第3話 おてんば娘は言った「誰が貧乳完璧美少女じゃ」
新学期が始まって間もない四月の下旬。
昼休み中の教室には、すでにいくつかのグループができあがっていた。
大半は去年、同じクラスだった友達や部活の仲間と輪を作り、一部は早々に新しい友人関係を築き上げているようだ。
そして、そのどれにも属さない生徒がちらほらと。
自分の席で静かに読書をしている人、イヤホンで両耳を塞いでスマホを眺めている人、四時間目が終わるや否や廊下へ飛び出した人。
天瀬日和も、そのうちの一人だった。
――いつもひとりで飯食べてるな。
出席番号で割り振られた席順で、右前角っこの席に座る日和。背筋をピンと伸ばして箸を口に運ぶ姿は上品そのものだ。
その周囲の席はぽっかり空いており、近づこうとする者すらいない。心なしか教室の出入りも、日和の目の間を通る前側の扉からではなく、後ろ側の扉が多く利用されている気がする。
ときどき教室を出て、授業まで帰ってこない日があるので、もしかすると友達はいるのかもしれない。
しかし、運よく一番後ろの席を手に入れた優斗から見て、やはり日和は浮いていた。
こうして改めて見ると、昨日のことが嘘のように思えてくる。
アイの前で浮かべていた穏やかな表情の数々は、学校で完全に鳴りを潜めていた。
少しでも笑顔を見せれば取っつきやすいと思うのだが、本人にその気がないようでは仕方がない。
――もったいねー。
後ろから日和をぼーっと眺めながら、優斗もまたひとりで弁当を食べる。
「あれぇー? 優斗ってばなに見てるのかなー?」
いきなり両肩を掴まれ、耳元から明るい声が聞こえきた。
誰なのかわかっていながら視線だけ隣に向けると、クラスメイトの
緩く巻かれたショートの茶髪。
小ぶりな顔にぱっちりな目。
天真爛漫で愛嬌のある性格。
男女問わず人気のある生徒で、陸上部のエースとしても活躍中だ。
そんな美羅とは二年連続で同じくクラスなこともあり、こういったちょっかいが少なくない。
「優斗の視線を辿るとー? ……ふふーん、なるほど。君、天瀬さんが気になってるね」
「適当な解釈をするな。ただ視界に入っただけだ」
「悪いことは言わないからやめとこ。相手は高嶺の花だよ」
「だから、そういうのじゃないって」
「お姉さんは君の味方だから。いつでも頼ってね」
「もしかして俺の声が聞こえてないのか?」
勝手に同情し、勝手に親身になってくる新手の当たり屋に遭遇した場合、慰謝料の請求を担当してくれる弁護士はいるのだろうか。
結論、犯罪。
そう言ってくれるに違いない。
「てかお前、お姉さんとは程遠いだろ」
「あ? なんか言った?」
「それはしっかり聞こえてるのか」
優斗と頭ひとつ分の差がある小柄な身長と、良く言えばスレンダー、悪く言えばまた怒られてしまいそうな体系。
なにとは言わずとも美羅は自身のサイズを気にしているらしく、その辺の話には敏感に反応してくる。
今も優斗は性格について言及したのだが、美羅はあらぬ勘違いをしたらしい。
「誰が貧乳完璧美少女じゃー!」
「一文字たりとも言ってねえよ」
だいぶ自意識過剰な言いがかりに辟易していると、またしても肩に手が添えられた。
「お二人さんなーに話してんの?」
爽やかで伸びのある声に振り返ると、予想通り
束感を出して軽くセットされた髪型、ほのかに香るシトラスの香り、ほどよい筋肉質の身体とモテ男の要素が揃っている。眉目秀麗という言葉がよく似合い、清潔感に事欠かない好青年だ。
所属するサッカー部ではボランチとしてチームを支え、監督からの信頼も厚い。
高校入学して間もなく、席が隣だったことから仲良くなり、優斗にとって透は一番親しい友人だ。
「透じゃーん! 今日ミーティングって言ってなかった?」
「それがさあ、監督が急用で延期になったんよ。放課後練もなしだってさ」
「じゃあ一緒に昼ご飯食べよ! そっちの席空いてるでしょ」
「おっけー、弁当取ってくるから待っとって」
こうして自然と優斗の席に集まり、三人で狭い机を囲む。
去年から見慣れた光景だが、周囲からはしばしば謎メンツと揶揄されていた。
片や陸上部のエース、片やサッカー部の司令塔、残りが帰宅部の冴えない生徒だ。はたから見れば異質な三人組に映るのだろう。
「優斗、また髪長くなってね?」
「本当だー。それってちゃんと前見えてるの?」
「視界良好。二人の整ってる顔がよく映る」
「えへへーっ! 千年に一人の美少女なんて言いすぎだよー」
「だから誰も言ってねえって」
冗談で褒めたらすぐ調子に乗る。
またしても勝手に舞い上がってる美羅を尻目に、透はおもむろに優斗へと手を伸ばした。
「ちょっ、よけんなって」
「急に顔触られそうになったら避けるだろ」
「顔じゃなくて髪。変なことしないから、な?」
全く裏のなさそうな笑顔で説得され、優斗は仰け反らせた身体を戻す。
透は人間ができているので、相手が嫌がるようなことはしないと信頼できる。
これが美羅だったら全力で拒否していたかもしれない。
「やっぱり綺麗な顔してると思うなあ」
右手で前髪を持ち上げられ、隠れていた素顔があらわになる。
「どうよ美羅」
「うーん、1億点」
「決め手はどこでしょう」
「やはりギャップ萌えですかね」
「と、言いますと?」
「普段は目立たない男の子が、実は美男子だったときの破壊力がポイント高いと思います」
「なるほど。これはかなりの高順位が期待できます」
二人の視線と寸劇に耐えられず、優斗は手をはらってそっぽを向く。
「あんまじろじろ見んな」
「照れてるところもいいねえ」
「おい、透。こいつをつまみだせ」
「ぶーぶー! 私は審査員を務めているだけでーす!」
美羅は褒めてくれているのかもしれないが、反応が少し気持ち悪いので素直に喜べない。
一方で透は真面目な表情で腕を組んでいる。
「絶対髪切ったほうがいいと思うけどなー」
「俺はこれでいいの。こっちのほうが楽」
「えー、もったいなーい!」
「整えりゃ化けるって美羅も思うよな」
「思う思う。女子ウケ間違いなしだね!」
当の本人を置いて盛り上がる透と美羅は無視して、つい数分前を優斗は振りかえる。
もったいないという感想を同じように、日和に対して感じたばかりだ。
もっとも自分で自分を、もったいないなど微塵も思わないのだが。
自分の容姿に自信が持てるほど、鏡の前に立っていない。オシャレに手を出すような美意識だって欠けている。
毎日、最低限の身だしなみを整え、及第点の清潔感を保っていればそれでよかった。
優斗が強制的に話題を変え、他愛のない話をしているうちに、五時間目が始まる五分前の予鈴が鳴った。
「そうだ! せっかく透の部活休みになったし、三人でどっか寄り道しない?」
「いいね、久々に遊んでから帰るか」
美羅と透は部活動の休みが基本的に被らないため、こういった機会は珍しい。
優斗も部活には所属しているが、文化部かつ自由参加なので比較的暇をしている。普段なら、二人の誘いは断らない。
ただ、今日に限っては話が違った。
「わりぃ、俺このあと予定ある」
「うっそー!? 優斗なら来ると思ったのに」
「じゃあまた今度だな」
残念そうにする二人には申し訳ないが、先約があるので仕方がない。
その約束を取り付けた本人は、すでに次の授業の準備をして、憂鬱そうに頬杖をついていた。
「……やっぱり優斗、天瀬さんのこと見てない?」
「気のせい」
「ほんとかなぁ」
「ん? なんかあったん?」
「さっき優斗がねー」
余計な話をしようとする美羅の口を塞ぎ、その様子を透がおもしろおかしそうに笑う。
三人の関係性がよくわかる一幕に合わせるよう、五時限目のチャイムが賑やかに鳴った。
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