が色っぽい艶を演出していた。
なにより目立つのはアイのパジャマで、パーカーに丸っこい耳が生えている。全身を覆うベージュの生地は季節に合わせて薄く作られていて、通気性、伸縮性ともに申し分ない。フードを被るとさながらクマのような格好になり、アイは大いに気に入っていた。
しかし、今はもうパジャマを自慢する元気がない。
「ふわぁ……」
大きなあくびが眠気を誘う。
日和の膝を枕にして、アイは半目でうとうとしていた。
まだ起きていたい気持ちとは裏腹に、抗えない睡魔が襲う。
「子供は寝る時間か」
「いつもはもう少し後なんだけど、遊び疲れたのかな」
「ずっと走り回ってたからな」
「そうね、今日は特に張り切ってた」
アイの髪を撫でる日和に微笑みが浮かぶ。
「アイ」
「……ん」
「歯磨きしよっか」
「……うん」
「抱っこするから起き上がって」
「…………ぅん」
うつろな返事が遅れてやってくる。
すでに半分は眠っている状態だ。それでもなんとか意識を保っている。
もぞもぞと身体をくねらせて、アイは日和の膝をよじ登った。
「よい、しょっ」
掛け声とともに、子供を抱きかかえて立ち上がる。
「相良さんはどうする? このまま寝るか、起きてるか」
「起きてるよ。寝るにはちょっと早い」
「りょーかい。私はアイを寝かせるから、適当にくつろいどいて」
そう言い残し、日和はアイを連れて洗面所に向かった。
普段、この時間は読書や宿題、気が向けば予習、復習に費やすのだが、あいにく今は手持ち無沙汰だ。
ソファに寄りかかり、スマホを弄って暇をつぶす。
LINEを開くと、優斗、美羅、透のグループに未読メッセージが届いていた。
放課後、二人でファミレスに寄った写真が添付されていて、『優斗いないとつまんなーい』、『それ、オレが泣くぞ』、『じょーだん。でも次は三人で遊ぼうね』とやり取りが続く。最後はネコなのかイヌなのか微妙なラインの動物がウィンクをしているスタンプで締められていた。
「美羅のやつ、このスタンプ気に入りすぎだろ」
くだらない会話に優斗もまた苦笑交じりでスタンプで返す。
すぐに返信がきて、謎の動物が今度はガッツポーズをしていた。
「面白い動画でもあったの?」
問いかけられ、スマホから目を離すと、日和がアイの手を引いている。
アイはほぼ寝ている状態で、こくこくと舟を漕いでいた。
「友達とLINEしてた」
「ふーん。それでニヤついてたんだ」
「ニヤついてはないだろ」
「そう? 口角上がってたよ」
美羅と透に呆れ笑いこそしたが、そこまで表情筋を動かした覚えはない。
「もしかして好きな子だったり」
「天瀬もそういう話するんだ」
「興味ないけど、からかおうかなって」
真顔で言われても、感情が読めず反応に困る。
「じゃあ私、アイを寝かしてくるから」
なるべく静かに小声で伝えたが、腕の中でもがくように動きがあった。
「……いっしょにねる」
閉じかけの目をせいいっぱい見開いて、アイは優斗に訴えかける。
そのまますぐにまた、夢の世界へと招待されてしまった。
優斗と日和は顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめるしかない。
「歯ブラシどこだっけ」
「洗面台の左に置いといた。コップは自由に使って」
「サンキュ」
※
寝室のドアを開けると、川の字で布団が敷かれていた。
暗がりのなかで、奥側で寝そべる日和がひらひらと手を振る。その手はもとあった場所に戻り、真ん中で眠るアイのお腹に優しく触れた。幸せな夢を祈るようにして、ポン、ポンと一定のリズムが刻まれる。
「もう寝たのか?」
「うん。それはもうぐっすりと」
「さっきのが限界だったぽいな」
「相良さんにおやすみ言うって耐えてたんだけどね」
「それは悪い。もう少し早く来ればよかった」
むにゃむにゃと幸せそうに眠りこける少女に、そっと「おやすみ」と声をかける。
「相良さんは起きててもいいよ」
「やることないし、俺も寝るよ」
「そっか」
手前側の空いている布団に横たわり、優斗はすぐに目を瞑った。
話を聞くだけ。納得したいだけ。
あとのことは知らないし、考えてもいない。
それが昨日の今日になり、成り行きで一泊してしまった。
こうして一日を過ごして、改めて違和感を覚える。
日和とアイの親子関係に懐疑的なわけではない。
背景を聞いて、実際に目にして、すんなりと腑に落ちた。
しかし、そこに自分が入る余地を見いだせない。
――本当に、俺でいいのか。
時計の針だけが進み続け、思考は延々と同じ場所に停滞する。
いったいどれくらいの時間が経ったのか。
心身ともに疲れているはずなのに、一向に眠れる気配がしなかった。
「起きてる?」
静寂を破る、透き通った声。
振り向くと、日和は背中を向けていた。
「こんなこと言うのは気が引けるんだけど……」
返事は求めていない。
ただ話したいだけ、そう受け取れる。
「できれば、アイって呼んであげてほしい」
バレていた。
隣ですやすやと眠る少女の名前を。
優斗はまだ一度も言葉にしていなかった。
なにも恥じらいがあったり、意地悪をしているわけではない。
もしその名前を呼び、あの笑顔を向けられると、いよいよ逃げ場がなくなる気がしたのだ。
「今日はありがと。いろいろわがまま聞いてもらっちゃった」
日和の独り言はそれっきりだった。
ほどなくして、すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……家族、か」
過去を顧みて、今を見つめ、未来を想像する。
ふと隣を見れば、身体を寄せ合う日和とアイがいた。
安らかな表情が、家族愛を感じさせてならない。
母親と子供、そして父親。
そんな家族関係を描きながら、優斗の意識は遠のいていった。
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