出演者② - 浦河 乖穢と影


「だからさあ、言ってるでしょ?君と僕はほら〜なんというかさ、釣り合わないの」


「釣り合わないって……!散々人から金を借りておいて、いざ借りれなくなったら別れるって人を何だと思ってるの!!!」


 都内にあるマンションの一室。そこで今、男女による口喧嘩が勃発していた。

 最もキレているのは女側であり、あくまで男側は飄々ひょうひょうとその激昂を受け流している。



 ほんの数十分前────

 女側の家に男が上がってきた。特に二人は付き合っているのだしそれは問題はない。

 しかし問題は男側の第一声にあった。

 金を貸して欲しい。

 男は開口一番にその言葉を口にし、手のひらを合わせて小さく頭を下げた。最もその行為にはなんの申し訳なさも感じられず、さも借りれることが当たり前のような態度に見受けられた。


 その態度に、女側が思わず口を開いた。

 男は会う度に女側から金を貸してもらっており、総額はもう200万にも登ろうとしている。

 違和感はあった。私はもしかしたら金蔓かねづる扱いされているのではと。

 しかし女は男を振り払え無かった。

 なぜなら男は────芸能人顔負けの高身長イケメンという部類に属している人間なのだから。


 身長182センチというルックス。顔は小柄で誰が見ても恐ろしい程に整っている。

 そんな物件を女は手放す事ができなかったのだ。

 言い方は悪いが、アイデンティティのような付き合いを続けていたのだ。


 そして男側はそれを利用して金を今まで散々受け取ってきた。

 ある日は水道代。ある日は行く予定など微塵もない場所への交通費、その他etc……

 そして今回は家の土地代……

 流石に馬鹿げていると感じたのか彼女は男に怒鳴り声をあげたのだが……

 次の瞬間、男の顔がふと冷めたように見えた。

 そしてそこから女の中にあった理想の男は消え去り、冷たい言葉を向けられるばかりの虚しい言葉の掛け合いが始まった。


「あっ、そう。じゃあ僕ら別れようよ?その方がお互いの身のためじゃない?」


 この言葉が、彼女の怒りを極限まで引き上げた。



 時は戻り────


「ん〜君の事をなんだと思ってるって?そうだな〜ビジネスパートナー?」


「何それ……私はアナタを好きで!」


「違うだろ。君は3回目の金を貸したタイミングで僕の考えが読めてた。なのに別れなかったのは僕が彼氏っていうアイデンティティを保ちたかっただけだろ」


「ッ……!」


 男の言い分は間違いない。図星を突かれた女は思わず口を言い淀んでしまう。

 しかし何とか女は言葉を探し、男に怒りと共にその言葉をぶつける。


「じゃあ何、私のことを金蔓だと思ってた事は認めるの!?」


「あぁ、逆にそうじゃなきゃ僕らの関係って何?」


 あっさりと帰ってきた答えに女は結局言い淀んでしまった。

 許せない、殺してしまいたい。そう思われても仕方ない返答なのだが男はあくまでも飄々とした態度を続けている。


「だからさ、そこで言い淀む以上僕らが今後付き合うのなんて無理な話なんだよ。僕は帰るよ。じゃ、元気でね」


 男はさもこんな現場には慣れているかのように部屋に置いてあった私物を纏めると、玄関に歩みを進めた。

 その後ろ姿には未練なんて物は微塵も感じられず、なんなら霧が晴れたかの様にサッパリした様にも思える。


 それが許せなかった────


「じゃあ、今まで貸したお金返してよ」


 このままでは納得いかない。

 搾るだけ搾られて呆気なく捨てられるのは彼女のプライドが許さなかった。

 今度は少し強気に男の腕を引き止め、目をまっすぐ見つめながらハッキリと言葉を紡ぐ。

 しかし男は尚も態度を変えない。


「え、嫌だよ。ていうか返せるお金なんて無いに決まってんじゃん」


「アンタね……!」


 思わず女は男の頬を叩こうとした。

 これも当然のことだろう。散々貸した金を使い回された挙句、最後には返す素振りすら見せずに姿をくらませる。

 こんな事が許されて良い訳がないのだ。

 しかし男にそんな常識は通用しなかった。


 パシリ。と玄関に音が響いた。

 女のビンタが男に当たったかのようにも聞こえるが実際は違う。

 男が女の手を軽々と受け止めた音だった。


 女はもう失望し、好きでもない男に腕を握られるのが気持ち悪く感じたのか、すぐさまその腕を振り解こうとするが男側がそれを許さない。

 女の抵抗は虚しく男の腕の中でピクリとも動かなかった。


「君には特別に僕が彼女にする条件って奴を教えてあげるよ」


 男は腕を掴みながらグッと顔を女に近付け、その条件を説明し始める。


「僕が彼女に求める条件は合計で五つある。一つ目は金、二つ目も金、三つ目も金、四つ目も金、そして最後に容姿だ」


 目の前の男は何を言っているのだろうか。

 この世の女性をどれだけ馬鹿にしているのか。そう思われても仕方ない言い分だが、男はそれを何の躊躇ためらいもなく口にした。

 女はもうどんな言葉を返して良いのかも分からず口が開かなかった。

 さらには男の顔は普段の表情とは違い、真剣な眼差しで言葉を紡いでいる。

 それがさらに気味悪くもあり、恐ろしかった。


「君はそのうちの全てを兼ね備えていた。金持ちの家に生まれて遺伝子による顔のレベルも良好。20代で札幌の高級マンションに一人暮らし。学歴も備えてるんだから非の打ち所無しだ」


 男は女の手を離すと、女に踵を返して玄関のドアに手を掛ける。

 そしてそのドアをゆっくりと開けながら言葉を続けていく。


「でもね、金が払えないってなると別なんだよね。僕は君に惚れたんじゃ無い。


「何よそれ……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むの!」


「馬鹿になんてしてないよ。ただ僕には釣り合わないってだけの話。金を恵んでくれない女性に魅力は感じられない」


 ドアを半分開けていた所でそのドアが突如ガチャリとしまった。

 男が女に首の襟を掴まれ、腕をドアノブから離したからである。


「そんな金の亡者だと思わなかった……ちょっと顔が良いからって調子に乗らないでよ!」


 部屋に女の甲高い声が響く。

 ドアが開いていれば近所迷惑になっていた事だろうが、幸い今はドアが閉まっている。

 そして少しの静寂が二人を包んだ。

 時計の音だけが響く玄関。その空間に女が悲しみから涙を流し、鼻をすする音が加わる。

 そんな女を見て男は────



 特にどうこう思う事はなかった。



 男にとって今のシチュエーションは「あぁ、またか」と言ったものだった。

 これまでの女も皆、最後は自身に縋りつき泣いていた。

 だから男は今更何を思うわけでもない。

 その答えは実に単純な答え、そして何よりも歪んだ思想の元に成り立っているのだから。


 男は女の両肩を掴み、そっと自身から引き剥がすと優しい笑みを浮かべて言葉を返す。


「僕は金の味方なんだ」


「……は?」


 ここに来てまだ懲りないのかと女は半ば呆れた。

 しかし男はこれまでで一番の笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。


「僕の懐に入るお金が多ければ多いほど君の財力を愛するだろう。でもね、僕は君の愛情は求めていない。君に求めているのは金だ。理解できる?」


 女はあまりに理不尽な言い分に遂に固まってしまった。

 男は「おっと、しまった」という表情を浮かべた後に再びドアノブに手をかけてドアを開きながら最後の言葉を口にする。


「お金がまた入ったら連絡してよ。その時は復縁しようね」


「ふざけんじゃないわよ……」


 ドアを半分開けた所で女の声が静かに、怒りを増しながら紡がれる。


「ふざけんな。必ず貸した金は返させる。わかったわね、拝世はいせ……!」


「復縁するつもりは無しと……残念だよ。じゃあね」


 そういうと男は全く残念そうな表情も浮かべずにそのドアを閉めた。

 エレベーターを経由して一階に戻り、自身の家に帰る。

 その帰り道の途中────男は笑いが止まらなかった。


「拝世っ………呼ばれれば呼ばれる程笑っちゃうね。僕が演技派じゃなけりゃこの名前がって事はすぐにバレてたでしょ」


 男は自身の財布から偽の保険証を街のゴミ箱に捨てて拝世という名前を消す。

 彼の本当の名前は────


「今回の女はまあ普通だったな。4ヶ月で180万。ん〜上々だ」


 浦河うらかわ 乖穢かいえ

 街の最強の男の一人。

 街で特に何をする訳でも無く、ただ他人から金を奪っては適当に使い、適当に生きている人物。

 しかしその実力は本物らしく、『裏』の仕事も金次第で熟しているという噂がある人物である。

 そしてもう一人の最強と呼ばれている人物、沙羅さら 篶成すずなりと犬猿の仲で有名である。


「にしてもあの子俺に払わせるってどう払わすんだろ?俺の家を知らないくせにさ」


 乖穢は最終的にはどんな女とも別れる為、絶対に自身の家には呼ばない主義を貫いている。

 理由は単純。呼んでしまったら別れた後に面倒臭い為である。


「さて、今月の収入はまだ三桁行ってないし、一旦帰ってから次は美沙ちゃんの所にでも行こうかな」


 そういうと乖穢は右ポケットからスマホを取り出し颯爽とメッセージを送る。


 乖穢は先程も説明したが何でも屋である。

 しかしその収入源は篶成と大きく違う。

 乖穢は何でも屋ではあるが基本的に篶成とは違い、正面からの戦闘はしない。

 どちらかといえば暗殺という言葉がよく似合う。

 さらに違う点と言えば一回の量で受け取る金額だろうか。

 篶成と美鈴は依頼のレベルにもよるが、人を殴ってほしいなど、自身に被害が及びかねない依頼は訳三万で受けている。殺しはそもそも受けてすらいない。


 それに対して乖穢は金の為ならなんでもやる。しかしその料金は馬鹿にならない額である。

 恨み事は初回七万、以後十万。

 殺しとなれば数百万、人によっては数千万で動く。

 しかしそんな金を払ってまで乖穢に頼む人間は少ない。

 その為大きな仕事が来るのは2ヶ月に一度あるかないかと言った感じであった。


 だからこそ乖穢は別に金を入手するルートを作っておく。

 その一つが女である。

 乖穢は自分で自分の顔がいいと自覚している所謂クズである。

 しかし乖穢は開き直っている訳でもないがその性格と顔を存分に利用して総額二千万円は女だけで稼いできた。

 特に五年前に付き合っていた御令嬢からは五百万は絞れたという噂がある。


 とはいえ乖穢は決して女性を軽く見ている訳ではない。最もそれは本人の主張であり、周りの女達からしたら『女の敵』扱いされても仕方ないのだが。

 乖穢は女性の事を基本ビジネスパートナーとしか見ていない。

 その為乖穢は付き合った女性に対して「好き」という単語を絶対に呟かない。

 さらに一緒に寝ることも必ずしない。それ故に殆どの付き合いは短命に終わるのだ。

 乖穢は先程別れた女性にも言った通り女性が好きなのでは無く、金を持った女性が心底好きなのだ。

 なのでこの世に乖穢と釣り合う女性は居ないだろう。

 乖穢自身もそれは理解している為、特段結婚願望などは存在しない。

 さらに言えば結婚は心底金がかかる為である。



 乖穢の家は札幌駅から徒歩10分ほどの少し街から外れた場所にある。

 街から離れているとは言え、たかが歩いて10分。さらにはマンションの最上階に住んでいる為、家賃はそこそこには高かった。

 金が好きで貯めたいならそんな所に住む必要性がないのでは?と疑問に思うかもしれないが、乖穢は街を見下ろす……というより見下みくだす場所に家を構えたいという理由からそこに住んでいた。

 その思想を持つ理由は単純。しかし何処と無く子供臭いと理由でもある。


 犬猿の仲であり、出会えば必ず殴り合いになる一人の男────沙羅さら 篶成すずなりを見下ろす為である。

 なぜ篶成とそのような関係になったのかはまた別の話である。


 そんな家の目の前に乖穢が付くとマンションの前に人影が見えた。

 黒いスーツと夜なのにサングラスを身を纏ったその姿はさながらSPと言ったところか。

 乖穢は邪魔な奴らだなと思いながらその横を通り過ぎようとしたのだが……


「オイ、さっきから視線を向けすぎなんだよド三流」


 乖穢がその男の横を通り過ぎる所で少し圧のある声色で語りかけた。

 男は最初こそ驚いたがすぐに真面目な表情に戻り乖穢と話を始める。


「サングラス越しだぞ?何故わかった」


「んな事はどうでもいいんだよ。何か用か?」


 乖穢は相手を見下すように首をやや斜め上に上げながら威圧的な態度で相手を探る。

 しかし相手の男は最初の驚いた表情以降は顔を顰める事も、笑みを浮かべる事もなく乖穢の質問に答える。


「とある仕事を熟せば生涯一生金に困らない生活を送れる……といえば信じるか?」


 乖穢は顰めた顔を解き、相手を探るように顔を見つめた。

 こう言った話は過去に何度も提供されている。

 大抵の仕事内容は殺しである。

 しかし、それらの仕事は多額の金を払われるが乖穢にとってその金は『生涯一生金に困らない』には当てはまらなかった。

 今までの最高額は四千万。一般人からしたら四千万はかなり高額だが、乖穢は四千万なんて金はちっぽけなものだと思ってしまう。

 だからこそ今回の相手はいくら提案し、誰を殺せと命じてくるのか少なからず興味があった。


 男は乖穢の沈黙が言葉を続けろという事だと察し、サングラス越しに顔を伺いながら仕事の内容について語り出す。


「二日後……新しい札幌市長の就任パーティーが開かれるのは知っているか?」


「もちろん。それ関連か」


「あぁ……依頼内容は────」


「ダメだな」


「……?」


 男が依頼内容を語り出そうとした瞬間、乖穢はその言葉を遮った。

 乖穢は目の前の男のさらに奥────暗い暗いビルの間に目を向けて言葉を開く。


「俺に依頼したいなら本人が出向けよ。別の奴から頼まれたら法律的に契約がちゃんと成立しないんだよ」



「いつから気付いていた?」



 乖穢の言い分が終わると乖穢が目を向けているビルの間から低く、暗い声が聞こえた。

 声の質から相手は老人だとわかる程に錆びれた声をしている。

 そんな老人から放たれた質問に乖穢は態度を変えずに言葉を続ける。


「最初からだよ。この男が部下なんて一眼でわかるだろ?だから本当の依頼主を探ってたんだよ。そしたら今アンタがいる所から視線を感じてな。そう言うのに敏感なんだよ僕は」


 乖穢の回答を聞いた老人は暗闇の中でニヤリと不気味な笑みを浮かべてゆっくりと再び口を開く。


「良いじゃないか……今の一言だけで気に入った」


「悪いが爺に好かれる趣味は無いんでね」


「知っとる、コレだろ?」


 乖穢が老人との話を終えようと適当にあしらい、その踵を返そうとするとその足がまるで時が止まったようにピタリとその場から動かなくなった。

 乖穢の瞳に映った物は────


「御主はコレしか信じない。そうだろ?」


「わかってんじゃん。おじいちゃん」


 老人が手に持つアタッシュケースから顔を出す万札の数。

 それだけで乖穢は止まるに値した。


「それ、後何ケース用意できる?」


「二億分用意してある……受ける気になったか?」


「良いね、乗ったよ!」


 乖穢は明らかにテンションを変えてその老人の元へ歩みを進めようとする。

 しかしその道を黒服に身を包んだ男が遮った。


「会えるのは仕事が終わった後だ。この先には進ません」


 完全に乖穢は行く先を遮られたが特に歩みやスピードを緩めるなどという事はしなかった。

 堂々たる立ち振る舞いに男は若干呆気に取られたが、すぐさま警戒心を高めて乖穢に意識を割く。

 しかし次の瞬間────


 ────グッ!?


 男の視界に映る乖穢がいきなり近くなったかと思えば、次の瞬間には首の右側に強い衝撃が走っていた。

 そう、男は殴られたのだ。乖穢の拳も捉える事が出来ぬまま────


 男は若干身体をふらつかせたが、すぐに体勢を整えて戦闘体制を取る。


 ────俺は元自衛隊の部隊長だぞ?なんて反射神経と身体に見合わない力を持ってやがる!?


 乖穢のガタイは身長の割にはそこまで良くは無い。

 どちらかといえば細身に部類される体型であろう。

 しかしその身体から放たれた拳はあまりにも威力が強すぎた。

 男は現役の護衛役として日々筋肉の研鑽を積んでいる。

 そんな男が一瞬意識を失いかける程の力────


「実力は本物みたいだな」


「そりゃそうでしょ?なんて言ったって僕はだからね」


 乖穢はもう一度真っ直ぐに歩き出し、依頼主の元へ足を向かわせる。

 対する男は集中力を高めて乖穢の攻撃に備える。どんなに早い攻撃が来ようと二回目を喰らう事は無い。

 そして二人がぶつかろうとした瞬間────


「やめんかな」


 男の力がその声を合図にスッと抜けた。

 男の後ろから聞こえた老人の声はどんどん近付いて来ており、乖穢の耳に届く声は必然的に大きくなっていく。


「面白い男よ。私の部下を一撃で沈めんとするか」


「へぇ……こりゃまた凄い人物からの依頼だな」


 乖穢は暗闇から表に出てきた事によって見えた相手の顔を見て思わず口元をニヤリとさせる。

 この相手なら────金には絶対に困らないと確信を得たのだ。


「下がっておれ、手を出す必要性は無い」


 老人の言葉を聞くと男はすぐさま地面に膝をつき、忠誠心を表した。

 そんな男の横を通り過ぎ、老人は乖穢の目の前にアタッシュケースを投げる。


「一体なんの仕事って訳です?追分おいわけ元札幌市長」



 追分元札幌市長。

 ハルネが市長に就任する前にその席に居た、所謂前任者。

 数週間前に突如として市長の席を降り、ハルネに新市長を譲ったことから今の仕事に嫌気が刺していたなどとネットで批判を買っていた人物である。


 実際彼の市長としての仕事で何か記憶に残るものは少なく、ただその席に座っていただけとも取れた。

 この街の均衡を保つのはいつだって上に立つものではない。下にいる『裏』の者達によるものなのだと乖穢は理解していた為、そこまで興味は無かったが自身の住む街の市長ともなれば嫌でも名前は覚える。

 そしてその無かった筈の興味が反転し、徐々に乖穢の中で増幅していく。


「この前就任したこの街の市長の事は知っているな?」


「あぁ、もちろん」


 ハルネの市長就任ニュースは初の外国人市長ということもあり、札幌だけではなく全国的なニュースになっていた。

 ハルネの存在を知らない者など今の日本にはいないだろう。

 そして乖穢はハルネの事を聞かれた事により一つの推測を頭に浮かべる。


 ────あぁ、成る程ね。


 恐らく目の前の老人は────


「その男を殺して欲しい────それが依頼内容だ」


 サラリと放たれた言葉。しかしその声色には確かな殺意が込められているように感じられ、場の雰囲気が一瞬にしてピリついたようにも思えた。


 乖穢が追分の依頼を拒止した場合、追分の近くに待機している男は乖穢を守秘のために殺さなければいけない。

 勝手な事は重々承知しているが、それ程にこの依頼は『裏』らしい隠密なモノだ。

 男がすぐに後ろから襲撃できるように構えていると、その緊張の糸は意外な事にいとも簡単に解かれてしまった。


「いいよ。金は前払い、勿論手渡しだ」


 乖穢の答えを聞くと、追分は口元のシワをニヤリとさせて「頼んだぞ」とだけ告げて、ビルの間に混在する闇の中へと再び姿を消してしまった。

 追分が元いた場所にはアタッシュケースが五つ分用意されており、中には大量の金札が入っていることは容易に想像が出来た。


 乖穢はアタッシュケースを確かに確認すると背後に居る男に早速仕事の内容について細かく聞き出した。


「で、僕はどのタイミングで殺せばいい?」


「明日の夜……ハルネの市長就任パーティーが開かれる。追分さんは前市長としてそのパーティーに招待されている。その護衛役としてお前と俺達が会場に入る。お前はその最中、もしくはその後でもいい、仕事を果たしてくれ」


「了解了解〜お金は先に貰っておくね。あっ、悪いけど僕がとりあえずこのアタッシュケース運び終わるまで見張っててくれない?」


 乖穢は内容を聞くとアタッシュケースをとりあえず二つ持ち、ややスキップ気味の歩幅で自宅へ向かう。


 ────変な奴だ……


 男が乖穢に抱いた最初の印象はこの一言に尽きた。

 男は前々から追分の護衛役としてこの街に潜む様々な変人、奇人を見てきたが乖穢はその中でもかなり狂っている側の人間だと思えた。

 表面上ではあからさまに狂った様子は見受けられないが、確かにそのうちに感じる禍々しい雰囲気を男は感じ取っていた。


 根本的に思考が狂っている側の人間────乖穢はその部類に入れられると考えられた。

 そんな事を思っているうちに乖穢は颯爽とアタッシュケースを自身のマンションの倉庫などに収納し終わっていた。


 そして最後の一つを片手に持って別れの言葉と一緒にマンションの中に姿を消していく。


「それじゃあ、今日はこの辺で。明日はよろしくね〜」


 乖穢は男に背を向けながら片手をブラブラと振りながら歩いていたが、最後にふと足を止めてわざとらしい笑みを顔に浮かべて言葉を付け足す────


「あっ、これだけは忘れないでね。僕は



 斯くして────街最強の男と呼ばれている二人の男が一つの舞台に立つ事になる。


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