第2話 美少女は言った「家族になって」


「いきなりなに言い出すんだよ」


 突然飛び出したプロポーズまがいの言葉を理解できず、優斗は珍しくうろたえた。

 友人から無愛想すぎる、と不満を言われるくらいには、普段から感情表現に乏しいが、これは動揺せざるを得ない。


 それ以上に印象的だったのは日和の反応だった。


「さ、さっきのは忘れて」


 うっすらと赤くなった頬から羞恥心が見て取れる。

 初めて見た表情はとても新鮮で、つい目を惹かれた。

 学校ではクールなイメージが強いぶん、些細な一面が強く印象に残る。


「パパ!」

「それで、この子はどうすればいい?」

「よかったら適当に遊んであげて。そしたら満足する……と思う」


 なぜか歯切れの悪い答えに、優斗は首をかしげる。

 やはりおままごとをご所望なのか、アイは何度もパパと呼んできた。

 少し前の人見知りはどこへやら。今はもう隠れようともしない。

 

 こうなってしまった以上、突き放すのもはばかられる。


「わかった。ちょっとだけな」

「ありがと、助かるよ」

 

 とはいえ、おままごとなど遠い昔に遊んだっきりだ。

 野菜や食器を模したおもちゃを使って遊ぶイメージはあるが、あいにく今は持ち合わせておらず。

 どうしたものかと考えていると、小さな力で制服の袖が引っ張られた。

 

「おにごっこしよ、パパおにね!」

 

 一方的に決められて呆けていると、アイはとことこと走り去っていった。

 

「公園内からでちゃダメだからねー」

「はーい!」


 元気いっぱいな返事を聞いてから、日和はため息をつく。


「じゃ、私も逃げるから」

「天瀬もやるのかよ」

「形だけね。そうしないと、アイが拗ねちゃうの」


 そう言って、日和も優斗から距離をとる。

 

 いったいなにをやらされているんだか。

 高校二年生になって、公園でおにごっこをするとは思っていなかった。


「とりあえず、あの子に構ってあげなきゃか」


 滑り台の後ろに隠れたアイを見つけ、小走りで近づく。

 すると、キャーキャーいいながらその場を走り去る。

 しかし、その走る速度が絶望的に遅い。

 早歩きでも追いつけるんじゃないか、と思うくらいにはゆっくりだ。


「これは捕まえてもいいのか?」


 アイは楽しそうにしているが、うまく塩梅がわからない。

 とりあえずターゲットを日和に変え、その場をやり過ごそうとする。


「ちょっ、なんでこっちくるの」

「天瀬も参加してるんだろ」

「そうだけど、アイを追いかけなって」

「いや。天瀬に追いかけてもらいたいって、あの子言ってた」

「絶対言ってないでしょ」


 ベンチを挟んで相対する優斗と日和。

 優斗が右に回ろうとすれば、日和は左に回り、優斗が左に回ろうとすれば、日和は右に回る。


「なかなかやるな……」

「そっちこそ……って、違う!」

 

 ゼーハーと息をつきながら、はっと我に返る。


「ほら、アイがひとりになってるじゃん!」

「やっべ」

「さっさと行ってあげて。かわいそうでしょ」


 ベンチ越しに急かされ、しぶしぶアイのもとへと向かう。


「ま、まてまてー」


 それっぽいことを言って追いかけてみるが、アイはその場から一歩も動かない。

 さっきまではケラケラと笑いながら逃げていったというのに。これはもしかすると、放置されて怒っているのかもしれない。


「おーい、おにだぞー?」


 こういった場面でどうすればいいかわかるはずもなく、下手な演技をしても効果はない。

 ひとまずタッチしておにを交代しようかと、アイに手を伸ばしたそのときだった。


「ママとパパなかよし!」

「へ?」

「たのしそうだった!」

「はあ」

 

 なにがどう見えたのか、壮大な勘違いをしているようだ。

 日和とは今日初めてまともに喋ったくらいだし、仲良しなんて言葉とは程遠い。

 子供の感性は不思議だな、なんて考えていると、また袖が引っ張られた。

 

「つぎはいろおにやる!」


 こんな調子で、かげふみ、だるまさんがころんだと続き、今はブランコを見守る係に任命された。勢いが弱まったら背中を押してほしいらしい。

 隣にはお疲れな様子の日和が鉄柵に寄りかかり、夕暮時の空を仰いでいる。


「いつもこんな感じなのか?」

「そうね。アイのしたいように遊んでいるから」

「なるほど。そりゃ変身させられるわけだ」

「……っ! やっぱり見てたんだ」

「魔法のステッキがあれば完璧だったな」

「記憶から消して。今すぐ、この場で」


 よほど見られたくなかったのか、日和がジト目で凄んでくる。

 まあまあどうどうと収めようとするが、余計に口を尖らせるだけだった。


 一歩距離を縮める日和に、半歩後ずさる優斗。

 おにごっこ中とは対照的な構図が奇しくもできあがった。

 身長差がそこまでないので、至近距離まで顔が近づき、不本意ながらドキッとしてしまう。

 

「ちゅー?」


 可愛らしいネズミの鳴き声がして、ピタリと二人の身体が固まった。

 日和は無言でうつむき、優斗からそそくさと離れていく。その際、耳元がほんのり赤くなっているような。そんな錯覚がした。


「ちゅー!」


 気づけばアイがブランコから降りて、すぐ近くでこちらを見上げている。

 キラキラとした視線が痛い。明らかになにかを期待していた。

 

「なに言ってるのアイ」

「なかよしのしるしでしょ! アイしってるー!」

「友達とかにしちゃダメだからね」

「なんでえ?」

「なんでも」


 日和とアイのやり取りを横目に時計を見れば、二時間近く経過している。

 ちょっとだけなんてい言いつつ、なんだかんだで長いこと付き合ってしまった。

 てっきりおままごとかと思いきや、公園を遊びつくすことになったのも想定外だ。


「こんなに体動かして遊んだの、いつぶりだろ」


 体育の授業とはまた違った疲労感に、言葉にできない充実感を覚える。

 いまベッドで横になれば、ちょうどよく眠れそうな。そんなほどよい心地よさがあった。

 

「もうこんな時間? アイ、そろそろ帰るよ」

「えー、もっとあそぶー」

「明日もあるから、わがまま言わないの」


 こうして会話だけを聞けば、本当に親子なんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。

 だからなおさら、自分がパパと呼ばれていることが不思議でならない。

 結局、おままごとではなかったようだし、アイの心のうちはわからなかった。


「もういいよな」

「うん。遅くまでありがとう」


 日和は素直にお礼を言い、軽く微笑む。

 こういった柔らかい雰囲気も本来、彼女は持っているのだろう。

 学校では正反対のイメージなのが、もったいなく思えてしまう。

 

 それもまた、優斗の知る由ではない。

 今日のことは知られたくないようだし、そっと記憶の片隅にしまっておく。

 そう決めて、優斗は二人に背中を向けた。

 

「パパ、いっちゃうの?」


 待ったをかけたのは、またしてもアイだった。


「……そうね。だから、バイバイしないと」

「なんで?」

「それは、」


 日和が言いよどむ、そんな会話が聞こえた。

 この場を収めるにはきっと、それらしい理由が必要なんだろう。

 

「俺、このあと仕事があるんだ」

「おしごと?」

「そう。だからまた明日な」


 なるべく優しく声をかけると、アイはすんなりと頷いてくれた。


 おままごとならこれでいいだろう。

 そう、これでいいはずだ。


「ねえ、相良さん」


 今日はどうしてこうも帰らせてもらえないのか。

 今度は日和に呼び止められ、振り返るとやけに真剣な表情をしていた。 


 覚悟を決めたような強いまなざし。

 祈るように組まれた両手はわずかに震えている。


 優斗は息をのんで、続く言葉を待った。


「やっぱり、あなたに頼みたい」


 それがなにを指すのか、


『私とアイの家族になってほしい』


 察せられないほど鈍感じゃない。


「あれ、冗談じゃなかったのか?」

「ごめん、いまは詳しく説明できない。明日の放課後、時間ある?」

「暇だけど、用件による」

「じゃあちょっと付き合って。一緒に来てほしいところがあるの」

「どこ?」

「……それも言えない」


 日和は申し訳なさそうに目を伏せる。


 話の主旨が全く見えてこない。

 アイと呼ばれた女の子のことも、日和から家族になってと頼まれるのも、自分が置かれた状況だって。

 聞けば聞くほど、疑問が増えるだけだ。

 

 優斗からすれば付き合う義理はない。

 きっぱり断れば、それで済む。

 家族だなんて、優斗には重すぎる話だった。

 

 そうしなかった、正確にはできなかったのは、他ならぬアイの存在だ。

 期待と不安が入り混じった視線を痛いほど感じる。

 純粋無垢なその瞳が、優斗をとらえて離さない。


「今日と同じ時間でいいよな」

「来てくれるんだ、ありがとう」


 安堵の表情と、感謝の言葉が届く。


「怪しい勧誘とかだったら絶対に断るから」

「……うん」

「間が怖えよ」


 どちらにせよ話を聞くだけだ。

 このままじゃ気になって仕方がないから、詳細を聞いて納得したいだけ。

 あとのことは知らないし、考えてもいない。


「それじゃ、俺は帰る」

「明日、よろしくね」

「おう」


 約束を交わして、優斗は最後に目線を下に向けた。


「またな」

「パパ、おしごとがんばってね!」


 ぶんぶんと手を振るアイには、いったいなにが映っているのか。


 優斗も軽く手を振り返し、今度こそ公園を後にした。



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