第7話 信じられない事実

 何も後ろめたいことはないはずなのに、警察官に話しかけるのは、かなりの勇気が必要だった。


 幸い、話しかけた若い警察官は、大学生のつたない説明を熱心に聞いてくれた。すぐ隣には幽体の姿の悠璃が立っており、そのやり取りに耳を傾けている。


 自分は被害者の御神楽悠璃とは同じ学部の友人であり、悠璃から美樹本という男に恨まれていると聞いていること、そして犯行に使われた制服の赤いネクタイは、きっとその男が持っているから、美樹本の身辺を調べてほしいと伝えたところ、その若い警察官は少し考えてから「ちょっと待っててもらえますか?」といってドアの奥に入ってしまった。


「わたし、追いかけるね」


 悠璃は警察官を追い、ドアを素通りして建物の中に入っていった。

 しばらく一人でたたずんでいると、ドアから三十代くらいの背広を着た男がやってきた。続いて悠璃が建物から戻ってくる。


「きみが御神楽さんの友人だっていう人?」

「そうです」


 背広の男は身分を名乗らず、「貴重な情報をいただいたそうだね。せっかくだから今後の捜査に活用させてもらうよ」と言った。言葉は丁寧だが、明らかに人を見下したような雰囲気を感じる。


 隣から悠璃が通常の声量でしゃべってきた。

「この胡散臭うさんくさい人、麻生あそうって名前の刑事さんで、さっきの警察官から郡司くんのことを報告されてた。やる気のない態度してて、やな感じ」


 目の前にいる麻生刑事に丸聞こえで発言する悠璃にハラハラしたが、彼女の声は自分にしか聞こえていないことを思い出し、ホッと胸をなで下ろす。


「最初は『面倒なガキの対応はお前に任せる』って露骨に嫌そうな顔をしていたのに、最後まで話を聞いたら急に『お前はもういい。俺が相手する』って言い出したの。何か企んでいるのかもしれないから、気をつけて」


 悠璃の忠告を耳で聞いている最中、その麻生刑事から質問を受けた。


「郡司さん、だったかな。あなた、御神楽さんの大学の友人って話だったけど、このゲームセンターの関係者ではないんだよね?」

「はい、違います。御神楽さんから内情は聞いてましたが、関係者ではないです」

「ふうん。なるほど。ところで――」

 麻生刑事は無表情のまま質問を続ける。

「関係者でもないのに、どこから御神楽さんが首を絞められたって聞いたのかな? 知り合いは御神楽さん以外にいないんだよね?」

「それは……」

 口ごもる郡司に、隣の悠璃から「椎名美埜里を共通の友人ってことにして」と助け船があった。

「――言い忘れてましたが、バイトの椎名さんとも同じ大学の友達なんです。さっき連絡が来て、それで知ったんですよ」

「ああ、そうなの。そうなんだ」

 悠璃がグッドと親指を立てる。ここはなんとか嘘で切り抜けたけど、早いところ美埜里と口裏を合わせておかないと危険だと感じた。


「郡司さん。あなたは犯行に使われた凶器が制服のネクタイだと言ってたみたいだけど、それ、誰から聞いたの?」

 麻生刑事の軽い口調に、悠璃が反応する。

「凶器が制服のネクタイだってことは、すでに警察も把握していたみたい。それで、犯人しか知り得ないネタをなんでそいつが知っているんだって、さっき警察官に言ってた」


 悠璃の情報で、郡司には麻生刑事の思惑が分かった気がした。

 この刑事は、犯人しか知り得ぬ情報を持っている郡司を、事件に関係しているのではないかと疑っているのだ。


 先ほどの若い警察官に、制服のネクタイが凶器であると伝えてしまった。もちろんこれは幽体離脱した悠璃が見ていたから知っているのだが、そんな非現実的なことを麻生刑事に言えるわけがない。


「どうしたんだい? どこから知ったかと聞いているんだが?」

 隣で心配そうにしている悠璃に、大丈夫だよと目配せする。


「僕は誰からも聞いてません。凶器が制服のネクタイだというのは、知っている事実から導き出した結論です。当たってましたか?」

「適当なこというなよ。どう考えると、その結論になるんだ?」

 これまで飄々ひょうひょうとした態度を貫いていた麻生刑事の目つきが変わった。郡司は自分の考えを最後まで話す覚悟を決めた。


「僕が知っていることは三つです。一つ目は、倉庫で倒れていた御神楽さんの首に紐のような物で絞められた痕があったという事実。これは椎名さんから情報を得ました」

 本当は悠璃が幽体離脱で見た情報だけど、ここは美埜里を利用させてもらう。


「二つ目は、彼女を殺したいと思うほど憎んでいる人は美樹本ぐらいしかいないということ。三つ目は、その美樹本が、よく倉庫でネクタイをとってタバコを吸ってサボっていたということです。これらは御神楽さんから聞きました」

 これは本当のことだ。隣で彼女も頷いている。


「僕の考えはこうです。そのとき、美樹本はバイトをサボって倉庫で隠れて喫煙をしていた。すると御神楽さんが一人で倉庫に入ってきた。美樹本は以前、御神楽さんに告白して振られ、さらに金庫のお金を盗んだことを店長にチクられていた。そのことを恨んでいた美樹本は、衝動的に御神楽さんを殺そうとした。凶器は手に持っていた制服の赤いネクタイ。倒れた御神楽さんを見て死んだと思い、美樹本は倉庫から逃げ出した」


 その後のくだりは端折はしょってもいいだろう。


「倉庫の中を調べてもらえれば美樹本がいたことの痕跡が見つかるでしょうし、美樹本の近辺を探せば凶器のネクタイも見つかるはずです。お願いです、刑事さん。美樹本を捕まえてもらえませんか。そいつはもうすでに凶器のネクタイやその他の証拠となるものを処分しているかもしれない。早急に捕まえる必要があるんです」

 お願いしますと、麻生刑事に頭を下げた。麻生刑事は右手で自分の後頭部をかきながら、困ったような表情をしている。そしてボソっと言った。


「――つまり、当てずっぽうってことかな?」


「えっ?」

「ああ、すまん。気を悪くしないでほしい。実をいえば、この事件にきみが関わっているのではないかと疑っていたんだ。犯人しか知らない情報を持っていたからな。でも、その疑いは晴れた」

 麻生刑事の目から鋭さがなくなり、態度は飄々としたものに戻っていた。


「きみはただ、凶器がネクタイであると、当てずっぽうで言い当てただけだったんだ」


 必死に考え、必死に説明した筋道を、麻生刑事は素人探偵の推理ぐらいにしか思っていないことが、その発言で分かった。


 これは良くない展開だ。この後、郡司が何を言っても警察は本気で取り合ってはくれなくなるだろう。このままでは、美樹本が犯人だと警察に伝えたいという悠璃の願いを叶えることができなくなる。


 何か糸口はないか、右手で髪をぐしゃぐしゃにしながら考えていると、

「ひとつ教えてくれないか――」

 麻生刑事が郡司に向かって思いもよらない質問をしてきた。


「きみは、御神楽さんの恋人なのかな?」


 郡司が顔を上げる。突然なにを言い出すのだと麻生刑事を見るが、質問の意味が分かって顔が真っ赤になった。


 滅相めっそうもないと否定しようとした直前、悠璃が会話に割って入ってきた。

「恋人です。そう言って」

「何で……」

 つい悠璃の声に反応してしまった。麻生刑事は自分が言われたと勘違いしたのか、「どうした? 違うのか?」と聞いてきた。


 悠璃の方を見やると、彼女は真顔で見つめ返してきた。

「恋人ってことにすれば、刑事さんも郡司くんの話をもっと真剣に聞いてくれるようになるかもしれないじゃない。恋人ってことにしようよ」

 悠璃の視線から本気を感じた郡司は、つばを飲み込み、本日最大の緊張感をもってこう言った。


「御神楽悠璃さんは、僕の恋人です」


 それを聞いた麻生刑事は、納得したような顔をした。

「警察相手にここまで熱くなるってことは、被害者の女性とは友達以上の関係だろうと想像したのだが、やはりそうだったか」


「誰にも知られないように付き合ってきたので、僕とみか、いや、悠璃が恋人どうしであることは、みんな知らないと思いますが……」

 付き合っている証拠がないことがばれてもいいように、先回りして言っておく。そして、麻生刑事が勘違いしているうちに、美樹本犯人説をもう一度伝えようと思った。


「僕の大切な人が襲われたんです。悠璃は美樹本のことを本気で怖がっていた。あいつが悠璃の首を絞めたんですよ。まず美樹本を捕まえてください。そうしたら、僕が言っていることも分かってもらえると思うんです」


 悠璃の恋人というのは嘘だから、いってみたら芝居をしているようなものなのに、郡司には自分が芝居をしているような感覚はなかった。本心を伝えているのと同じ熱量で、麻生刑事にお願いをしていた。


 すると麻生刑事は、「まいったな」と首をかいた。そして独り言のように言う。


「恋人が襲われたバイト先にはイケメンのバンドマンがいて、その男とは振った振られたの過去があり、金の揉め事にも関わってしまった……。彼氏としたら、そいつが怪しいと考えてしまうのは仕方がないことなのかもしれないな」


 ようやく分かってくれたかと思ったら、そうではなかった。


「しょうがない。恋人であるきみにだけ話そう。ここだけの話だとして聞いてほしい。他言無用で頼む」


 麻生刑事は、周りを見渡してから小声で言った。



「な、なんでそんなことが断言できるんですか?」

 郡司が普通の音量で言い返す。麻生刑事が、片手で音量を落とせというジェスチャーをした。


「事件の詳細は椎名さんからの連絡で掴んでいるのだろうから、改めて説明はしない。要点だけ話そう。


 岸上を参考人として取り調べた際、彼は『自分はやってない。美樹本が犯人だ』と言い出した。美樹本という男が、以前から御神楽さんに執拗に迫っていたというのがその理由だ。他のバイトスタッフに聞いたらその情報は正しいようだったから、我々は念のため美樹本という男を調べた。


 大事なのはここからだ。御神楽さんが首を絞められたと思われるその時間、美樹本はゲームセンターにはおらず、バンドのライブに出演するため、ここから遠く離れたライブハウスにいたのだ。車を飛ばしても三十分以上かかる場所だから、犯行のためにライブハウスを抜け出していたら、ライブに参加できなくてすぐにバレる。そして、抜け出した痕跡はない。美樹本には、今回の犯行は行えないんだよ」


 そんな馬鹿な、と言いそうになるのをなんとかこらえた。悠璃も信じられないというような顔をしている。それはそうだろう。彼女は倉庫で美樹本を目撃しているのだ。麻生刑事の見解とは明らかに矛盾している。


「あと犯行に使われた制服のネクタイな。きみは美樹本の近辺を探せというが、実はもう見つかっているんだよ」


 その情報もまた衝撃だった。ネクタイは美樹本が持ち去っているのを悠璃が見ている。逃げる際にどこかに投棄したということなのだろうか。


「今日、岸上がしていたネクタイに犯行の痕跡が残っていた。御神楽さんの指紋やひっかき傷がついていたんだ。そしてそのネクタイからは、美樹本の指紋は検出されていない」

「なんだって!」

 今度は声が出るのを抑えられなかった。悠璃もまた、口元を手で押えて驚いている。


 美樹本が持ち去ったはずのネクタイを岸上が締めていて、しかも美樹本の指紋がついていないという。もう意味が分からなくなってきた。


「これで理解してくれたかな。きみが怪しいといっている美樹本は、犯行の時刻に現場にはいなかったし、美樹本が持っているという凶器のネクタイは、実際は岸上が締めていた。きみの考えは誤っていたんだ。早いとこ、この事実を認めるんだな」


 他言無用だぞ、と再度言って、麻生刑事はドアの向こうへ去って行った。


 郡司も、そして悠璃も、麻生刑事の突きつけてきた事実を受け入れられず、彼の後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。


                     第8話「一目瞭然の真実」へ続く

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