第13話 魔の森

 街道を歩き続け、魔の森が見えてきた。

 以前、来たときとは明らかに異質な雰囲気。冒険者ギルドが作った防壁を乗り越えるように森が広がっている。まるで、来る者をのこらず飲み込むような淀んだ空気が満ちている気がした。


「警戒!」


 アネストが声を張り上げる。アネストの声を聞いた瞬間、体の中に熱い鉄の芯が通ったような感じになる。すぐに荷物を降ろし、腰のナイフを抜き放った。

 ダンジョンから魔獣が出てくるわけでもない。不気味な程に静まりかえっている。なのに、アネストは一向に警戒を解かずに周囲を伺っている。

 周囲を見回すと、ダンジョンの入口から少し離れた場所に、いくつかのテントが見えた。焚き火の跡も見え、冒険者たちがここをキャンプ地にしているのは明白だった。冒険者ギルドが用意したと思われる馬車も、近くに――馬が見るも無惨な姿で殺されている。所々に骨が見えるほどに深い傷があり、地面に倒れ込んでいた。


「アネストさん、あれ」


 アネストも気付いているとは思うが、言わないわけにはいかなかった。それほど、馬の死に方が不自然だったからだ。あれは武器による傷じゃない。


「セフィラ。入口付近で燃えると毒煙をまきちらす植物は繁茂してるか」

「えっと、いくつかあります。しびれと幻覚を見せる毒草があるはずです」

「ローウェン。炎系は禁止だ。それ以外で頼む」

「わかった」


 ダンジョンの入口はセフィラたちを取り囲む不気味な雰囲気とはうって変わって静かだった。冒険者は全員がダンジョンに潜ってしまったのか。普通なら安全をとり、一、二パーティは待機させておくのがセオリーだった。


「静か過ぎるな」


 ローウェンが皆の心の内を代弁するかのように口にする。


「セフィラ。魔の森が浸食を開始していると思うか」


 それは確信をもった質問だったのだろう。アネストは一切、油断を見せない。


「防護壁をダンジョンの木々が乗り越えています。明らかに、普段とは違います」


 ダンジョンが浸食しているとは言えなかった。セフィラは浸食を開始したダンジョンを見るのが初めてだったのだ。普通のダンジョンと何が違うのか、何が危険なのか。予測で答えることがどれだけ危険なことかだけは分かる。だから、以前の記憶と違うことだけを答えた。


 全員がダンジョンの入口に注意を払っていると、すこし離れた場所からくぐもった声が聞こえてきた。

 冒険者たちのテントの方からだ。

 テントの中に怪我人でもいるのか。幸いにも薬草や解毒薬は大量に備えてある。自然とそちらへ足が向こうとするのを、アネストが肩を掴んできて止めた。

 何を……という言葉は口から出なかった。アネストが肩を掴んでくる力がとても強かったからだ。ゴーストのスキルを使っていなければ、痛みに顔をしかめたかも知れない。


 テントが揺れる。テントの入口がゆっくりと広げられ、冒険者たちが姿を現した。

 ところどころ怪我をしているようで、体に包帯がいくつも巻かれている。

 やはり怪我人がいた。人数は五人。これなら、治療しても自分たちの分に影響はないはずだ。そう思いアネストに声をかけようと思った瞬間、冒険者の一人にナイフが突き刺さった。


「――!」


 なんとか悲鳴を出すのだけは堪えられた。こんなところで大きな声を出すわけにはいかない。 冒険者の額に深々と突き刺さったナイフ。だれがナイフを投げたのかなんて、すぐに分かった。直ぐ隣で風切り音が鳴ったのだから。けれど、そちらに振り向くことが出来ない。

 なぜなら、額にナイフが刺さっても何事もなかったかのように、冒険者が立ち上がりこちらに向かってくるのだから。


「うっ」


 そよ風にのって流れてきた臭いに顔をしかめる。風は冒険者がいる方向から流れている。これは、腐臭だ。


「セフィラ。魔の森にアンデッドはいるのか」


 自然と涙がにじむ。臭いを我慢して首を振る。


「魔の森は植物型と魔獣型の魔物だけです。アンデッドなんて……うぷっ……聞いたこと、ありません」


 喋り、呼吸をすることで多くの腐った空気を吸ってしまい、嘔吐いてしまう。


「ローウェン。さっきの言葉は今だけ撤回だ。あの冒険者たちを燃やしてくれ」

「ああ」


 キマイラのときに見たスキルでローウェンが冒険者と、馬を燃やしていく。業火のなかで踊り狂いながらも、こちらへ近付こうとする冒険者たちが、恐ろしかった。

 魔の森の入口が遠くに見える距離まで退避する。冒険者を焼き尽くした後、アネストがすぐに離れるべきだと提言したからだ。


「悪い。思った以上に厄介なことになった」


 アネストにいきなり謝られて、目を白黒させる。緊急依頼で、しかもダンジョンの浸食なのだから、厄介なのは分かりきっていたはずだ。


「魔の森が、別の世界に浸食されている」


 意味が分からなかった。浸食しているのは魔の森なのではないのか。ローウェンとリーンはアネストの言葉が理解出来ているようで、終始、厳しい表情を崩すことがない。


「しかも厄介な事に、別の世界はアンデットの世界だ。炎が有効なのに魔の森のせいで炎がまともに使えない」

「ちょ、ちょっと。別の世界ってなんですか」


 話が分からないまま進んでしまい、つい口を挟んでしまった。


「アネスト。この際だから、セフィラに話した方が良いと思う」

「私もその方が良いと思う。このまま浸食されたダンジョンを放っておくことは出来ない。緊急依頼以前に、この世界が侵食されるのだけは看過できない」


 アネストが昨夜に語ってくれた目的は『要は、オレたちは全部のダンジョンを攻略する』だ。ダンジョンを放っておくと、ダンジョンの中心のゲートを通じて、他の世界から侵略を受けてしまうから。ゲートの大きさは徐々に大きくなるため、いきなり他の世界に浸食されることはない。だからといって、ダンジョン攻略にまごついている暇もない。


 今回の魔の森は、この世界に浸食してきていた魔の森が、別の世界から浸食され、その影響がこちらにも来たのだろうということだった。ややこしいことに、浸食をしてくる側も、ほかの世界から浸食される可能性を秘めているという。


「魔の森は他の世界に浸食された。もう、魔の森を構成していた世界は存在しない。アンデッドで構成された世界になっちまった。死の森って感じか。もうここは、全く新しいダンジョンだと思った方が良い」


 浸食を開始したダンジョンですら緊急事態なのに、さらに新しく生まれたダンジョンとなれば危険度は確実に跳ね上がる。アネストが謝ってきた理由をセフィラはやっと理解できた。


「はあ……、今更ですよ。安心安全にダンジョンに潜れるって条件で依頼は受けましたけど、自分でも家に帰れるように努力しますよ。ゴーストのスキルのことを教えて、何もしませんなんて思ってないです。それとも、アネストさんは私が寄生するだけのお荷物だと思ってるんですか」

「何でオレにだけ当たりがきっついのかなぁ。セフィラの力を当てにさせてもらえるなら、遠慮無くさせてもらうけどよ」


 セフィラとしても、魔の森あらため死の森の奥深くには行ったことがない。自身の目的のためにも、自ら行動するのに否はない。


「セフィラ。本当にいいの? 多分、想像以上に危険よ」

「大丈夫ですよ。アネストさんが命がけで守ってくれますから。約束したんですから、ちゃんと戻れるって」

「お、おう」


 引きつった顔のアネストに、セフィラは満面の笑みを浮かべた。

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