第5話 犯人の正体
※
ここで驚くべきことが起きた。
悠璃は、倉庫の冷たい床に倒れている自分を見下ろすように立っていたのである。
そして、倒れている自分の頭の脇には、ゲームセンターの制服を着た男が一人、肩で息をして立っているのが見えた。その男の手には制服のネクタイがしっかり握りしめられている。男性スタッフ共通の赤いネクタイだ。
男の正体は知っていた。
背が高く細い体型をしており、顔も腕も生白い。バイトと平行してビジュアル系インディーズバンドの活動もしていると聞いたことがある。イケメンに属するルックスで、美埜里が密かに熱を上げている相手だった。
(美樹本さんが、ネクタイでわたしの首を絞めたんだ)
首の感触を確かめようとしたけど、幽体となった悠璃には、すでに痛みや苦しさといった感覚がなくなっていた。
美樹本は、鬼のような形相で悠璃の顔をにらみつけた後、ネクタイを持ったまま、倉庫から逃げるように去って行った。倉庫内には、倒れた悠璃の身体が取り残された。
悠璃は最初、自分は美樹本に殺され、幽霊になったのだと考えた。しかし、自分の身体をよく観察すると、胸のあたりが若干上下しているのが見えた。まだ生きている
(幽霊になったんじゃなくて、幽体離脱してるってことね)
最悪の事態を免れて、落ち着きを取り戻した悠璃は、まずは誰かに自分の身体を見つけてもらわなければならないと考えた。美樹本の逃走も気にはなったけど、この場合、自分の命が最優先だ。
倉庫から出るためドアノブに手をかけると、すり抜けて空振りになった。幽体離脱中は物に触れることができないことを思い出し、そのまま身体ごとドアをすり抜け、外に出る。
辺りを見回したとき、ちょうど人が通りかかった。
同じバイト仲間の
遅番のシフトらしく、岸上は制服姿でゴミを捨てに外に出てきたところらしかった。
「岸上さん、大変なんです! 倉庫に来てもらえませんか! 美樹本さんに襲われて、倒れてるんです!」
必死に呼び止めるも、岸上は悠璃の声に反応しない。それならばと岸上の視線の先に立って「岸上さん!」ともう一度名前を呼ぶけど、それでも気づいてくれなかった。
幽体となった悠璃の姿や声を、岸上は見たり聞いたりすることができないのだ。
(このままだと倉庫の前を通り過ぎちゃうじゃない!)
そう思ったとき、岸上が急に立ち止まった。悠璃の声が届いたかと思ったらそうではなく、どうやら倉庫のドアを見ながら不審がっているようだった。よく見ると、ドアがほんの少しだけ開いている。美樹本が立ち去るとき、しっかり閉めないで行ったのだろう。
岸上はドアに手をかけ、「誰かいるのか?」といいながら倉庫に入っていく。悠璃も後をついて倉庫の中に戻った。
「御神楽?」
岸上は倉庫のど真ん中に倒れている悠璃の身体を見つけてくれた。そして倒れている悠璃のもとに駆けつけ「御神楽、御神楽!」と呼びかけてくれる。しかし悠璃の身体は反応しなかった。
悠璃が息をしていることに気づいたのか、岸上は入口のドアに向かって駆け出した。しかし、ドアの前で考え込むように動かなくなった。
「何してるんですか。早く店長を呼んできてください!」
岸上には届かないと分かっていても、声をかけずにはいられなかった。
しばらくすると岸上は開いていたドアを閉め、密室となった倉庫内を見渡した。宣伝用の立て看板の
その表情が、悠璃にはとてもおぞましいものに見えた。
岸上は悠璃の側に身を寄せ、反応がないのを確認するように何度か声をかけると、自分の両手をゆっくりと悠璃の身体に近づけた。
「ちょ、ちょっと、何する気なの? 変なことするつもりじゃないでしょうね!」
嫌な予感が当たった。岸上は気を失って抵抗できない悠璃の身体をさわり始めたのだ。足、太ももとさわっていき、そしてついには胸に手をかけた。Tシャツの上から、悠璃の胸をさわりだす。
「何してるのよ、この変態! 止めなさいよ!」
いくら叫んでも、岸上には聞こえていない。幽体になっている悠璃には、岸上を止めるすべがなかった。
そして岸上は、悠璃の着ているTシャツの裾を掴んだ。
「ふざけないで! 止めて! 止めてよ!」
Tシャツが裾からめくり上げられ、下着があらわになる、その寸前。
「あ、ここにいた。岸上さん、何やってるんですか。店長が探してましたよ」
倉庫のドアが開き、そこから制服姿の美埜里が顔を出した。
倒れている悠璃と、その悠璃のTシャツに手をかけている岸上を見た美埜里は、次の瞬間、思い切り悲鳴を上げた。倉庫内に女性の高い声が響き渡る。
「誰か! 誰か来て! 岸上さんが、悠璃を襲ってる!」
慌てたのは岸上だ。
「違う! 僕は御神楽を助けていたんだ! 床に倒れていたから身体を起こそうと思って……」
「なに言ってるんですか! Tシャツ脱がそうとしてたじゃないですか!」
美埜里の悲鳴を聞いたスタッフが倉庫に集まってくる。
「どうした?」
店長も駆けつけてきた。店長は倒れている悠璃を見て状況を把握したのか、すぐに岸上の胸ぐらを掴み、ドスの利いた声で「お前、何してくれてんだ!」と怒鳴った。
悠璃の身体のもとに走ってきてくれた美埜里は、「良かった。気を失っているだけみたい」といいながら悠璃のTシャツの裾を直してくれた。
「あれ? 店長、ここ見てください!」
美埜里が紐状に赤くなっている悠璃の首を指差す。店長は横目でその箇所を確認した。
「――お前がやったのか?」
店長が岸上をにらみつける。
「僕じゃない! 僕は何もしていない!」
岸上はイヤイヤするように首を横に振り続けた。
それからの展開は早かった。
救急車とパトカーが到着し、悠璃の身体は病院へと運ばれた。警察は悠璃の首に残っていた痕から殺人未遂事件と断定し、店長により事務室に幽閉されていた岸上を重要参考人として事情聴取した。幽体となっている悠璃は、その様子を傍らでずっと聞いていた。
悠璃にとって、病院に運ばれた自分の身体も心配ではあったけど、それより岸上を犯人だと決めつけるような警察官の態度が気になった。
確かに岸上は、無抵抗の悠璃の身体をさわるという許されないことをした。しかし、それと殺人未遂事件とはまったくの別物だ。自分の首を絞めたのが岸上ではないことを、悠璃は自分の目で見て知っているのである。
「わたしを殺そうとしたのは美樹本さんです。岸上さんではないんです」
幽体の悠璃がいくらそう主張しても、当然ながら警察官に伝わることはなく、そのうち警察官は岸上に警察署への任意同行を求めだした。取調室で自白させるつもりなのかもしれない。
犯人は岸上ではなく美樹本であると警察に伝えたいのに、幽体離脱している自分では、いくら話しかけても誰も気づいてくれないのが歯がゆかった。
どうすれば、こちらの思いを警察に伝えられるのだろうか。
そう考えた瞬間、すっかり忘れていたある約束を思い出した。
(わたし、郡司くんと会う約束してたんだった!)
もしかしたら、幽霊を見ることができる郡司には、幽体となった自分の姿も見えるかもしれない。そしたら、彼を介して自分の言葉を警察に伝えることができるのではないか。
郡司と会う約束をした時刻は午後六時だった。事務室の壁にかかっている時計を見ると、午後七時半前を指している。もうすでに約束の時間から一時間半近く経っていた。
(郡司くんお願い。まだ帰らないでいて!)
こうして悠璃は、待ち合わせ場所の喫茶店『クロスロード』に向かったのだった。
第6話「目撃者の問題」へ続く
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