第6話 美少女は言った「なんで私より懐いてるのよ」
事情を説明すると、うめは大いに喜んだ。
それと同時に要らぬ心配をかけたが、もとより帰る家には誰もいないので問題ない。
問題があるとすれば、アイが離れてくれないことだ。
「こっちこっちー!」
アイに引っ張られるがまま、優斗は足を動かした。
一歩一歩が小さいので、バランスを崩しそうになってしまう。
「これはどこに向かってるんだ?」
「アイのおうち!」
「お邪魔していいのか」
「邪魔もなにも、泊っていくんでしょ」
アイが住む部屋に向かう道中、隣には不機嫌そうな日和がいた。
正確にはアイと日和が住む部屋なので、そこに突然男が転がり込むとなったら気を悪くしても仕方ない。実際、優斗が宿泊を提案すると、日和は大いに訝しんだ。
どういう風の吹き回しだ、と聞きたげな顔は記憶に新しい。
優斗としては、いくつか思惑があるのだが、一番は穏便に事を進めたかったからだ。
しかし、日和の虫の居所は別にあるらしい。
「なんで私より懐いてるのよ」
「俺が聞きたいくらいだ」
「まあいいわ。アイの機嫌が直ったんだし」
無理やり自分を納得させた日和が言う通り、アイはえらく上機嫌だった。
仕事が休みになった、と適当に話を合わせると、涙目だった表情が嘘のように笑顔に。
それからというものの、優斗にべったりで片時も離れようとしない。日が暮れるまで遊びに付き合わされ、この後も心身が休まるとは思えなかった。
これでは明日の着替えや準備を取りに帰るチャンスがあるかも怪しい。最悪の場合、早めに出発して朝支度を覚悟する。
「ついた!」
アイに連れられて着いたのは、サルビアの住居スペースの最上階。アパートのような建物の角部屋だった。
「どいて。鍵、開けるから」
日和が鍵を回し、扉を開ける。
するとアイが、我先にと突入した。
「ただいまー!」
「すぐ手洗いうがいしなよー」
「はーい!」
「こらっ、そっちはリビングでしょ」
バタバタと忙しない足音が、玄関から遠ざかる。
近くから聞こえるのは、呆れたようなため息だ。
「入らないの?」
「あ、ああ……」
促されるまま、優斗は靴を脱ぐ。
まず目に入ったのは洗面所とお風呂だ。その対面には、おそらくトイレがある。そして、廊下の突き当りには広々としたリビング。キッチンもスペースに余裕があり、大きな冷蔵庫とオーブンレンジまで完備されてる。扉に隔たれて中を確認できない二つの部屋は、一方は寝室だとしてもう一方は子供部屋だろうか。
目の当たりにして、ようやく実感が沸いた。
玄関に並べられた不揃いなサイズの靴。
洗面所に置かれた二種類の歯ブラシとコップ。
食卓を囲む背の高い椅子と低い椅子。
大きいと小さいが隣り合う2LDKの空間は、日和とアイが生活を共にしている揺るぎない証拠だ。
「ママっ、テレビみたい!」
「はいはい」
日和がチャンネルを操作し、アイはソファでお気に入りの番組が映し出されるのを待つ。
「これ?」
「ちがうっ」
「これ?」
「ちがーう!」
「これか」
「そう、それっ!」
児童向けのアニメを食い入るようにして視聴するアイ。
これでしばらくは大人しくしてくれるはずだ。そうでないと体力的に困ってしまう。
「適当に座ってていいよ」
疲労が顔に出ていたのか、日和が気を遣って声をかけてくれる。
その日和はというと、キッチンに立ってエプロンの紐を結び始めた。
「夕飯でも作るのか?」
「そう。アイがアニメ見てるうちにね」
「へえ。天瀬が作るんだ」
「なによ、意外だった?」
「意外というか、てっきり施設に食堂があるのかと」
児童養護施設ではたくさんの子供が共同生活を営んでいる。
共に遊び、学び、笑い合う。そんな関係性が理想とされている。
食事もその一環であり、共同スペースで食卓を囲むのが常だ。
「食堂はあるよ。サルビアの子たちはそこで食べるし。うめさんにも一緒にどうって誘われた」
冷蔵庫から食材を取り出しながら、日和は自嘲気味に微笑む。
「でも、家族ってこうじゃん? ……多分」
つまりは母が夜ご飯を作り、子がアニメを見ながらお腹を空かせる。いま目の前に広がる光景を、日和は大切にしているのだ。
「好き嫌いあったら教えて」
「ないけど。俺も食べていいのか」
「一人だけ外で食べるつもり?」
「あの子がうるさそうだな」
「そういうこと。カレー、甘口だけど我慢してね」
日和は慣れた手つきで、てきぱきと準備をする。
普段からこうしてキッチンに立っているらしい。
花柄のエプロンがよく似合っている。
「……そこにいられるの邪魔なんだけど」
「なんか手伝わせて」
「いや、座っててよ。私一人で十分だし」
そう言われても、客人の身でなにもしないのは居心地が悪い。
座して待つのは性に合わず、日和の後ろで指示を待つ。
「そもそも料理できるの?」
「一人暮らしだから自炊してる」
ふうん、と適当な相槌が返ってくる。
「じゃあ具材切ってもらおうかな」
「了解」
断るより受け入れるのが早いと判断したのだろう。
日和は立ち位置を半歩ずらし、優斗にスペースを譲る。
「気持ち小さめに切ってね。アイの口に合わせてあげて」
「こんくらい?」
「いいじゃん。あっ、ピーラーはそっちにあるから」
「……なんで子供用なんだ」
「時々、アイがやりたがるのよ」
「なるほどね。じゃあ、この型抜きもか」
「そうそう。喜ぶからやっといて」
こうしてひとつ家事をこなすにも、ひとりとは大きく違っていた。
なによりも相手を思いやる気持ちが求められる。
この場合はアイを一番に考えて、料理を作る必要があった。
必然的に包丁を持つ手が丁寧になり、普段と同じ工程でも時間がかかった。
それでも手際よく進めると、あっという間に完成へと近づいていく。
「本当に自炊してるのね」
「疑ってたのか」
「正直、冷凍食品とかで済ませそうなイメージ」
「人は見かけによらずっていうだろ」
「見かけしか知らないんだから仕方ないでしょ」
上手く言い返され、黙るしかない。
優斗もまた、日和に勝手なイメージを抱いていたのだ。
それは悪いことではない。言葉を借りれば仕方ない。
けれども、もったいないと考えてしまう。
隣を盗み見れば、日和がカレーを混ぜていた。
わずかに上がった口角から、小さな幸せが溢れている。
見かけしか知らなかったからこそ、内を覗くと様々な発見があった。
「きょうカレー!?」
跳ねるような声がする。
キラキラと目を輝かせたアイが、カウンターからキッチンに顔を出していた。
足りない身長を、椅子の上に立つことで補っている。
「もうすぐできるから座ってなさい」
「はーい!」
ギィ、ギィ、と椅子を引く音がして、アイはそこにちょこんと座った。
スプーンを片手に、今か今かとカレーの到着を待っている。
その様子を見て日和は呆れ笑いながら、空っぽの皿を暖かなカレーのルーで満たした。
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