第11話 魔曲

 チハルは懐からフルートを取り出し、ちょこんと小さな口にそれを当てる。

 ――ワタシの記録を呼び出します。

 心の中でそう念じたチハルから表情が消えた。

 

「ピースメイキングの記録ログを実行します」


 辺りにこの場に似つかわしくない穏やかで暖かな音色が響き始める。

 この音を聞いた者はどれほど猛々しくいきり立っていても落ち着きを取り戻し、静かな気持ちになるものだった。

 この場にいた三人も例外ではなく、迷宮に挑むというのに木漏れ日の下で昼寝をしているかのような心持になる。

 

「魔曲……」

「なんすか。魔曲って。それにしても……これほど気持ちが落ち着いたのはいつ以来っすかね」


 アマンダの呟きにルチアが反応した。彼女の目はとろけ、すぐにでも寝そべってしまいそうな勢いだ。

 「私も噂でしか聞いたことがないんだけど」と前置きしてアマンダが説明を始める。

 

「海の向こう、別の大陸には魔曲と呼ばれる音楽を奏でる人がいたそうよ」

「チハルさんの故郷っすかね」

「うーん。チハルの故郷はともかく、魔曲を使う人は極めて稀だと聞くわ。完璧に演奏を行わないと効果を発揮しないことがネックなの。少しでも気が乱れたら瞬時に効果が途切れる非常に繊細な技術と聞くわ」

「魔力は結構使うんすか?」

「それが魔法じゃないから、魔力は使わないんだそうよ」

「それはすごいっすね! 自分も覚えたいっす!」

「完璧な演奏って、言うは簡単だけどとんでもなく修練が大変なんじゃないかしら」

「甘くはないっすね……」


 がっくしと肩を落とすルチアだった。

 一方で会話に加わっていなかったゴンザが懸念を示す。

 

「チハル。ピースメイキングとやらは今じゃなく、もう少し後にしないか?」


 ゴンザの声が届いているはずなのだが、チハルはフルートを吹き続けたまま何ら反応を返さない。

 カラスが彼女の頬を突っつくと、ようやく彼女の演奏が止まる。


「ワタシに不備がありましたか?」

「演奏は完璧だ。だが、ここじゃ、誰が聞いているのか分かんねえからな」

「…………」

「チハル?」


 急に糸がきれたようにがくんと首を下げたチハルに向け、ゴンザが慌てて彼女の名を呼ぶ。

 すっと顔をあげたチハルの目には色が戻っていた。

 

「ピースメイキングがダメなの?」

「違う。魔曲は素晴らしいものだ。だが、目立つ。チハルはリンゴを売って生計を立てているんだろ?」

「うん! 魔法のリンゴ」

「だったら、3Fまでは我慢しろ。他の探索者に聞かれたくない」

「いいの?」

「おう。1Fと2Fのモンスターなぞ、俺が秒で片付けてやる」


 ニカっと白い歯を見せ二の腕をポンと叩くゴンザ。恐らく子供が彼の顔を見たら泣き叫ぶ。それほど彼には似合わない不気味な笑顔であった。


「地図もあるっす! すぐっすよ。3Fまでなんて」

「そうね」


 フォローに入るルチアと相槌を打つアマンダに向け、チハルは満面の笑みを返す。

 話がまとまったと思ったところで、チハルが驚きの提案をしてきた。

 

「じゃあ、わたしは別の曲を演奏するね」

「別の曲もあるのか!」

「うん!」


 目を向き思わず叫ぶゴンザにチハルはにこにこして頷く。

 頭に手をやろうとした彼だったが、チハルが見ていることに気が付き中途半端な位置で手を止める。


「有難い申し出だが、魔曲はなしだ。チハルは俺たちの後ろをついてきてくれるか?」

「わたし、何もしなくていいの?」

「3Fから大活躍してもらうさ。それまでは休憩だ」

「くああ!」


 突然ソルの頭の上に乗っかっていたカラスが物凄い剣幕て囀った。


「モンスターの感知は任せろってクラーロが」

「分かった。頼りにしてるぜ。クラーロ」

「くああ」


 そんなこんなでひと悶着があったものの、一行は大迷宮を進み始める。

 が、歩き始めて数秒のところでアマンダがふうとため息をつき立ち止まった。

 

「待って。そのまま進むつもり? ゴンザ、ルチア、もう少し落ち着いた方がいいわ」

「そうでした。暗いままっす!」

「ランタンなら持ってるぞ」

「何のための魔法使いだと思っているの? ナイトサイト」


 アマンダが呪文を紡ぎ、先端にアメジストがはめ込まれた杖を振るう。

 すると、彼女らの視界が暗闇を見通せるようになった。

 今度こそ一行は進み始める。

 

 ◇◇◇

 

「魔法のリンゴ、食べる?」

「ナイトサイトしか使ってないわ。ううん、喉も乾いたし一つ頂こうかしら」


 3Fに続く階段の前で一行は一旦立ち止まって小休止をすることにした。

 リュックから魔法のリンゴを出したチハルは「はい」とアマンダにリンゴを手渡す。

 彼女は続いてルチアとゴンザにもリンゴを渡そうとするが、二人は首を振り水袋に口をつける。

 

「自分は魔力を使ってないっす!」

「俺に至っては魔力がないからな。ガハハハハ」


 チハルの申し出を無碍にしたわけじゃないと理由を述べる二人に向け、チハルがコクコクと頷く。

 水を飲み一息ついたゴンザは大活躍だったカラスにグッと親指を突き出す。


「助かったぜ。クラーロ」

「くああ」

「俺の言葉は分かるんだな。俺もお前さんの言葉が分かればいいんだが」

「くあ」


 ぴょんと飛び跳ねゴンザの逞しい肩に乗ったクラーロが気の抜けた鳴き声を出した。

 

「お前もなかなかやるじゃないか、って言ってるよ」

「そうか、そうか」


 チハルからクラーロの言わんとしていたことを聞いたゴンザがご機嫌に笑う。

 道中の敵はゴンザがハルバードを一振りするだけで、殲滅してきた。「秒で仕留める」と言った彼の言葉通りにここまで進んできたというわけだ。

 

 リンゴをちまちま上品に齧っていたアマンダが顔をあげふと疑問を口にする。

 

「ゴンザ。あなたのハルバードなら3Fでも問題ないんじゃない?」

「4Fでも問題ねえ。3Fは試運転。4Fは保険だ」

「ふふ。『俺は考えることは苦手だ』なんて見せて、チハルちゃんのこととなると可愛いんだから」

「そんなんじゃねえ。ったく。魔曲のことは何も分からねえからな」

「ならチハルちゃんに聞けばいいじゃないの。素直じゃないんだから」

「っつ。いちいち聡いさとってのも困りもんだな」


 オホホホと笑いだしそうなアマンダには強面の探索者ゴンザと言えども形無しだ。

 そんな二人の様子に不思議そうな顔を向けるチハルだった。

 

「どうしたの?」

「チハルちゃんはフルートをずっと吹き続けることはできないっすよね。というお話しっすよ」


 ぽんと手を打ったチハルが唐突にクラーロへ話を振る。


「ん? そうなの? クラーロ?」

『俺に聞くんじゃねえ。リュートと違って息が続かなくならねえかってことじゃねえのか』

「そうでもないよ?」

『つっても、睡眠時は違うだろう』

「そうか! わたしはずっと起きていられないものね」


 納得したようにうんうんと頷くチハルであった。

 彼女の隣で腰かけるルチアが「くうう、チハルちゃんマジ天使」と両こぶしを握りしめていたのはご愛敬である。

 

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