第89話

 一瞬、間をおいて、永里の頬からツーッと血がしたたって、テーブルに落ちた。永里はテーブルの血を見ると頬に手をあてた。血が付いた指先を、信じられない、というように見つめた。


永里の前に置いてあった、アイスティーのコップが突然割れて、永里の頬に破片が飛んだのだ。


 「なんで……?」と永里が涙を浮かべる。


 「永里っ! 大丈夫?」と、伸ばした俺の手を、三浦がバシッと払い、永里の腕を掴んで立ち上がった。


 「触るな! 永里に怪我なんかさせられない。潮田も死んでいるんだ。こんな訳の分からない、悪霊なんかに関わっていられるか! 僕たちはもう手を引くからな。永里、行くぞ」と言うと、千円札を二枚、テーブルに叩きつけた。


 三浦の言葉に反論することは出来なかった。三浦の言うとおり、もう永里を巻き込むのはやめた方がいい。


 「ああ、わかった。永里、巻き込んでしまって、本当にごめん……」と、頭を下げると、そのまま顔を上げられなかった。


 (なぜグラスが割れたんだ……? それにしても、永里の顔に傷を付けてしまった。傷跡を残さずに直るかな……)と、とめどなく後悔が襲う。


 永里が三浦に腕を引っ張られて立ち上がり、出口に半ば引きずられるようにして歩いて行くのを気配で感じた。


 「あ……」と、永里が何か言おうとした。なに、と聞き返そうとして、顔を上げて離れていく永里を見ると、やめればいいのに、永里は俺の方に手を伸ばした。

 たぶん、さよなら、とか、また、とか挨拶をするつもりだったのだろう。それとも、ただたんに、それまでいた場所から急に引き離されたので、無意識に手を出しただけか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る