第22話 コボルトの洞窟

 最低限の荷物だけを持ち、早馬でかけること二日。コボルトの洞窟に辿り着いたアネストたちは、馬から降りて洞窟に入る準備をする。馬は近くの木に長い綱でくくりつけ、ある程度自由に動けるようにしてやる。


「テッドが言うには、ここでセフィラを置いてきたってことだが」


 コボルトの洞窟。等級は四級と、中級の上位という話だった。だだっ広い平原に、申し訳程度に木々が生えている。そんなのどかな風景の中で、不自然な人工物が視界に入る。傍からみると、岩と積み上げて作られたただのアーチ。だが、アーチの真ん中にはありえないことに、洞穴が口を開けて誘っているようだった。


「コボルトの洞窟は表から入るか裏から入るかで、ダンジョン内に出る場所が変わるってことらしいのだけど」


 テッドは裏からコボルトの洞窟に入ったと言っていた。この平原のただなかに放置されているような、アーチのどちらが表で裏なのか。


「勝手に冒険者がダンジョンに入らないように、冒険者ギルドの衛士が在中しているはずだ」


 視界を遮る者は殆ど無い。それは隠れる場所はないということだ。

 当てにしていた人物が見つからず、焦るアネスト。ローウェンとリーンはアネストに落ち着くように促すが、いつものアネストと違いすぐに落ち着くことはなかった。


「くそっ。なんでこんな時に限ってサボってやがるんだ」


 ゴーン国でも、ダンジョンの衛士はサボっていることが多かった。もちろん全ての衛士ではない。人気がないダンジョンや、あまりにも高ランクのダンジョンでは冒険者も挑戦しにこないのだ。それを見越して、ダンジョンの監視を怠り街で遊び回っているか、副業をしている者がいた。


「いや。ここの衛士はまじめだったようであるぞ」


 ローウェンがダンジョンの入り口であるアーチの近くの地面を指し示す。そこには、血に濡れた草葉があり、何かをダンジョンまで引き摺ったような跡が残っていた。


「やつら、犯行が発覚しないように目撃者を始末したようだな」

「だったらどうしたら……どちらが表で裏かなんて、オレ達には分からないのに」

「いや、この引き摺った後が物語っているではないか」


 ローウェンの言うことが分からず、意識せず食ってかかりそうになるアネスト。リーンがアネストの右腕を抱きかかえるように止め、仲間割れを防止する。


「落ち着け。本当にお前らしくない。人を殺すのに一番簡単な方法は何か考えれば、すぐにわかるはずだ。やつらはダンジョンから戻って、出迎えた衛士の隙を突いて殺したに違いない。向こうから獲物が無防備に近づいて来ただろうから、簡単だったろう」

「つまり……」


 平常心を失ったアネストが落ち着き始めたのを感じたのか、ローウェンが張り詰めた気分を霧散させるように溜息を吐く。


「頭が回り始めたようであるな。そうだ、死体を直ぐに隠したいからこそ、ダンジョンに放り込んだのだろう。つまり、行動の流れ的に衛士の死体が放られた入り口が裏ということである」


 アネストは背中の大剣を引き抜くと、ダンジョンの裏口の前に立つ。


「リーン! ナビゲートは任せる。裏からダンジョンに入れば何処に出るか分かるか?」

「裏からは比較的ダンジョンの深層側に出るみたい。場所は複数の場所に印があるから、ランダムで決定されるみたいね」


 裏口が分かっても、入った途端にランダムに飛ばされるのでは、セフィラを探すのに時間がかかる。アネストはしらずしらず舌打ちをしたが、ここからは時間との勝負だ。一人だけではなんの力も使えないセフィラが、中級ダンジョンで長く生存できるとは限らない。


「行くぞ。セフィラを助ける」


 決意を込めた言葉に続くように、三人はダンジョンに足を踏み入れていった。




 セフィラは荷物になりそうな戦利品を先程の休憩場所に捨ててきた。そのときに、コボルトから剥ぎ取った骨のナイフがあったので、それだけは拝借してきた。居なくなったとはいえ、戦利品は冒険者に所有権がある。アネストと違って特別報酬の約束もしてないので、最低限の物だけを貰ったのだ。


「風は――吹いてないですね」


 いくら洞窟型のダンジョンでも、低層なら風が吹いているはずだと思っていたのだが、当てが外れてしまった。

 T字路になっている箇所までくると、壁に張り付き左右を確認する。どちらにも魔獣が居ないことを確認すると、気が抜けてズルズルと地面に座り込んでしまった。


 頼みの綱とは言えない骨のナイフを抱えてうずくまるセフィラ。気を抜いてしまえば、涙が出てきそうになるが、ダンジョンで平常心を欠くのがどれだけ危険か、今までの経験で知っている。全滅した冒険者たちは、必ずと言っていいほど最期には平常心を捨ててしまっていたのだから。

 深く、深く。耳に聞こえる位に深く強く呼吸を繰り返す。そうこうしている内に、少しだけ落ち着いたセフィラは歩き出す方向を決める。


「こっちの方が少しだけ獣臭い気がします」


 危険と感じた方に背を向け、ゆっくりと薄暗い洞窟を歩き出す。一人で洞窟に放り出されたからこそ、今まで家で使わせてもらっていた魔法使いのスキルの有用性が実感できた。


「帰ったら、お土産でも持っていきましょう」


 言葉にしないと不安になりそうだった。ここで弱気になれば、本当にダンジョンに取り込まれてしまいそうだった。心の中で時折顔を覗かす暗い感情に蓋をして、ゆっくりと進む。

 どれだけ進んだのか。一度、上へ向かう階段を見つけて登ったから、出口に近付いていることは間違いない。コボルトに見つからないように、分かれ道に下の方に傷を付けていた。それも功を奏したのかもしれない。同じ場所をグルグル回らずに済んだのだから。


 もうどれだけ歩いたのか感覚が麻痺してきた。いつもはゴーストのスキルでほとんど疲れ知らずだったが、誰の力も使えない今では滝の様の汗を流していた。疲れからくる汗と、恐怖からくる冷や汗だ。


「明るい?」


 洞窟に明るい光がチロチロと舐めるように現れる。弧を描くようにつづく通路の向こう側から、何かがやってくる。


 ――冒険者?


 希望が胸に沸いてくるようだった。もしかしたら、誰かが助けに来てくれたのかもしれない。もしくは、ダンジョン攻略に来たのかも知れない。

 徐々に近付いていくる光。希望の光に見えたそれは、複数の影を作りだしていた。セフィラは最初、冒険者のパーティだと思った。けれど、影の形に違和感を感じた。

 頭の所に、人間には見かけない尖った何かがあるのだ。


 音を立てずに直ぐに後ろへ下がるセフィラ。いま来た道を戻るように忍び足で駆けて逃げる。口に手を当てて乱れた呼吸音が外に漏れないように防ぐ。


 ――息苦しい。怖い。


 平常心を失った者からダンジョンでは死んでいく。

 さきほどまで自分で自戒していたのに、セフィラは通路につけた印を見逃し進んでいく。

 その先に、コボルトの集落があるとも知らずに。

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