現在⑦
久しぶりに見る妹は、すっかり大人になっていた。
警察に来てから、わたしの記憶はあいまいだ。どれくらい時間が経ったのか、何を聞かれているのか、誰が話しかけているのか、とらえられないままとろとろと過ぎていく。
自分の周囲の景色や音が、全て分厚いゼリー状のものに包まれているような感覚だった。
ぷるんとした柔らかいものに囲まれて、わたしはただただ幸福な日々を思い出していた。心の中は穏やかに凪いでいて、何も怖くなかった。
妹の顔を見るまでは。
面会に誰かが来ていると、確かに言われたような気がする。どうでもよくて、適当に答えた気もする。
身柄を拘束されたときから、人との会話は輪郭をなくしていて、ゼリーに吸い込まれていた。
扉を開けて面会室に入ったとき、すぐに、妹だということが分かった。
母によく似た、小さな鼻と色素の薄い目をしていた。
急激に、周囲を覆っていた生暖かいものがはがれていく。氷のようにひんやりとした空気が背中を駆け上がった。
妹。
この世で最も憎たらしい、血を分けた妹。
自分を憐れむような顔で見ていた、十年前の妹の顔を今でもありありと思い出せる。憐れみながら、蔑みながら、自分だけはああなりたくないという顔で、一緒に暮らしていた妹。
腹の底から、苦い塊がせりあがってきた。
今吐いたら、きっと、どろどろの黒い化け物が出てきて、妹を食い散らかしてくれるに違いない。
そう思ったけれど、吐き出されたのは今朝出されたパンや牛乳の混ざったものだった。面会室に酸っぱいかおりが充満する。
後ろにいた警察官が慌てて出てきて、わたしの腕をとる。わたしの嘔吐は止まらなかった。胃の内容物が全てなくなっても、胃液を絞り出すように吐き続けた。
透明なアクリル越しにいる妹が、不快そうに顔をしかめるのが見えた。
ああ、あの顔だ。何度もわたしをみじめな気分にさせ、生きる気力を奪ったあの顔だ。
呪いを含んだ怒りがわき上がってきた。
わたしは床に落ちた吐物を手ですくい上げ、アクリル板に叩きつけた。
通声穴から吐物が飛び出し、妹の顔に少しだけかかる。たまらなく愉快になって、わたしは大声で笑った。
いつの間にか警察官が増えていて、わたしの両腕を拘束していた。耳もとで怒声が聞こえるが、わたしは気にしなかった。
羽交い絞めにされながら、わたしは笑い、しかし頭の奥の方は奇妙に静まっていて、唖然とした顔をする妹を冷静に眺めていた。
綺麗な顔に汚れがついているのを見て、ようやく溜飲が少しだけ下がったような気がした。
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