第19話 美女の夜

 ビーバーたちが厩舎を作り、チハルがスヤスヤと眠っている頃、ギルドの一室は赤々とした光が灯っていた。

 その部屋とはギルドマスターの執務室で、中には色気たっぷりのトンガリ帽子をかぶった美女とハゲ頭の筋骨隆々の中年男二人きり。

 見る者によっては邪推してしまいそうな深夜の密室二人きりだったが、本人らの佇まいを見ると甘い香りなど一切しないことは一目瞭然である。

 

「それで、俺とアバンチュールしたいというわけではないんだよな?」

「……」

「……冗談だろ。そんな顔で睨まないでくれるか」

「あはは。海山千万のマスターでも弱った顔をするのね」

「そらそうだ。探索者たちはアクの強いのばっかだからな!」


 ビールをうまそうにグビリと飲んだマスターがガハハハと笑う。

 飛び散る液体をさりげなく薄紫のハンカチでガードしたアマンダは抜け目ない。

 彼女は彼女で執務室にワインをボトルごと持ち込んでいた。塩気を補うためのチーズはマスターが運び込んでいる。

 彼女も上品にワインを口につけ喉を潤す。

 特に喉が渇いていたからではない。彼女なりに頭のスイッチを切り替えるためである。

 

「チハルちゃんのこと。ううん、チハルちゃんだけじゃないわ。クラーロとソル、他にも『おともだち』がいるのよね?」

「らしいな」

「マスターはどこまでチハルちゃんのことを知っているの?」

「どこまで、か。うーむ。アマンダになら喋ってもいいか。意味は分かるよな?」

「もちろん。チハルちゃんのため、でしょ?」


 核心に迫ったアマンダの問いにマスターは頷く代わりにビールを飲む。

 「大したことを知っているわけじゃねえんだが」と前置きした彼は淡々と語り始める。

 きっかけは古い友人から来た手紙だった。その友人は何と海を渡り別の大陸で活躍しているのだと言う。

 この世界には二つの大陸がある。一つはザパンの街があるイーストファラーン大陸でもう一つはウェストリア大陸だ。

 大陸全土を踏破した者が存在しないため、地図と地図を繋ぎ合わせたものから推測するに二つの大陸の広さはイーストファラーンの方が二割ほど大きい。

 二つの大陸を隔てるのがテティス海で、大陸間の最も近い場所を直進したとしても船で三週間ほど進まねばならない。海が荒れることも多く、定期便は存在しなかった。

 「荒れる」というのは何も天候不順だけでなく、文字通り「荒れる」ことも意味する。

 大陸の至るとところにモンスターがいるのと同じで、海にも多数のモンスターが生息しているのだ。航海する船もモンスターにとってはおいしい餌に過ぎない。

 大陸から離れれば離れるほど巨大なモンスターに遭遇する確率があがり、そんなモンスターに襲撃された船はなすすべもなく海の藻屑になってしまう。

 

 それでも命知らずの航海士たちが海を渡ろうと挑んでいる。新天地で自分を試したいとか、様々な理由で大陸から離れたい者は後を絶たない。

 そのような者が命知らずの荒くれどもに高額な報酬を渡し、船を出す。

 マスターの古い友人は渡航に成功した数少ない者の一人というわけだ。ならば手紙を届けるのも困難なのかというと、船ほどではなかった。

 海を自由に渡る生き物がいる。海面は危険そのものだが、空の上であれば自由に行き来することができるのだ。

 そう、海を渡る生き物とは渡り鳥だ。渡り鳥は季節によって大陸間を横断する。渡り鳥に手紙を括りつけ、彼らの巣を整備しておけば回収も容易い。

 もっとも回収率が良いものではないが……。

 話をマスターの手紙に戻す。

 手紙には「さる貴族から依頼されて、スタンを紹介した。紹介状と多少の金は持たせているから面倒を見てくれないか」と書かれていた。


「そんでやって来たのがチハルだったってわけさ。貴族の紹介状を持ってな」

「どんな猛者かと思ったら、可愛らしい幼い女の子だったわけね」

「驚いたよ。まさかこんな小さな子がってよ。貴族の紹介状も本物。『多少』と言っていたが結構な金額だった」

「マスターのことだから、お金を受け取らずにチハルちゃんの家の手配でもしてあげたんでしょ」

「まあ、そんなところだ」

「それで、貴族の紹介状の方にはチハルちゃんが何者か書かれていたの?」

「チハルにはこの大陸に来た目的がある。彼女は悪意というものを知らないから、どうかよろしく頼む、みたいなことだけだったな」

「目的……ね」


 アマンダはすぐにチハルの目的について察しがつく。

 魔晶石ね。

 彼女の魔法的な知識は魔道具屋のクレアにも引けを取らない。魔力を含んだ石が魔石とするなら、魔晶石は魔力そのものが結晶化したもの。

 魔力を「含んでいる」ものなら「取り出す」ことはできるが、固体化した魔力を取り出すことはできないし、溶かすこともできない。

 チハルちゃんなら違うのかも。

 アマンダは不思議な愛らしい少女のにこやかな顔を想像し、口元に細い指先を当てる。

 もし、魔晶石の魔力が使えるのだとしたら……背筋が寒くなりゾワリと全身を震わせるアマンダ。


「でも、チハルちゃんのことだから、悪い事に使ったりはしないわ」

「ん? 何のことだ?」

「こちらの話。乙女とは秘密が多いものなのよ」

「ったく。チハルは普通じゃない。人間でもないだろう。でもよ。俺は見てみたい。悪意を知らぬ者が何を成そうとしているのかをよ」

「父親の気持ちなのかしら」

「俺はゴンザじゃねえぞ」

「どうかしら」


 マスターも気が付いていたのね。チハルちゃんが人間ではないと言うことに。

 当然と言えば当然かしら。彼は人を見るのが仕事だものね。

 一人納得した彼女はくすりと声を出す。

 彼女の笑い声に勘違いしたマスターが声をあげる。


「だから違うって言ってんだろ」

「チハルちゃん、何者だと思う? 精霊、幻獣……それとも伝説の人化した白竜、森エルフとかかしら」

「さあな。天使かもしれんぞ」

「ルチアとゴンザにとってはそうね」

「ガハハハ。そらそうだな!」

「聞いたからにはちゃんと彼女のこと、見守るわよ。安心してね」

「助かる。今のところ問題ねえ。チハルは何でも信じてしまうからな」


 恐らく、いや確実にチハルへ魔晶石のことや、彼女がやりたいことを聞けば「彼女なりの」という制約はつくが必ずいつもの笑顔で教えてくれることだろう。

 アマンダがチハルのことで聞きたいことはいくつもある。

 魔曲を奏でる時の無表情、魔晶石、彼女のおともだち……あげればきりがない。

 一番はアーティファクトと聞いた時に一度だけ見せた彼女の色が抜けた表情だろうか。あの時の彼女は魔曲を奏でていた時とは異なり、いつものチハルだった。

 彼女には笑顔か無表情の二つしかなく、怒ったり拗ねたりといった顔をみたことがない。見せることもあるかもしれないが、今のところアマンダは見ていない。

 彼女の感情表現が笑顔と無表情しかないのかも?

 だとすると、あの時の無表情の裏に込められた感情は何だったのかしら。

 考えても仕方ないか、と思い直した彼女はワインに口をつける。


「チハルちゃんの未来に乾杯でもしましょうか」

「飲みたいだけだろ。ワインを一本でいいのか」

「持ち帰り用にね」

「分かった、分かった」


 ワインセラーに顎を向けたマスターがペシリと自分の額を叩き、渋い顔をした。

 クスクスと笑うアマンダにつられてガハハと笑うマスターの酒宴は空が白むまで続いたのだという。

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