上手なアイの育て方 ~クラスの美少女とひとつ屋根の下、五歳児の女の子を育てることになった~

高峰 翔

第1話 幼女は言った「パパ!」


 相良優斗さがらゆうとはその日、奇妙な光景を目撃した。


 六時間授業を終え、電車で片道三十分の帰路につく途中。最寄り駅近くの公園でクラスメイトを見つけたのだ。


 彼女の名前は天瀬日和あませひより

 凛とした顔立ちに長い黒髪が映える美少女だ。


 今日は体調不良で欠席と担任から聞いているが、どうやらズル休みだったらしい。もしくは具合が良くなって、散歩がてら外の空気を吸いに来たか。

 無地のシャツにジーパンとラフな格好で外出しているあたり、病人と称すにはいささか無理がある。


 どちらにせよ、ただそれだけで"奇妙"とは表現するのは大げさ極まりない。


 優斗が目を丸くして、足を止めた理由は別にある。

 

「ママー、あれやってあれ!」

「ちょっと、ママって呼ばないでってば」


 日和に向かって、満面の笑みで両手を広げる少女、いや幼女。幼稚園生か小学生低学年くらいだろうか。 

 癖っけのあるショートの黒髪に、丸っこい顔とくりくりの目が幼さを前面に押し出している。


「……俺の聞き間違いか?」


 思わず耳を疑ったが、鼓膜は正常だったらしい。


「ママぁ?」

「だから……はあ」


 純粋無垢な瞳で、あどけない表情を浮かべた女の子は、日和を何度も"ママ"と呼ぶ。

 ここまで懇願されたら、誰だって断れない。

 日和は諦め顔でため息をつき、なにやらポーズを取り始めた。 


「……変身」


 ぼそっ、と一言。

 それから両手を交差させたり、一回転してみたり、ウィンクをしてみたり。

 一通り動き終えたあと、日和の顔は遠くからでもわかるくらいに赤くなっていた。


「ぷ、プニキュア参上、山にかわってお仕置きよ」

「きゃっきゃっ!」

「なんで私がこんなこと……」


 目の前のワンシーンだけを切り取れば、若い母親とその子供に見えなくもない。


 だが優斗は知っている。

 天瀬日和は高校生であると。


――おままごとかなにかだろ。


 冷静に頭を働かせれば、二人が親子関係にあるはずない。それはどう考えても年齢的にあり得ない話だ。おそらく、多分、もしかしなくとも。


 だから優斗は見て見ぬふりを選択する。


 きっと近所の子供の遊びに付き合ってるとか、そんな感じだ。


――それにしても、意外な一面を見たな。


 誤解を恐れず言葉にすれば、日和は学校で浮いていた。

 浮いているがゆえに、生徒は見上げるしかない。 

 もちろん物理的な話ではなく、あくまで精神的な話だが。

 

 それは彼女の美貌がそうさせるのか、はたまた寡黙な性格が影響しているのか。そのどちらも十分にあり得る。

 

 前者で言えば日和は、学校内ではおろか、芸能界でも通用するであろう端正な容姿をしている。切れ長で大きな目は、二重も相まって黒い瞳がはっきりと覗き、左頬の泣きぼくろがさらに視線を魅了する。

 筋の通った高い鼻は美麗な顔つきを助長し、真一文字に結ばれた薄い唇は桜色に彩られ艶っぽい。

 長い黒髪は毛先まで手入れされており、キュッと引き締まったスタイルも相まって、後ろ姿からも美人だと容易に想像できてしまう。


 雪像のように完成された美しさ、と表現するのがしっくりくる。裏を返せば、近づくことで壊れてしまいそうな、汚してしまいそうな。彼女の周りに人が集まらないのは、そういった高嶺の花のイメージが少なからず影響している。

 

 そして後者の話。

 日和はあまり多くを語らず、感情表現が乏しい。

 会話することはあっても対話することはなかったり、笑顔を見せても目は笑っていなかったり。

 決して冷たい態度を取ったり、他人を突き放しているわけではないのだが、どこか見えない壁を感じてしまう。一人にさせてよ、そう言っているように思えてしまうのだ。


 以上は、相良優斗から見た天瀬日和の人物像である。


 他の誰かが日和をどう見ているかなんて知らない。


 少なくとも優斗から見て、日和は進んで子供と戯れるような人間ではなかった。

 

「ママ、あっち行こ!」 

「はいはい、あっちね」

「やっぱこっち!」

「……もう」


 しかし、日和が子供好きだろうと、ママと呼ばれていようと優斗には関係ない。

 日和はただのクラスメイトであり、親しい間柄ではないのだから、変に詮索したり関わるのは迷惑だろう。

 

 そういうわけで、優斗はわざわざ公園の外周を遠回りして家に向うことにした。


――あいつ、この辺住んでるんだ。


 高校二年生になってからまだ一カ月すら経っていないとはいえ、意外な新事実が転がっていたものだ。

 一年生の時だって、クラスは違えど日和の存在は知っていた。ただならぬ美少女がいると、噂話くらいは耳にしたことがある。

 それだというのに日和を最寄り駅近くで見かけた覚えはない。

 最近になって引っ越してきた可能性もあるが、これだけ生活圏が近く、同じ学校に通っていれば一度くらいはばったり出くわすはずだ。それが今日だというのか。これ以上は考えても無駄だろう。


 こういうのは自分の視野が思ったより狭いこともある。

 もしかすると過去に日和とすれ違っているかもしれない。


 周りを見ていない、見えていないだけで、すぐ近くに必ず"何か"が広がっているのだ。

 

 その"何か"は人なのか物なのか、知識なのか経験なのか、幸福なのか絶望なのか、時と場合によって目まぐるしく変わる。


 例えば、蝶の形を模した髪飾り。


 何気なく視線を下に向けなければ、優斗が見つけることはなかった。

 あるいはもう一度、彼女たちの会話に耳を傾けなければ、この物語は始まらなかった。


「髪飾りを落とした?」

 

 少し離れたところから聞こえてくる声。

 そちらに目を向けると、今にも泣きそうな女の子と困り顔の日和がいた。

 

 手に取ったプラスチック製の青い蝶と、公園で立ち尽くす親子?を交互に見る。

 それから優斗は小さくため息をつき、帰宅しようとする足を止めて方向転換をした。


「これ、そこに落ちてた」


 きょとん、と目を丸くする日和。ぱっと顔を明るくする女の子。


「……相良さん?」

「よく名前を知ってるね」

「クラスメイトでしょう」

「それもそうか」


 てっきり覚えられていないかと思っていたが、そこまで他人に関心がないわけではないようだ。

 

「探してたの、ありがとう」


 髪飾りを受け取り、軽く頭を下げる日和。その後ろには、日和の細い足に張り付くようにして隠れる女の子がいた。

 人見知りのようで、優斗をちらちらと盗み見ながら、目が合うと途端に顔を背けてしまう。

 さっきまでの元気な姿はどうしたのか、すっかり意気消沈としてしまった。


「ほら、アイもお兄さんにお礼を言いなさい」

  

 日和に促され、"アイ"と呼ばれた女の子が恐る恐る前に出る。


「……ありがとう」


 それからすぐにまた日和の後ろに隠れ、アイは髪飾りを付けなおした。 

 まだ沈む気配のない太陽に照らされて、作り物の蝶が青白く光る。

 その姿を見て、どこか懐かしい気持ちがしたのはなぜだろうか。


 少しだけ記憶を遡ってみたが、それらしい思い出は浮かばない。


「どういたしまして」


 優斗はただそれだけ言葉を返して、踵を返すことにした。

 

 しかし、その足を日和の声が止める。


「どうして相良さんがここに?」

「帰り道だよ。ここから少し歩いたところ」


 へえ、とだけ日和が相槌を打つ。

 自分から聞いたのに反応は薄い。


「…………見た?」

「なにを?」

「いえ、なんでもない」


 小さく首を振る日和。

 本題はこの質問だったらしい。

 つまりは女の子に"ママ"と呼ばれていることを知られたくないのだろう。

 あるいは衝撃的な変身シーンに対して言っているのかもしれない。


 やはり詮索してほしくない事情があるようで、日和はバツが悪そうに目を伏せる。


 もとより優斗も深く踏み込むつもりはない。

 関わると面倒事に巻き込まれる予感がする。

 見て見ぬふりをすれば、両者にとってWIN-WINだ。


 これ以上は会話が続く様子もなく、今度こそ優斗はこの場を去ろうとした。


 一歩、また一歩と二人の距離が離れていく。

 

「パパ」


 三人目の声が、ポツリとこぼれた。


「…………は?」

「…………え?」


 たっぷり間を開けて、優斗と日和が声を重ねる。


 振り返ると、小さな人差し指がまっすぐ優斗に向けられていた。


「パパ」

 

 もう一度、アイが言葉を発する。


 先ほどまでは目を合わせようとすらしなかったのに、今では真剣な眼差しが優斗をまっすぐに射抜く。

 

「おままごとに付き合えってことか?」


 あえて茶化すようにして、優斗は真意を探ろうとした。

 一方で日和は明らかに困惑した様子を見せ、はっとした表情で口元に手を当てる。


「まさか、本当に? いや、そんなわけない。……でも、」

 

 小さな声で独り言を呟くように狼狽する日和。

 

 ただのおままごとにしては、取り巻く空気が重く息苦しかった。


「相良さん」


 やがて日和が口を開いた。


「一つ、お願いがあるの」


 少し肌寒い春風が、優しく肌をなでる。

 遅咲きの桜が散って、三人の中心に花びらが舞った。


「私とアイの家族になってくれないかな」


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