第10話 いざ迷宮へ

 その日の晩、チハルは布団をかぶり、止まり木で眠ろうとしていたカラスのクラーロに「おやすみ」の挨拶をしていた。

 

「おやすみ、クラーロ」

『おう。迷宮には俺もついて行くからな』

「うん! みんな、一緒だね」

『全く……あいつらに手伝ってもらおうって腹だよな』

「ちゃんとおはなしするよ」

『断られてもがっかりするなよ』

「チハルと一緒に行ってくれるって。わたしは小さいからダメって、言わない人たちだったの」


 それがとても嬉しいと、ぎゅっと布団を握り目尻を下げるチハル。

 「俺はいつも一緒に行ってんだがな……」とぼやき、「くああ」とやる気なく鳴くクラーロであった。

 するとチハルがクラーロに言葉を返す。

 

「クラーロとソル、たまにしか戻ってこないけどルルーもみんな大好きだよ。わたしといてくれてありがとう」

『何言ってんだよ。俺がいたいからいるだけだ。くああ』


 照れたカラスはそっぽを向いて寝たふりを決め込む。

 「えへへ」と嬉しそうにしていたチハルもまた、目をつぶる。眼を閉じたと同時にチハルは眠りに落ちた。

 

『どうなることやら。人間のことは分からねえ。まあ、あいつらがチハルをどうこうってのはないだろ』


 あいつらは、な。

 とカラスが心の中で呟く。


 ◇◇◇

 

「街の北出口なんてあったっすか?」

「最近はあまり使われなくなったんだがな。俺がガキの頃はまだ街の外に家もあったんだぜ」


 胸だけを覆う革鎧と腰に二本のダガーを佩いだ姿のルチアに問いに、重装備のゴンザが応じる。

 ゴンザはゴンザで背中にハルバードを背負い、鎧に身を固めていた。それだけでなく、重い荷物も彼が持っている。

 その後ろにはトンガリ帽子にローブのアマンダといつもの格好をしたチハルが続く。

 約束通り、早朝にギルドへ集合した彼らはさっそく大迷宮へ向かうことになった。

 揃ってギルドを出た所、チハルが街の北に寄って行きたいと申し出て今に至る。

 

「おともだちが待っているの」

「あの子かしら。お外で待たせているの?」

「うん。クラーロがそうしたほうがいいって」

「くああ」


 アマンダは先日見かけた黒豹のことに思い当たったらしく、口元に指先をあて「ふふふ」と微笑を浮かべた。

 カラスが囀っているが、チハル以外には「くああ」にしか聞こえないため彼の言ったことはアマンダには伝わっていない。

 当のチハルは特にカラスの言葉を伝えようともしていなかった。クラーロが伝えろと言えば伝えるが、言われない限り察して行動するといった考えがチハルの頭にはない。

 

 街の北出口には人影がなく、出口のすぐ傍で黒豹が前脚を揃えお尻をつけた姿勢でじっとチハルを待っていた。

 チハルが一歩、北出口から踏み出した途端に黒豹が彼女に飛びつくようにしてじゃれる。


「お待たせ」

「グルル」


 喉を鳴らす黒豹の頭を撫でるチハルにゴンザが目を見開く。

 女子二人は二度目となるから慣れたもので、一人と一頭の様子を穏やかな目で見つめていた。

 

「お、おい。アマンダ。あいつは」

「チハルちゃんの『おともだち』よ。とっても仲が良いらしいわ」

「人に慣れるような生き物なのか……。確かにむやみやたらに襲い掛かって来るような奴じゃないが……」

「チハルちゃんが来るまでじっと待っているなんていじらしいじゃない」

「チハルの交友関係にビックリだ。まあ、あいつがチハルを護ってくれるってんなら万が一もねえか」


 元来余り考えることがないゴンザはあっさりしたもので、ガハハと笑いあっさりとこの状況を受け入れる。

 達観した二人に対し、ルチアは眉をひそめアマンダの耳元で囁く。


「牙を向くことはないって分かってるっすけど……」


 頭では分かっていても、近寄るのは怖い。歯切れの悪いルチアの言わんとしていることはそんな感じだった。

 ところが、次のアマンダの一言でルチアの懸念など全て吹き飛ぶ。

 

「あら。チハルちゃんと手を繋ごうとでも思っていたの?」

「え。いいんすか!」

「ダメ。あなたは罠を警戒しなきゃ。だから先頭よ」

「やっぱりっすか」

 

 シュンとなるルチアの肩に手を添えアマンダが一言。


「チハルちゃんはあの子がいれば大丈夫」

「何しろ幻獣ガ……むぐう」

 

 ルチアがアマンダに口を塞がれる頃、黒豹のソルがチハルを背に乗せ準備が整う。

 チハルは大きなリュックを背負ってご満悦の様子だ。


「ソルも一緒に行きたかったの」

「もちろんよ。ソル。よろしくね」

「グルル」


 てへへと頬をかくチハルににこやかな笑みを返したアマンダはソルの額を撫でる。

 ソルは嫌がる様子もなく、目を細め喉を鳴らすのだった。

 

「平気なんすか」

「とっても手触りが良いわよ。高級なベルベットなんかよりずっと。チハルちゃん、ルチアもソルを撫でていいかしら?」

「うん!」


 恐る恐るソルの頭を撫でるルチアだったが、彼に触れた途端に「おおお」と驚きの声をあげる。

 アマンダの言う通り、どんな絨毯よりも手触りがよく彼に体ごと抱き着いたらどれだけ気持ちいいのかと思うとニヤニヤが止まらないルチアなのであった。

 腕を組み、じっと三人と一頭の様子を見守っていたゴンザにチハルが声をかける。

 

「ゴンザさんもどうぞ」

「俺もか。いや、俺は……」


 などと言いつつもチハルの純真な金色の瞳に弱いゴンザもルチアに続きソルの背中を撫でる。


「確かにこいつは、良いな」

「えへへ」


 ソルを褒められたチハルはにへえと蕩けるような表情を浮かべるのだった。

 「それじゃあ行くか」とゴンザが歩き出そうとするが、アマンダが待ったをかける。

 

「街の外を回って行きましょう」

「その方がいいか」


 二人は黒豹のソルが人目につかぬようチハルに道順を相談するも、当のチハルが乗ったソルはのっしのっしと歩き始めていた。

 街の入り口ではなく、外を回る方向に。


 街中を通るより10分ほど時間がかかったものの、一行は特に何も問題なく大迷宮の入口に到着する。

 ぽっかりと開いた下へ降りる階段の前でソルから降りたチハルが三人を真っ直ぐ見上げた。

 

「ゴンザさん、アマンダさん、ルチアさん。お願いがあるの」

「怖くなったか? 今日じゃなくとも、いつでもいいんだぜ。行かずでもいい」

「ううん。そうじゃないの。行きたいところがあるんだ」 

「どこに行きたいの? チハルちゃん」


 選手交代、アマンダが目線をチハルと合わせ優し気に問いかける。

 すると、彼女はとんでもないことを口にした。


「25階に。わたしじゃ開けることができなくて」

「に、にじゅうご階っすか!?」

 

 ペタンとその場で尻餅をつくルチアをアマンダが手をかして引っ張り上げる。

 これには流石のアマンダでも驚きを隠せない様子で、完全に表情が固まっていた。


「チハル。道中、幾度となくモンスターを退けなくちゃならねえ。俺たちがそいつは何とかしたとしても、散歩して戻って来るという距離じゃねえぞ」

「道はソルが。モンスターはわたしが大人しくするよ」

「くああ」

「クラーロはモンスターがどこにいるか教えてくれるの」


 チハルは「俺も俺も」とアピールするカラスのことも紹介する。

 一方で俄かに信じられないことを口にしたチハルに対し、絶句する探索者三人。

 最も早く再起動したのはアマンダで、ふうと長い息を吐いた後、残りの二人に目配せする。

 

「分かったわ。チハルちゃん。案内してくれる?」

「うん!」


 黄金の瞳を輝かせ、チハルが元気よく頷く。

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