第71話

 ひっ! と喉がなってしまった。


 壁に押し付けられた少女の手の指が、爪を立てるように曲がる。そのまま、ぎぎぎぎぎぎぎ、と壁を引っ掻き、ゆっくりと私の方に顔を振り向けた。


 「……この人、おにーちゃんだよ」


 灰色の目の少女が言うと、いつのまにか見覚えのある人が少女の隣に立っていた。少女を高い高いするように持ち上げ、天井にも手形をつけさせた。

 こんなに不安なのに、知っている顔を見て、余計に怖くなるなんて、この人以外にはありえないだろう。潮田さんだ。そういえば、通勤の行き帰りにすれ違うことがあった。そんなとき、「偶然だね」というのがいつもの台詞。

 偶然なんかじゃなかったんだ。イライラしてまた爪を噛んでしまった。

 その手を少女に捕まれた。


 「なゆ、見て。ほらね、おかーさんはあたしのお願い、聞いてくれたでしょ? ペタペタ、なゆも、やりたぁい?」


 …………………っ!


 少女が舌ったらずな口調で名前を呼ぶのを聞いた瞬間、私は声なき悲鳴をあげて意識を失い、その場に崩れ落ちた。

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