第4話 美少女は言った「視線が怖い」
放課後、優斗は最寄り駅近くの公園に来ていた。
ベンチに座り、スマホを弄りながらその時を待つ。
「お待たせ」
昨日とは違い、制服姿の日和から声がかかった。
シャツのボタンはしっかり留められ、スカートの裾も膝下まで伸びている。大きく着崩すことなく、校則を体現している優等生っぷり。
おそらく化粧なども必要最低限でとどめているのだろう。
それでも客観的に見て群を抜く容姿をしているのだから恐ろしい。
ほかの女子高校生からすれば、羨望を超えて恨み節を吐きたくなる完成度だ。
異性である男子高校生からすると、いわゆる恋愛対象になるのかもしれない。
そういった話に疎い優斗には、いまいちピンとこなかった。
「視線が怖いんだけど」
「悪い。つい、」
「つい、なによ」
「なんでもない」
「よけい気になるじゃん」
「昨日の天瀬に同じことを言いたいよ」
「それは悪かったわね」
形勢逆転。
変なことを口走る前に、目的地へと向かうことにする。
「ここから近いんだろうな」
「歩いて十五分くらい」
「それならいい」
日和が少し前を行く形で一緒に歩く。
「…………」
「…………」
無言の時間がしばらく続いた。
世間話をするような間柄ではないし、お互いに沈黙を苦とするタイプでもない。
普段は通らない道の景色を見ているだけで暇は潰せた。
優斗が口を開いたのは、ほんの気まぐれだった。
「こっちって葛西駅のほうだよな」
「そうね」
「ここら辺に住んでるのか?」
「まあ、そんな感じ」
会話終了。
プライバシーには踏み込んでほしくないのかもしれない。
ただ、日和が葛西駅付近に住んでいるのだとしたら、最寄り駅付近で会ったことがないのも納得できる。
江戸川区は縦長の地形をしているというのに、縦断する鉄道が通っていない。北か南に進みたければバスやタクシー、自転車を使うしかなく、少し不便な交通事情となっているのだ。
優斗が住む一之江は江戸川区の中心近くであり、葛西は南寄りに位置する。
二人が通う学校は墨田区なので、それぞれ別の路線を使っているとすれば、今まで見かけないほうが普通だろう。
しかし、それならなぜ日和があの公園にいたのか。
葛西から散歩するにしては少々遠い。子供を連れているとしたらなおさらだ。
「着いたよ」
そうこう考えているうちに、日和の足が止まった。
社会福祉法人サルビア。
そう刻まれた銘板を横目に、施設の中へと促される。
「はい、おまえがおにー!」
「あっちにちょうちょいた!」
「みて―、どろだんごできたー!」
一歩前に進むたびに、元気いっぱいな声が勢いよく通り過ぎていく。
開けた敷地に出ると、たくさんの子供たちが集まっていて、走り回ったり、遊具で遊んでいたり、寝っ転がっていたりと、それぞれが自由に過ごしていた。
その多くは小さな子供だが、見たところ中学生が数人、高校生らしき人物もいる。
最初は幼稚園か保育園かと思ったものの、それにしては年齢層が幅広い。
「児童養護施設か」
「よくわかったね」
「だいたい想像つく」
「そう、なら話が早いわ」
児童養護施設とは簡単に言えば、なんらかの事情で保護者がいない児童を養護し、自立を目指す施設だ。
身寄りのない子供たちは心に闇を抱えていることが多く、精神的に安定するまで時間を要する場合が少なくない。辛い過去を上書きするにはそれ相応の幸せが求められ、曇りない笑顔を取り戻すためには他人という関係を超えて寄り添う必要がある。
だから、優斗はサルビアに訪れてまず驚きを覚えた。
施設の運動場で遊ぶ子供たちが、もれなく笑いあっていたことに。
そのなかに、アイの姿もあった。
どうやらかくれんぼをしているようで、木の後ろに隠れてひっそりと息を潜めている。しかし、じっとしてられない性格なのか、ちらちらと周りを覗いては頭が丸見えになっていた。
「あの子、かわいいでしょ?」
「なんでお前が胸を張るんだ」
ふふん、と得意げな日和は、遠目にアイの様子を眺めて頬を緩ませる。
その瞳は慈愛に満ちていて、学校とは違った一面が垣間見えた。
ここまでの道中、優斗といるときは普段と変わらぬ態度だったのを考えると、日和をこうまで柔らかくさせるのはアイがいるからだ。
二人の間に、浅からぬ繋がりがあるのは間違いない。
「そろそろ移動するよ」
「あの子に声かけなくていいのか?」
「また後で。今はこっち」
やはり優斗に対しては素っ気ない。
とっとと先に進んでしまう背中を追って廊下を歩く。
壁面には折り紙や塗り絵が飾られていて、十人十色の個性が光り輝いていた。
「日和です。入っていい?」
日和がノックしたのは、他と比べてひと際大きい部屋だった。
どうぞー、とのびやかな返事があり、扉を開けると暖かな光が漏れる。
「うめさん来たよ」
「いらっしゃい日和ちゃん……あら、もしかしてその方が?」
「そう、昨日話したクラスメイト」
「あらあら、よく来てくださいました」
しわくちゃの笑顔で出迎えてくれたのは、相当な歳を重ねているであろう女性だった。
周りには小さな男の子と女の子が集まっていて、慕われているのがよくわかる。
ここは室内広場のような場所らしく、絵本やおもちゃが自由に散らばっていた。
「初めまして、青木うめといいます。このおうち、サルビアの施設長をしているわ」
丁寧な挨拶をされ、優斗も軽く頭を下げる。
「相良優斗です」
「よく見ると男前ねえ。日和ちゃん、いい方を見つけたわね」
「別に、そういうのじゃないって」
つん、とそっぽを向く日和に、うめは穏やかな笑みを浮かべる。
それから同じ表情を優斗にも向けた。
「昨日はアイがお世話になったと聞いたわ」
「大したことはしてないです」
「そうかしら、日和ちゃんが褒めていましたよ。ねえ?」
「うめさん、余計なことは言わないで」
いったいどんな紹介をされていたのか、優斗としては気になるが教えてくれそうにない。
ニコニコと笑顔を絶やさないうめに、日和はペースを乱されているようだ。人差し指を唇にあて、目を細めてけん制する。しかし、意図が伝わっているのか、その姿を見てまたうめは口元をほころばせた。
この調子だと、二人はいつもこんな感じなのかもしれない。
そして、追い打ちをかけるように、日和の袖を引っ張る子供の姿があった。
「ひよちゃん、こいつだれー?」
見るからに生意気そうな男の子が首を傾げている。
それに続くように、子供が集まって日和を取り囲んだ。
「ひよちゃんの彼氏ー?」
「ちがっ、なんでそうなるのよ」
「だってひよちゃんが男連れてくるの初めてだもん」
「いろいろ事情があるの、あと言い方!」
「じゃあだれなのー? れんたいほしょうにん?」
「どこで覚えたのそんな言葉……」
日和はため息をつきながらも、ひとりひとり目を合わせながら接している。あちこちから声がかかり大変そうだが、それでもおざなりにしない。
ひよちゃん、と呼ばれているあたり、子供たちから好かれているのだろう。
日和からも子供慣れしている様子が見て取れて、やはり学校でのイメージからは想像もつかない。
「日和ちゃん、本当に素敵な子に育ったわね」
隣に立つうめが、感慨深そうに呟く。
その温かな眼差しは、日和がアイに向けていたものと似ていた。
「日和ちゃんのお友達、でいいのよね」
「友達、かどうかは怪しいですね。昨日、初めて話したくらいなんで」
「あら、その割には息が合っているように思えるけど」
「どこ見てそう感じたんですか」
「雰囲気、かしらねえ」
「はあ」
これは確かに調子が狂うと、うめから話しかけられて思う。
独自の空気というべきか、おおらかでゆったりとしていて、一緒にいると全てが包み込まれてしまうような。反論する気もなくなる笑顔がそこにはある。
「俺に用があるのは青木さんですか?」
「うめ、でいいわよ。みんなからそう呼ばれているわ」
「わかりました」
素直に頷くと、うめもうんうんと頷く。
そして、優斗の問いにも首を縦に振った。
「日和ちゃんからどこまで聞いてる?」
「なにも聞いていません」
「あらあら、それは困ったわね」
うめは頬に手をあて、ちょっとのあいだ考える素振りを見せた。
「ここで話すものなんですし、場所を変えましょう」
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