出演者③ - 自殺中毒者
「さあ、死ぬか」
生暖かい夜風が靡く札幌のとあるビルの屋上。
そこに少女は立っていた。
ビルの屋上は落下防止の為に2メートル程の鉄格子が張り巡らされているが、少女は既にその外に居る。
どこか吹っ切れたようで悲しい顔。
そして右手の服から垣間見えるリストカットの生々しい痕が、少女がこれから何をしようとしているのかを端的に表現している。
そう彼女は────自殺を図ろうとしているのだ。
彼女に迷いは無かった。
死んだ方がマシと思える程の腐った生活。そんな日々からようやく解放されるのだから。
強いて心残りを上げるならば、最後まで味方でいてくれた母親をきっと泣かしてしまうぐらいだろうか。
それ以外はどうとも思わない。全員死んでしまえばいいとすら思っている。
しかし、彼女は優しさ故に、人を殺める事など出来きなかった。
しかし、殺めなければ彼女に平穏は訪れない────だから彼女は、死という名の孤独な平穏を選ぶ事にしたのだ。
ビルの上から札幌の街並みを見渡し、大きく深呼吸をする。
ジリジリと足の先を空中へと進めて行き、飛び降りる準備を進める。
怖くない。といえば嘘になる。
死への恐怖はもちろんある。しかし、もしここで戻れば、それ以上の恐怖と地獄が待っている事を彼女は知っている。
だから深呼吸をしながらまた少し、また少しと足の先を出して行く。
そして、彼女は両手を鉄格子から離し、さながらタイタニックのワンシーンの様に大きく左右に開いた。
────あぁ、やっと楽になれる。
そうして彼女はビルから飛び降り、地面に赤黒い血を塗りたくる────筈だった。
「ねえ、その死に方、本当に後悔しないって言い切れる?」
突如として少女の耳に届いた何処と無く飄々とした声。
その声は少女の気持ちなど、まるで無視した様に爛々としたテンションで一方的に話を盛り上げる。
「俺はオススメしないな!飛び降りって痛いし!後、この高さなら落ちた瞬間即死しない確率が少しだけあるんだよね。首から落ちれば即死だろうけど、足から落ちた場合は死な────」
「誰ですか」
突如として現れた西洋人風の男の意気揚々とした声を、少女は冷徹な声で遮った。
怒りを含んでいるとも捉えられる少女の声は男のテンションを一時的に下げるが、男は少し驚いた顔をした後に「ああ、ごめんごめん」と言いながら再び言葉を紡ぎ始めた。
「俺はフェイル。フェイル・アドゼーフだよ」
「違う」
少女はこんな雰囲気でサラッと自己紹介をする男にさらに苛立ちを露わにしながら言葉を肉付けして行く。
「名前なんて聞いてない。何で……何でこんな所にいるの」
少女は目の前にいる異常者とも取れる男に対して、若干の恐怖心を抱きながら質問をする。
下から自分の姿を発見して、慌てて上に登ってきたのだろうか。
それにしては目の前の男は汗一つ掻いていないどころか、息のひとつも乱れていない。
このビルの従業員なのかとも思ったが服装や立ち振る舞い、そして外国人国籍の人間である事から、その可能性は低いと思われる。
それ故に少女の男に対する警戒心は、より一層深くなって行く。
「何でって……ん〜
「……?」
この男は何を言っているのだろうと言わんばかりに、困惑した顔を少女が貼り付けていると、男は再び登場時と同じテンションを取り戻しながら言葉を再び紡ぎ始める。
「俺は昔から鼻が良くてさ。誰かが死ぬって気配を匂いで感じ取れるんだよね。それで君を昼から付けてたら案の定でさ」
目の前の男は何を言っているのだろうか。
死の気配を匂いで感じる────
現実的に考えればかなり無理がある話なのだが、目の前のフェイルと名乗る男には妙な説得力があった。
この場においてここまでの冷静を保てる異常感と、先程から顔に浮かべている不気味な笑み。
フェイルが放つ独特な雰囲気が少女の心を揺らしていた。
「それで……自殺を止めに来たんですか」
「ん?いや、止めないよ?」
「……は?」
少女はてっきり自殺を止められると思い込んでいた為、思わず呆気に取られた声を出してしまった。
「じゃあ何で……」
「俺はその死は
一言も理解できない。しかし何となく伝えたい事のニュアンスはわかる。
そんな不思議な状態に少女の心は陥っていた。
「意味がわからないですよ……どんな死に方でも自殺は自殺でしょう」
「ん〜まあ、そうだな。でも一人でもがき死ぬのは辛いよ?」
フェイルの言葉に少女の心が大きく揺れた。
孤独死────その言葉が少女の感情を大きく揺さぶっている。
一人は辛い。そんな事はずっと前から知っている。
だからこそ、少女の自殺への願望が少し揺らいだ。
それを悟ったかの様に、フェイルはニヤリと笑みを浮かべて少女に近付く。
身軽な身体で安全柵を軽々と乗り越え、少女の隣に身を置く。
春の生暖かい夜風に吹かれながらフェイルは少女へ最後のアドバイスをする。
「君はこの自殺のやり方で死ぬべきじゃない。死の匂いが薄れてる。俺の言葉で匂いが薄れる人はまだ生きた方がいいんだ。嘘だろって思われるかもだけど本当だよ?証拠的なのは出せないけど……」
「でも……」
微かに死の匂いが薄れたとはいえ、少女の思考の中にはまだ『自殺』という言葉が根を張っている。
どうしたものかとフェイルは困り顔を露わにしたが、すぐにそんな迷いを捨てて少女に「見てて」と声を掛けた。
「こんな所で死ぬべきじゃない証明をしよう!」
「え?」
少女がフェイルに目を向けるとそこには柵に片腕と片足のみで、それ以外は既に宙に体を投げ出しているファイルが視界に映った。
「ちょっ……何してるんですか!」
「ん?自殺」
「は!?」
何でこの男が死ぬ事になっているのだろう。
そんな疑問が一瞬で浮かんだが、少女はあまりに咄嗟に取られた行動に言葉が出なかった。
そうこうしているうちに、フェイルは勝手に話を進めてしまう。
「俺の勘が冴えてる事の証明さ!さぁ、
次の瞬間、フェイルはこれまで少女に見せたどんな笑顔よりも強く、心底楽しんでいるような笑みを浮かべて柵を手から離し、空中に身を投じた。
体感は五秒にも満たなかった。
飛び降りたすぐ後にドスッという低音が響き、その音がフェイルの落下音によるものだという事は容易に想像できる。
少女は思わず目を伏せるが、その視界をすぐに開ける事となった。
「ほら!死なない!めっちゃ痛いけど!!!」
「嘘でしょ……」
確かにビルの下にいるフェイルは立ててはいないものの生きている。
それもかなりピンピンしている。
「良かったね!!!君みたいな華奢な身体の子が落ちてたら死ぬのに時間がかかったのは間違いなかったよ!!!あはは!!!」
「……なんか、アホらしくなってきたな」
フェイルの一連の流れを見た少女は、ボソリと呟いた。
自身の行おうとしていた行動がいかに馬鹿馬鹿しい事なのかを理解してしまったのだ────
少女はその場にいったん座り、街の明かりを見た後に「一旦帰るか……」と呟いた。
────死の匂いが完全に消えたね。
下から見ていたフェイルはそんな少女に一安心したのか、その場から立ち上がり再び街を歩き出す。
フェイルの身体は、下半身は複雑骨折、上半身では内臓が落下の衝撃によって一時的に使い物にならなくなっている為、口から逆流した血を吐いている。
しかしフェイルが一歩進む度にその身体は正常に戻っていく────
足は真っ直ぐに。
地面に落ちた血は逆再生のビデオテープのように口の中へ。
内臓はぐちゃぐちゃと音を立てながら本来の形へ。
裏路地を抜ける頃には完全にフェイルの身体は普通に戻っており、歩く事に何の支障もない状態になっていた。
「さぁ、次はこの国に
フェイルは今日も歩き出す────正しい死を求めて。
不死者故に────最高の死を求めて。
× ×
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