第8話 一目瞭然の真実

 郡司は一人、アーケードのベンチに座って、警察が撤収する様子を遠くから眺めていた。


 悠璃といえば、麻生刑事の話に納得できないと言って、彼を追ってゲームセンターの中へ入っていった。郡司はそれを引き留めることはしなかった。


 麻生刑事の話が正しいとするならば、悠璃の見たことが誤っているということになる。幽体離脱している悠璃の話は曖昧なところがなく、一貫性があった。だからこそ彼女の話を信用していたのだけれど、麻生刑事の話を聞いたことで、彼女への不信が頭の片隅に生まれ始めていた。


「いつまでそうしている気だい? まさか、御神楽さんを信じられなくなったとか、いわないだろうね」


 後ろから聞き覚えのある声がした。驚いて振り向くと、焦げ茶色のシャツに黒エプロン姿の男が立っていた。


「樋渡さん、どうしてここに? 店から離れられるんですか?」


 樋渡がエプロンのポケットに両手を突っ込んだ格好で近づいてくる。

「あれだけ挙動不審になって店を出て行ったんだ。さすがに気になって後をつけたよ。そうしたら、きみがありえないぐらいの声量で独り言を言っているじゃないか。通行人がきみを怪しんで見ていたのに気づかなかったかい? まあ、その大きな独り言のおかげで状況が理解できたんだけどね」


 悠璃と一緒にいることに気を取られていたとはいえ、会話が聞こえるほど近い場所に樋渡がいたことに気づかない自分に呆れる。


 樋渡によれば、もともと知っていた郡司の『体質』と、大きな独り言の内容から、郡司は幽体離脱をしている御神楽悠璃と会っているのだと推測したらしい。この非現実的な状況をすぐに受け入れることができるあたり、さすが樋渡というほかない。


「彼女に何が起きているのか、俺には彼女の声が聞こえないから、断片しか知らないんだ。良かったら詳しく教えてくれないか」


 樋渡に促されるままに、郡司は彼女から聞いた内容を話した。


 すべて伝え終えると、樋渡は顎に手をやり「なるほどね」とつぶやいた。

「郡司くんは彼女のことを信じたいけど、刑事さんがウソを言うはずがないとも思っている。いや、むしろ刑事さんが正しく、彼女を信じられないようになってしまった。そうなんだろ?」


「僕は、ずっと御神楽さんの役に立ちたいって思っていたんです。でも、幽体離脱して彼女が見たという出来事が、これほど現実と異なっているとなると……」


 うつむく郡司の隣に、樋渡が座った。そして現場となったゲームセンターに視線を向け、「分からないな」とつぶやいた。


「そうなんです。分からないことだらけなんですよ」

 郡司が同調する。すると、樋渡は怪訝な顔をした。

「いや、そういう意味じゃないんだ。俺は、郡司くんが真実に気づかない理由が分からないと言ってるんだよ」


 郡司は、樋渡の言葉の真意を理解しようとした。


 樋渡は決して人をからかって楽しむような男ではない。純粋に、彼のいう真実に郡司が気づかないことが不思議で仕方がないのだろう。ということは――。


「樋渡さんは、その真実に気づいたんですか?」

 ゲームセンターのシャッターを指差しながら、樋渡が答える。

「御神楽さんは、あの建物の中なんだろ? 今頃、幽体であることを利用して、警察の話を真横で立ち聞きしているんだろうね。だとしたら、御神楽さんはもう真実を知っている。彼女が戻ってくる前にきみも真実を理解していた方が良い。いろいろな意味でね」


 樋渡からは、これまでにも郡司を心配して助言してくることがあった。彼にとって郡司は、頼りない弟のような存在なのかもしれない。そのことを知っているから、郡司は素直に忠告を聞くことができた。


「教えてください。樋渡さんの言う真実とは、いったい何なんですか?」


 樋渡は頷き、説明を始める。


「いいかい、きみも御神楽さんも、ある勘違いをしている。当事者だから気づきにくかったのかもしれないが、第三者の俺から見たら一目瞭然だ」


 簡単なことだよ、と樋渡が続ける。

「きみが彼女と食事の約束をしたのは土曜日の午後。そして、その日のバイト終わりに彼女は倉庫で首を絞められ、気を失ったと考えられる」

「いや、それは……」

 郡司が反論を試みようとするも、樋渡からの質問に遮られる。


「ところで郡司くん。今日は何曜日だい?」


「え? 今日ですか……」

 何を突然、と思いながらも、郡司は真面目に答える。


「今日は……、です」


「そうだね。さっき郡司くんがうちの店を出る前、俺がきみに言ったことを思い出してほしい。『彼女が来れない理由を、明日大学で会ったら聞いてみるといい』と俺はいった。


 当たり前のことをわざわざ強調して説明する意味が分からない。自分が勘違いしているものに関係しているのだろうか。


「まず郡司くんの勘違いから指摘しようか。きみは土曜日に御神楽さんと食事の約束をしたが、その日の待ち合わせの時刻になっても彼女は来なかった。理由は彼女が犯人に襲われて気を失っていたからだが、そのことを知らないきみは、彼女が来ない理由を自分が待ち合わせした日を間違えて記憶したのだと思った。すっぽかされた可能性を考えたくなかったんだろ?


 だからきみは、。そして遅れて幽体離脱した彼女が来たものだから、待ち合わせは日曜日で間違いなかったと勘違いしてしまったんだ。


 そして彼女から、首を絞められてすぐに幽体離脱したという説明を受けた。これにより、彼女が襲われた日も日曜日の今日だと勘違いしている。もしかしたら今もね」


「違うっていうんですか?」


「違う。それが御神楽さんの勘違いだ。彼女は首を絞められて気を失った直後に幽体離脱したと思っているのだろうが、実際は違う。。彼女は、たぶん今も、今日を土曜日だと勘違いしているはずだ。


 根拠はある。御神楽さんが襲われた日、バイトの同僚の椎名さんは土曜日の日中に御神楽さんと一緒に働き、バイトが終わった後、御神楽さんと一緒に女子更衣室で着替えている。なのに、御神楽さんが幽体離脱した後は、椎名さんはまた制服を着ていた。土曜日は早番で、日曜日は遅番だったのだろうね。つまり、襲われた日と幽体離脱した日が違うということの証明だ」


 まとめようか、と樋渡が言う。


「御神楽さんは土曜日にきみと食事の約束をし、その日の夕方に首を絞められ、すぐに幽体離脱し、その日のうちにきみに会いに来たと思っている。


 郡司くんは日曜日の今日、彼女が犯人に襲われ、すぐに幽体離脱し、そのまま自分に会いに来たと思っている。


 だが、実際の流れはこうだ。


 土曜日にきみと御神楽さんは食事の約束をし、その日の夕方に彼女は首を絞められ気を失う。殺したと思った犯人は、彼女の身体を倉庫のどこかに隠したのだと想像する。そうしないと、倉庫を利用した誰かにすぐに見つかってしまうからね。そして丸一日経った今日、ネクタイをとり、仕事をサボってタバコを吸おうとした美樹本が、倉庫の隅で彼女の身体を発見する。美樹本が倉庫の中央まで彼女の身体を引っ張ってきたとき、床に彼女の頭を打つけたんじゃないだろうか。その衝撃で彼女は幽体離脱したと考えられる。彼女が言うには、自宅で幽体離脱したときは壁に頭を打つけて寝ている自分を見るらしいからね。頭を打つけるという行為が、幽体離脱のスイッチになっている可能性がある。


 ところで、幽体離脱した御神楽さんは、自分の身体の横でネクタイを手に持って鬼のような形相で立っている美樹本を見たと言ってたけど、気を失った人間を運ぶのはかなりの労力を使うはずだし、美樹本は細い体型なんだろ? 運び終えた後は、鬼のような形相になっていてもおかしくはない」


 なんで美樹本が逃げたのかは分からないけどね、と樋渡がつけ加えた。


「どうだい。これで刑事さんの話とも矛盾はなくなるだろ? 警察は彼女の身体の状態やスマホの利用状況、目撃情報などから、郡司くんが刑事さんと会ったときには、犯行時刻が昨日の夕方だと分かっていたのだろうね。刑事さんは犯行時刻に美樹本が遠くの別の場所にいたと言ったのはそのままの意味だ。土曜日は実際ライブハウスにいたんだろう。凶器のネクタイを美樹本が持っていなかったのも犯人じゃないのだから当然だ。


 警察の会話をずっと聞いていれば、昨日の犯行だということが随所に出てくるだろう。立ち聞きしている御神楽さんがもう真実を知っていると言ったのは、そういうことさ」


 樋渡の話を聞きながら、郡司は自分のことを恥ずかしく感じていた。

 麻生刑事から話をよく聞いていれば、事件のあった日が土曜日だと知ることができ、自分の勘違いを正すことができただろう。そして、悠璃にも今日が日曜日であることを伝えることができたはずだ。


「麻生刑事は、今日岸上がしていたネクタイに犯行の痕跡があったと言ってました。それが本当なら、犯人は岸上ということになりますよね。つまり、最初から犯人は警察が捕まえていたということだったんだ。僕や御神楽さんは、勘違いしたことによって、わざわざ自分たちで事件を複雑に考えてしまっていた……。そういうことですよね」


 一周回ってスタート地点に戻ったような、なんとも肩透かしな感覚を覚えた。郡司はゲームセンターのある建物を見た。悠璃は建物に入ったきり、戻ってきていなかった。


 そのとき、樋渡がまたもや怪訝な表情をした。

「郡司くん。きみは本当に岸上が犯人だと思っているのかい?」


「え? でも凶器のネクタイは岸上が持っていたんですよ。岸上以外に犯人はいないじゃないですか」


「本当に岸上が犯人なら、凶器に使ったネクタイを犯行翌日に好んで締めるものか。スペアを使おうと考えるのが普通だろう。

 それに思い出すんだ。御神楽さんが倉庫に倒れているのを岸上が発見したとき、慌てたように駆け寄って、彼女の名前を呼んでいたじゃないか。岸上が犯人だとしたら、それは演技だということになるけど、


 確かにその通りだと思った。岸上が悠璃の身体を見つけた場面を、幽体となっている悠璃がすぐ側で見ていたなんて、岸上本人が知るよしもないことだ。


「だけど凶器のネクタイは岸上が締めていたんですよ。その岸上が犯人ではないとしたら、一体誰が犯人なんですか?」


 郡司の問いに、樋渡が「なに言ってるんだい」とすぐに答える。

「一人だけ、犯人になり得る人物がいるじゃないか」


「誰なんです?」


「簡単なことだよ。凶器のネクタイを重要参考人となった岸上に締めさせることができた者が犯人だ。そして、それが可能な人物は一人しかいない」


 樋渡が言う。



                       第9話「犯人の行方」へ続く

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