第101話

 「ただ、使ったところを消しただけだろ? ただの粗品にしても、新品をくれればいいのにな」というと、永里が顎に人差し指をあてて言った。


 「でも、やっぱりちょっと、変ですよね。忘れ物でもないのに、わざわざ追いかけてきて、ボールペンと手帳を渡すなんて」


 「そうだね、そう言われてみれば」


 永里は思い出したように、日傘をポンと開いた。一時停止を解除したように、急に暑さと騒音が戻ってきて、そっと息を吐く。


 「ちょっと冷たいものでも飲みましょう」


 永里が手を伸ばし、俺の手を取って歩き出した。永里を不動産屋のドラ息子から遠ざけようと自分から手を繋いだ時は、なんとも思わなかったのに、手を握られると手ばかりが気になる。手を繋いだくらいで、と自嘲してみたところで、勝手に体が反応して鼓動が早くなってしまう。


 どちらからともなく、指と指をからめた。永里が歩調を緩め、そっと体を寄せてくる。シャラ……と、どこからともなく音が聞こえてきた。鈍い頭痛が、思考を奪う。頭の中がぼうっとして、お腹の中に甘いしびれが生まれる。


 『いいなぁぁ、ほしいなぁ……』


 耳鳴りの様に、頭の中に甲高い女の子の声が小さく響く。そして誘惑する。


 『あたしがほしいのは、なゆ。その子はいらない。その子はあげる。なゆ、ほしいなぁ……』


 「そんな、こと」


 頭の中で反論しかけたら、ギリッと脳を直接つかまれるような頭痛が一瞬走った。

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