第202話

 だけど、生きていくだけなら、日々の稼ぎでなんとかなっても、銀行に借りた金を返済するのはとっても無理だ。金を借りる時に、担保にしたマンションを手放すのも仕方ないさ。ご先祖さんから引き継いだ土地を売るなんて申し訳ないようだけど、自分の命の方が大事だ。


 どうせ遺産を渡すはずの息子はとんずらしちゃったんだ。あんなマンションはさっさと売り払って、店をたたんで、気楽に暮らせばいいんだ。


 店を見回す。壁一面に作られた書棚には、紙のファイルが一面に詰まっている。今はぜーんぶ、パソコンだもんね。それでもついこの前までは、店に活気があったのに、今じゃまるで瀕死のセミみたいだよ。バタバタもがいてさ。


 「瀕死のセミ? なんだろうね、それは」と自分で言って笑う。


 アスファルトに転がった瀕死のセミ。死にかけだけど、気分は悪いばっかりじゃない。あがきながら、青空を見上げている感じなんだよね。なんでだろうね。息子も失って、店ももうおしまい。いいことなんか、一個もないみたいなのに。


 「ああ、そうか」と思いついて、頷いた。


 こんなお店のピンチには、必ず聞こえた「声」が聞こえないんだ。「声」が聞こえてくると、自分の心が知らないうちに曲げられているみたいな感じがしたもんだ。あの可愛い女の子のお願いはいつも、たいしたことじゃない。モビールを空き室に飾るだけ。

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