第171話

 こんな時なのに延滞料金の心配か、と思うと可笑しくて、自分で笑ってしまう。それが自嘲の笑いだとしても、自分が笑えるということにホッとした。結局、レンタカーは返却しなかった。レンタカーを返しに行かないといけないから、無事に帰れる……という願掛けみたいなものだ。


 店長のコンビニから南由のマンションは近い。車なら二、三分だろう。マンションの住民の来客用の駐車場に勝手に止める。本当はマンションの管理人に断らないといけないのだが、夜間は不在だ。


 それにもしも「無事に」帰れなかったら、置きっぱなしのレンタカーを誰が借りたものか、ということが問題になり、遠からず見つけてもらえるだろう、という保険でもある。命を落とすことになったとしても、ずっと放置されるのは避けたい。


 プラスのドライバーが入ったコンビニエンスストアのビニール袋を持ち、グローブボックスから赤いスマートフォンを出す。すでに充電は切れていて、画面は真っ暗だ。


 スマートフォンはそのままポケットに入れ、エレベーターに向かう。ボタンを押すとすぐに扉が開いた。スムーズ過ぎて、かえって嫌になる。罠の中に自分で飛び込んでいく気分だ。


 エレベーターの小さな箱。二階、とボタンを押そうとして思い出す。南由に会いに行く時はいつも、エレベーターの扉が開ききる前に乗り込んで、扉が閉まる前に、階数ボタンを押していた。閉まるボタンを連打したこともある。

 それなのに今は、指先が階数ボタンを押すのを拒否しているのが悲しい。

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