第32話 クラーロの決断
そんなこんなで途中騎士団のベースキャンプに寄ったチハルたちは下の階層を探して来ると告げ、奥へ奥へと歩を進める。
ソルに乗ったチハルの姿に度肝を抜かれた騎士団と熟練探索者たちだったが、40階層まで到達した者の実力を疑う素振りは見せなかった。
むしろ、協力してくれたことに騎士団からいたく感謝され、仲間たちが見つかろうが見つかるまいが報酬を約束されたほど。
そして舞台は44階に入ろうとしているところまで来ていた。
44階へ向かう下り階段の前でチハルの魔曲「ピースメイキング」が停止する。
「ピースメイキングの
リュートから手を離したチハルの目には相変わらず光がない。
彼女はまだ元のチハルではないようだ。
それでも、急に魔曲の演奏を止めた彼女にルチアは問いかけずにはいられなかった。
「チハルさん」
「
ルチアの呼びかけには応じず、チハルがリュートに手を当てる。
「レクイエムの
何とも物悲しい旋律が紡ぎ出されていく。
「これも……魔曲……」
「雰囲気が随分異なりますね。さっきまではぽかぽか陽気の中にいるようでしたが、何だか悲しいというか懐かしいというか」
曲に聞き入る二人の胸に去来したのは悲しさだけではなかった。
これは、郷愁。懐かしき子供時代の夕焼け空とでも言えばいいか。もっと遊びたい。だけど、暗くなってしまい帰らなくてはいけない。
そんな昔日の暖かでどこか寂しさを覚える……そんな音色だった。
嫌な感じはしない。むしろ、包み込まれるような「あの日」の懐かしさが胸の奥からこみ上げて来る。
「グルル」
「くああ」
ソルとクラーロが「行くぞ」とばかりに声を出す。
ハッとなった三人は隊列を整え、進みはじめるのだった。
44階はモンスターに出会うことなく、45階を歩き始めて20分くらい経過した頃、彼女らは初めてモンスターを目にする。
「がらんどうの鎧っす」
「アンデッドナイトかしら」
「迷宮の中にもアンデッドがいたんだな」
三人ともそれなりに長い期間探索者をやっているから、迷宮以外の場所でモンスターと戦ったこともあった。
とある廃村や戦場跡にはアンデッドの姿をよく見かける。アンデッドは生きている人間を視界にとらえると一直線に襲い掛かって来るという特徴を持つ。
アンデッドに理性はなく、ただただ力任せに殴りつけてくる。
一部高位のアンデッドは例外らしいが……。
さて、件のがらんどうの鎧アンデッドナイトはというと、ぐったりと地面に座り込んだまま身動きしないでいた。
チハルたちが至近距離まで来る頃には鎧から青い燐光があがり、その姿がどんどん薄れていっていた。
「レクイエムという魔曲はアンデッドを鎮静化させ浄化するのかしらね」
「ピースメイキングといい、レクイエムも強力な魔曲だな……」
横目で光と化す鎧を見やりつつ、太い肩を竦めるゴンザ。
続いて46階に入ってもチハルの奏でるリュートから物悲しい旋律が紡がれる。
「移動中のアーティファクトの元へ誘導します。接触まであと10分28秒」
移動中のアーティファクト? と疑問符が浮かんだルチアであったが、すぐに何のことか合点がいく。
「迷子の方々っすね!」
「そうね」
優しいアマンダが相槌を打ってくれた。
誰もが時計を持っていないので、正確な時間は分からなかったが、チハルの言う通り彼女らは探し人たちと出会う。
探索チームは全部で6人いて、疲れた顔をしていたが大怪我をした者もおらずアマンダらは安堵する。
彼らに事情を話すと皆が深々と頭を下げ、彼女らに感謝の意を告げた。
「40階までご案内いたしますわ」
「かたじけない」
しかし、家に帰るまでが遠足と言葉があるように、ターゲットを救出したと言えるのは送り届けるまでである。
41階を探索中のことだった。
ゴト……。
最後尾を歩く騎士の足もとで嫌な音が響く。
チハルは迷宮にある罠を避けて進むことができる。それでも、いつ何時罠が発生するかも分からないと念には念を込めてルチアが罠の警戒をしていた。
それでも、不幸というものは起こる。
「転移装置の発動を感知いたしました」
抑揚のなさと幼い声色がアンバランスなチハルの声。
次の瞬間、ソルとチハルの姿が忽然とかき消えた。
ソルの頭の上に乗っかっていたカラスが足場を失い床に落ちる。彼はさすがのバランスで転ぶこともなく床に降り立つ。
「……え」
「お、おい」
突然の出来事にルチアとゴンザの思考が追いつかない。
他の者もよく似た感じで、誰しもが絶句していた。チハルの消失と共に穏やかな音色もなくなり、辺りはシーンと静まり返る。
最も動きのはやかったのはゴンザだった。
「すまん。俺たちはチハルを探しに行く。騎士団は先に戻ってもらえるか?」
「了解した。ここまでの案内感謝する」
探索チームのリーダーである騎士がすぐさま答えを返す。
「道はこのまま真っ直ぐすすんで、右、左、右、左っす!」
「覚えているのか?」
「バッチリっすよ。万が一、迷子になった時のため目印をつけながら進んでいたんっす」
「承知した。魔獣に乗る少女のこと……申し訳ない」
謝罪する騎士団のリーダーに対し、ルチアが首を横に振る。
内心、どうしようと焦っていたが、一応彼女も一端の探索者。今は何が最善か分かっているつもりだ。
「いつまでも魔曲を奏で続けることができるわけじゃないし……」
眉間に皺を寄せうーんと悩むアマンダ。
ツンツン。
そんな彼女の足もとをカラスが突っつく。
「くああ」
「何か訴えかけているのは分かるんだけど、私は翻訳魔法を使うことはできないわ」
「くあ!」
「チハルちゃんのおともだちなのに、いいのかしら?」
「くあ、くああ!」
アマンダの足もとをグルグル回り、嘴を上にあげたカラスが何度も「くあくあ」鳴く。
彼女は何故カラスが他の人ではなく、自分の足もとにやってきたのかを察した。
自分には使い魔がいない。魔術を使う者ならば、使い魔契約の呪文は知っている。
だが、使い魔契約せずともチハルと言葉を交わし、人語を理解するような高位の存在を使い魔にするなど不可能だ。
使い魔に特化した熟練の魔法使いなら話は別だが、生憎アマンダは使い魔契約の魔法をこれまで一度しか使ったことがない。
業を煮やしたカラスがバサバサと翼をはためかせ、彼女の肩に乗る。
続いて彼は、首を捻り嘴を彼女の頬に向けてきた。
「そうね。迷っているならやってみましょう。でも、安心して。うまくいったとしても、チハルちゃんが見つかったらすぐに解除するから」
アマンダは杖を握り、目を閉じる。
内なる魔力を体中に巡らせ、契約の呪文を紡ぐ。
「クラーロ、我アマンダと契りを交わせ」
カラスが自分から首を垂れ、彼女の指先を導く。
ちょんと彼女の細く長い指先がカラスの首に触れた。
『ここに契約は成立した。すまん。こうするしかチハルを救う手段がないと思ったんだ』
「あなた……人に従うような存在ではないのに。チハルちゃんのために自分のことを」
『問題ねえ。アマンダなら俺が何を想い、契約を結んだのか分かってくれるだろ?』
「もちろん。よろしくね、クラーロ」
『短い間だが、よろしくたのむぜ。ご主人サマ。なるべく魔力を抑える』
平静を装うアマンダであったが、その実その場でへたり込みそうな自分を何とか奮い立たせたいる。
使い魔契約は「相手を従わせる」ために、術者は威厳を示し、相手を感服させ従わせるものだ。
クラーロとの契約がすんなり成立したのは、彼が彼女との契約に何ら対価を求めず同意したから成立した。
使い魔契約が成立したので、彼女とクラーロの間にラインが結ばれ、彼と意思疎通ができるようになったのだ。
それと同時にクラーロがどのような存在だったのか、彼女の頭に流れ込んでくる。
「原初の大魔導士」霊鳥クラーロ。それが彼の肩書だった。
その伝説は魔法使いを志す者全てが知っている。古来より体内に魔力を取り込むことができる人間たちは存在した。
しかし、魔力はただあるだけでは何も変化をもたらさない。
クラーロと親交を結んだ大賢者が、彼から魔法を学び、人の世に魔法をもたらした。
そんな存在を使い魔にするなど……アマンダの気持ちは推して知るべしである。
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