第二十五話 最強の陰陽師、裏切られる


 翌朝。

 毎度のように集落の外れに宿を借りていたぼくたちは、外で火を焚き、簡単な朝食をとっていた。


「あの、魔王様」


 ちょうど食べ終わったところで、ヴィル王がおずおずと話しかけてきた。

 何やら周りの王たちからも視線を感じる。皆早々に食べ終わってこそこそ話していたので、どうにも示し合わせたような雰囲気があった。


 素知らぬ顔で、ぼくは水の入った杯を傾けながら訊き返す。


「どうした? あらたまって」

「実は……僕たち話していて、魔族を代表する機関があればいいんじゃないかということになりまして」

「ぶっ!! ゴホッゴホッ!!」

「うわっ、大丈夫ですか魔王様……」


 思わずむせてしまった。

 ヴィル王が不安そうに問いかけてくる。


「いい考えだと思っていたんですけど……ダメでしょうか?」

「い……いや、いい。すごくいいと思う」


 思わぬ展開に内心動揺しつつも、ぼくは笑顔を作って返した。

 まさか……王である彼らから言い出してくれるとは。


 ヴィル王の提案は、ルルムの望みであり、ぼくの望みでもあった。

 全面戦争が起こった際に交渉の選択肢が生まれるし、何より魔王に頼らず意思を統一できるのなら、ぼくがいらなくなる。


 今の状況を考えるとめちゃくちゃに都合がよかった。

 とはいえ喜びすぎるのも不自然なので、笑顔を抑え気味に訊ねる。


「しかし、どうして急に?」

「おれらやっぱり、なんだかんだ言ってバラバラだからさ」


 シギル王が答える。


「魔族対人間って構図なのに、それはまずいだろってなったんだ。一応人間の側には、帝国っていうでっかい国があるのにさ」

「他にもいいことあるよ。魔族で統一の貨幣が作れれば、いろいろ便利だし。フィリ、そういうのやりたい」

「余はよくわからぬが、種族の枠にとどまらぬ事業などもできるようになるのではないかの」

「なるほどな」


 ぼくはうなずき、それから皆に訊ねる。


「機関となれば、各種族の代表が集うことになるだろうが……それはやっぱり君たちが?」

「ええ。とりあえずそういう想定でいます。……みんなで考えたことですので、初めはそれが一番かなと」


 ヴィル王が、ちらと他の王たちを振り返る。

 視線を交わす彼らの間には――――やはり、戦友同士にも似た絆があるように見えた。


 ふとリゾレラの方へ目を向けると、彼女は手をひらひらと振って言う。


「ワタシはただ長く生きているだけでそういう立場じゃないから、出ないの。レムゼネルか、もっと若い子をるの」


 どうやら、リゾレラもこのことを知っていたらしい。

 ぼくだけ蚊帳の外だったのか。


「わかったが、それなら……」


 ぼくは慎重に問う。


「人間への対応は、どうするつもりなんだ? 神魔の里に集まった代表たちは、たぶん今も揉めていると思うが……君たちはどういう結論を出した?」

「やはり、正式な和平の道を探ろうということになりました」


 ヴィル王がはっきりと言う。


「争いは失うものが多いです。最後に魔族の領域を奪われてから数百年という時が経っているので、頃合いと言っていいでしょう。互いに不可侵の取り決めを交わし……そして共に発展していきたい。そう考えています」

「魔族が人間の国にもっと進出できれば、そこで活躍するやつも出てくるかもしれないしな。寿命の長さとか腕っ節の強さとか、人間にない強みがいくらでもあるんだ。獣人や森人エルフ矮人ドワーフくらい、他の種族も積極的に人間と関わっていいんじゃねーかと思う」

「……そうか」


 ぼくはほっとする。

 人口が増えて豊かになり、争いの時代を知る世代も少なくなって、きっとこのような考えを持つ魔族も増えていることだろう。

 しかし、ぼくはさらに問う。


「だが……いいのか? ガウス王は、開戦を望む立場だったと思うが……」

「いいんだ」


 ガウス王は笑顔で言う。


「みんなと話しているうちに、整理がついた。オレは外交の機会が欲しかっただけだったんだ。他種族と意見を交わす場を得て、人間との交流も生まれれば、それはきっと巨人族の発展に繋がる。オレもこれでいいんだ」

「……そうか。悪魔や鬼人オーガ黒森人ダークエルフの代表も、開戦を望んでいたようだったが……君たちもそれでいいんだな」

「ええ」

「そりゃあな」


 ヴィル王とシギル王が笑って答える。


「僕は元々反対の立場でしたから。その方が、我が種族のためになると信じています」

「おれも別に開戦派じゃねーしな。森人エルフとの関係改善だって、戦争を起こさなくてもできるはずさ」


 アトス王に目を向けると、彼もしっかりとうなずいていた。


「そうか……そうだったんだな」


 ぼくは視線を地面に下ろした。


 ぼくの知らぬ間に。

 この子たちは互いに、種族を思って話し合い――――そして自分たちの納得できる結論を、しっかりと導き出していたようだった。

 初めに会った時は、王といってもただの子供だと思っていたのに。

 ただの余暇のような時間を過ごしていたと思ったら、いつの間にかこんな……。


「あれ、もしかして魔王様……泣いてますか?」

「な、泣いてない泣いてない」


 ぼくは目元をごしごしと擦ってヴィル王に答える。


「すばらしい考えじゃないか。それはおそらく、人間側も望んでいることだと思う。きっとうまくいくよ」

「ありがとうございます! とはいえ……まだ実現できると決まったわけではないんですけどね」


 ヴィル王が苦笑するように言うと、他の皆も同じような表情になる。


「おれら、なんにも実権ねーしなぁ」

「親父がなんて言うか心配だぜ……」

「フィリの言うことなんて、みんな聞いてくれるのかな」

「……やりようがないでもないがの。そのような機関ができて他の種族が代表を出すのだと言い張れば、自分たちも出さざるを得ん。それを全種族で繰り返せば、一応形だけはできる。実行力が伴うかは別じゃがの」


 プルシェ王はぶっきらぼうに言うが、その先も考えていそうな口ぶりだった。

 ぼくは微笑と共に言う。


「そうか。頼もしいよ」

「ふん……そう期待するものでもないわ。たとえうまく始められたとしても……いつまで続けられるかわかったものではないからの」


 プルシェ王の目に、寂しい色が混じる。


「こんな仲良しこよしの集まりがいつまでも続くことはない。余たちはほんの短い間、たまたま生きる時期が重なっているにすぎぬ。初めに余とフィリ・ネアが、続いてヴィルダムドにアル・アトスが、それからガウスが、最後にシギルが死ぬ。その死期はバラバラじゃ。数百年かけて、一人ずつ死んでいく。魔族の生きる時間はそれぞれに異なる。今ここにあるこころざしが、いつまで魔族の間に受け継がれるかはわからぬ」


 しんみりとした空気が流れる中、プルシェ王は続ける。


「じゃが……それでも今せねばならぬことをするのがまつりごとじゃ。数百年先を憂いても始まらぬ。先のことは子孫に任せ、余たちは今ある務めを果たすべきじゃろう」

「……。オレは」


 言葉を発しにくい雰囲気の中で、ガウス王がおもむろに言う。


「お前が、オレらの関係を仲良しこよしだと言ったことが意外だぜ……!」

「んあっ……!! い、言っとらん!!」

「いいや言った! オレはバカだが耳は悪くねーぞ」


 むきになるプルシェ王とガウス王のじゃれ合いを見ながら、ぼくは微笑む。


「……応援するよ。ぼくにできることがあればなんでも言ってくれ」

「ありがとうございます、魔王様。実は一つ、お願いしたいことがあるんです」

「…………ん?」


 若干嫌な予感がしつつも訊き返すぼくに、ヴィル王は言う。


「それぞれの種族の代表となる議員のほかに、議長であり人間社会と交渉を行う全体の代表者が必要なんです。それを、魔王様にやっていただけないかなと」

「……え゛!?」


 思わず呻くぼく。

 ヴィル王は続ける。


「いずれの種族からも中立で、人間の血も入っているとなれば、これ以上の適任はいません。魔王様が全体の代表となるならば、誰もが納得するでしょう。引き受けてもらえないでしょうか……?」

「……い、いや……それは……」


 嫌な汗が流れる。

 はっきり言って、めちゃくちゃ都合が悪かった。


 そんな立場に収まったら帝国に帰れなくなる。

 それどころか、下手したら前世以上に暗殺の可能性におびやかされることになってしまう。


 とはいえ……この子らのことは無下にしにくい。

 ぼくはしどろもどろになりながら答える。


「きゅ、急に言われても、安請け合いはできないな。これまでそんな地位に就いたことはないし……それに半分は神魔の血が入っているらしいから、中立と言い切れるか……あと寿命も長くないだろうし……も、もう少し、いろいろ検討してもいいんじゃないだろうか……?」

「それもそうですね。まだ設立の目途も立っていないのに、時期尚早だったかもしれません」


 ヴィル王があっさりそう言ってくれたので、ぼくは内心でほっと胸をなで下ろす。


「でも、前向きに考えておいてほしいです。魔王様にぜひ務めてもらいたいという思いは、僕らの中で変わりませんので」

「わ、わかった……」


 思わずうなずいてしまった。

 困ったな……と思いながら、ぼくは誤魔化すように立ち上がって言う。


「よ、よし。じゃあ片付けるか。名残惜しいが、そろそろ出発しよう」


 皆ががやがやと言葉を交わしながら動き始める中、ぼくも道具を位相に放り込んでいると、ユキが耳元で言う。


「何やら面倒な役職を頼まれてしまいましたね……。曖昧な返事などせず、はっきりと断るべきだったのではございませんか? その気もないのに保留にされてはあの者らも困りましょう」

「言うな。仕方ないだろ……断りにくかったんだ」


 小声で返すと、ユキが呆れたように言う。


「やはりセイカさまは、子供には甘いようでございますねぇ」


 ぼくがさらに言い返そうとした――――その時。

 地面が、揺れた。


「っ……!」

「うおっ、地震か!?」

「……大きいようじゃのう」


 王たちも手を止め、立ちすくんだように揺れが収まるのを待っている。

 地震は、それから少し経っておさまった。

 ずいぶんと長く揺れていたように感じる。


「……まずいな、これ。建物とか崩れてるんじゃねぇか?」

「いや……集落の様子を見る限り、そこまでの被害はなさそうだよ。火山に一番近いここがこの程度なら、きっと他の里も大丈夫じゃないかな」


 ヴィル王の言う通り、集落に大きな変化はない。

 住民である鬼人オーガたちは何事かと外に出てきているが、さほどの混乱はなさそうだった。


「果ての大火山とは遠い場所で地震が起こることもあるけど、この分だとたぶん心配いらないの。だから…………セイカ?」


 リゾレラの戸惑ったような声音。

 彼女の言葉は、ほとんど耳に入ってきていなかった。

 ぼくはじっと果ての大火山を見据える。

 妙な胸騒ぎがしていた。

 やがて違和感が形になり、口をついて出る。


「……蒸気が上がっていない」

「え……?」


 昨日あれほど噴出し、周囲に雲を作っていた蒸気が、今日はほとんど見られない。

 胸騒ぎに突き動かされるように、ぼくはヒトガタを取り出す。


「様子を見に行ってくる。少しの間みんなを頼む」

「え、セ、セイカ?」


 困惑するリゾレラの声を置き去りにして、ぼくは駆けながらヒトガタを放った。


 式神を足場に宙を昇り、そして蛟の扉を開こうとした――――その時。


 背後から何かが、ぼくの胸を貫いた。


「ごふっ……」


 どろりとした血の塊を、口から吐き出す。

 それは胸から突き出た、円錐状の白い金属を赤く濡らした。


 首を回し、背後を見る。

 円錐状の長大な槍を握っているのは、白い毛並みを持った、巨人に迫る体躯のデーモン。

 おそらくは、光属性のホーリーデーモンの一種だろう。


 つい先ほどまで、こんなものはいなかったはず。

 痛みに明滅する視界が、かろうじてデーモンを召喚した魔法陣と、その術者を捉える。


「――――やれやれ。我が王の御前で、このような狼藉は避けたかったのですが」


 デーモンと魔法陣の背後に立つ銀の悪魔――――セル・セネクルが言葉を発した。

 主君の言葉を伝える時と、まったく同じような声音で。


「魔王討伐の好機とあらば仕方ありません。仕込みもちょうど終えてしまいましたし、時機としてもこの上ないでしょう」

「……セ……セネ、クル……?」


 アトス王が、信じられないかのような目を自らの従者に向ける。

 他の王たちも、状況を受け入れられずに固まっているようだった。

 セル・セネクルはそれまでと変わらない柔らかな物腰で、周囲の王たちへ小さく礼をする。


「ご安心を。皆様に手出しはいたしません。指導力のある者が魔族の王位におさまることは、帝国としても都合が悪い。これからも変わらず、置物の王でいただけると幸いです」

「そ、そう゛、か……ごふっ、其の方、は、そう゛、だった、か……」


 血泡を吐きながら言うぼくに、セル・セネクルは穏やかな笑みを浮かべる。


「さすがは魔王様。心臓を貫かれながらまだ口がきけるとは。しかしじきに……」

「はは、は……は、はは、ははは……」


 ぼくの笑声に、銀の悪魔の顔から笑みが消えた。


 胸から突き出た槍の穂先を掴む。

 生み出されたガリアの汞ガリウムが、白い金属を侵食していく。


 ぼくは首をねじったまま銀の悪魔を見据え、血塗れの笑顔で言った。


「や、やる、じゃない゛、か…………ぼく、の身代を、一つ割る、とは」


 セネクルの表情が強ばると同時に、白いデーモンが強く槍を引いた。

 ぼくから引き抜かれるはずだった穂先は、浸食によって先から折れ砕ける。


 縫い止められていた空中から解き放たれ、地面へと降り立った。

 同時に、大穴の開いていた胸が瞬く間にふさがっていく。

 中心に黒ずんだ穴が開き、力を失ったヒトガタがひらひらと草間に落ちる。


 振り返るも、セネクルの姿はそこにない。


「転移したか」


 ならばまずは、デーモンから片付けるとしよう。

 槍をかまえる白いデーモンへ、手にしていたヒトガタを素速く飛ばす。

 空を切って飛ぶそれは……しかし突如、地中から現れた黒い石柱に阻まれた。


「っ……!」


 石柱は、その一本にとどまらなかった。

 ぼくの正面のみならず、左右や後方など、計六本もの石柱がぼくを囲むように立ち上がる。


「これは……」


 ただの石柱ではない。

 表面には文字のようなものが描かれ、はっきりとした力の流れを感じる。


「……結界、か」

「ええ。私は『銀』の部族の生まれであるため、このような魔法が比較的得意でして」


 黒い石柱の一つ。その上に立つセネクルが、微笑と共に言う。


「ドラゴンを喚び、様々な属性を操り、死の淵からも蘇るあなたであっても……魔法を封じる結界の中で、その力を満足に振るうことはできるのでしょうか」

「……」

「せめて人間の血が入っていない純粋な魔族であれば、多少は抗い得たでしょうがね」


 白い槍を手にした巨大なデーモンが、石柱の間からぼくに迫る。

 どうやらこの結界は、モンスターは通す類のもののようだった。


「では、死になさい」


 ホーリーデーモンが、穂先の折れた槍をぼくに振り上げる。

 あれだけの槍なら、穂先が欠けていようが関係ない。人間の肉体程度、原型すらとどめずに押し潰せてしまうだろう。

 しかし、それがぼくに叩きつけられる瞬間――――白い円錐状の槍は、鈍い音と共に半ばから切断された。


「なっ……?」


 セネクルが石柱の上で両の目を見開く。

 ホーリーデーモンが、おののいたように後ずさった。


「そ、それは……いったい……っ」


 両者の目は、つい今し方槍を切断した、一体の妖に向けられている。


 槍が振り下ろされる寸前。

 空間の歪みから現れたのは――――甲殻類めいた奇怪な妖だった。

 その大きさはデーモンに迫るほど。二本のはさみに、節のついた体に尻尾。全体としてはサソリに近いと言えるだろう。だが鋏以外に脚のようなものはなく、頭部には人間のような目と毛髪、そしてくちばしが生えていた。


 何とも形容しがたいその姿に、銀の悪魔は表情を歪める。


「モンスター……だというのか……? しかし、そのような……」

「……網剪あみきり、という」


 ぼくは独り言のように呟く。


「本来は犬ほどの大きさしかない、漁網や蚊帳を切って人を困らせる程度の妖だ。しかしまれに……このように巨大な個体が現れる。人間から時折生まれる英雄のような、力ある個体が」

「アミキリ……だと? 聞いたこともない。存在しないはずだ、そんなモンスターは……! そもそもなぜ、私の結界の中で召喚術が……」


 ぼくは口の端を上げて答える。


「これ、魔法じゃないんでね」


 網剪が滑るように動いた。

 デーモンが苦し紛れに突き出した槍の残りを、片一方の鋏で根元から切断。そして流れるように、もう一方の鋏でデーモンの頭部を切り飛ばす。


 転がったデーモンの首を、ぼくは見ていなかった。

 見据えるのは、石柱の上で転移の魔法陣を構築する、セル・セネクルの姿。


「今度は逃がすか」

《金の相――――鉄蜷矢てつになやの術》


 回転する円錐状の鉄杭が打ち出され――――銀の悪魔の肩に、正確に突き立った。


「ぐぅっ……!!」


 その衝撃によって、悪魔が地に落ちる。

 痛みで集中を切らしたためか、転移は失敗したようだった。

 黒い石柱による結界も、落下と同時に力の流れが消える。


「ふう、危ない危ない。当たってよかった」


 《鉄蜷矢てつになや》は普通の矢よりもまっすぐ飛ぶので当てやすいが、そこまでの精度があるわけでもない。


 ヒトガタを周囲に配置し、ぼくの結界を張る。

 これで転移は確実に不可能となった。

 セネクルの元に歩み寄りながら、ぼくは言う。


「悪魔には一度、転移で逃げられそうになったからな……。ちゃんと生きているようだし、今回は我ながらうまくやった」

「……ふ、ふふ……」


 肩に鉄杭が突き刺さったまま地面に倒れるセル・セネクルは、微かな笑声を上げた。

 さすが魔族だけあって、あれだけの高さから落下しても笑う余裕があるらしい。


「慈悲をかけた、つもりですか……? この心臓を射貫けば、よかったものを……」

「勘違いするな。其の方にはまだ口をきいてもらう必要がある」


 さとりのヒトガタを浮かべながら、ぼくは言う。


「帝国側の間者を捕まえたのは初めてだな。誰の手の者かくらいは喋って……」

「ごふっ!! ぐふっ……!!」


 その時、セル・セネクルが大量の血を吐いた。

 ぼくは眉をひそめる。


 鉄杭は内臓に当てていない。吐血は不自然だ。ならば落下時に骨が肺に刺さったか、胃が破れたか……。


「……まあいい。その程度ならばいくらでも治せる」


 ヒトガタを取り出し、軽く真言を唱える。

 かつてランプローグ家の庭でカーバンクルを治した時のように、損傷をヒトガタに移していくだけだ。頑丈な魔族ならそれで十分なはず。

 ――――だが。


「……は?」


 ぼくは思わず困惑の声を上げる。

 損傷を移していくはずだったヒトガタは……瞬く間に中央から黒ずんで破れ、力を失って地に落ちた。

 術に干渉された気配はない。まじないは正しく作用したはずだ。

 ならば、これは――――。

 ぼくは気づき、愕然として言った。


「お前、まさか……内臓を……っ!」

「……ふふ……」


 セネクルが掠れた笑声を上げる。

 その腹は、不自然なほどに凹んでいるように見えた。


 間違いない。

 この悪魔は、鉄杭に貫かれるその瞬間――――自らの腹に収まる、主要臓器をどこかへ転移させていたのだ。


 自分自身を転移させるのに比べ、距離も精度も必要なかったのだろう。

 内臓が丸ごと失われるほどの損傷となると、簡易なまじない程度では治せない。おそらく治癒魔法でも同じだ。だから情報を渡さないことを第一とするならば、これ以上ない確実な手段だったのだろう。


 だが、そうだとしても……、


「……なぜだ」


 愕然とした表情を隠せないまま、ぼくは悪魔へと問う。


「なぜそこまで……魔族の立場で、どうして帝国にくみするんだ」

「ふ……おかしなことを、言います……」


 ひゅうひゅうと、悪魔の喉からは喘鳴が漏れていた。

 セネクルはぼくを見据えて言う。


「魔族に与する、人間がいるのです……その逆がどうして、いないと言えるでしょう……」


 人間ならばとうに死んでいてもおかしくない重傷でありながらも、セネクルはまだ筋道立った言葉を発していた。

 だが、そう長くはないだろう。


「心臓、と肺、を、残して、しまったのは……失態でし、た。無駄話をする、時間が、で、できてしまった」

「……そうか。そればかりは、ぼくにとって幸運だったな」

「ふ……。早く、逃げた方が、いい……魔王様」


 掠れた笑声とともに発せられた言葉に、覚を喚ぶための印が途中で止まる。

 瀕死の悪魔は、しかしどこかやり遂げたように笑っている。


「何を言っている……どういうことだ」

「もう、気づいている、でしょう……果ての大火山の、異変に……」


 そして、セル・セネクルは言う。


「蒸気井戸を、すべて……大規模な儀式魔術で、破壊しました……じきに噴火が、お、起きます。かつて、人間の国を……滅ぼしたほどの、大噴火が」

「っ……!」


 ぼくは思わず目を見開いた。


「あれだけの、数です。修復は……ごほっ、容易では、ない。魔族は……壊滅的な、被害を受ける、でしょう。帝国に、抗えなくなる……ほどの……」

「……嘘だ」


 愕然としながらも、ぼくは言う。


「昨日の今日だ……其の方に、そのような時間はなかったはずだ」

「ふ……儀式魔術と、言った、でしょう。間者は……私一人では、ない」


 ぼくは歯がみする。

 考えてみれば当たり前だ。下手をすれば……全種族に、このような間者が紛れ込んでいてもおかしくない。


 裏切りの悪魔は、時折咳き込みながら言う。

 その息は、先ほどよりも弱くなっているようだった。


「お逃げなさい、魔王様……王たちを、連れて。大噴火が起こっ、ても、この広大な魔族領は……滅びは、しません。ただ……生産が、減り、混乱が、生まれ、人間に、抗えなくなる……だけです。此度の、大戦、は、これで……」

「セ……セネクル!」


 その時、不意に小さな影が駆け込んできた。


「セネクルっ、セネクルっ」


 アル・アトス王は、今にも泣き出しそうな声音で、自らの従者に縋り付く。


「ああ……哀れな、我が、王……」


 セル・セネクルは、弱々しい笑みを浮かべる。

 その目はすでに光を失っているのか、主君の方を向くこともない。


「残念、でし、たね……悪魔族、は……この先、も、愚かな貴族の、専横が、続く、でしょう……。私が……先王を、殺し……あなたのような子供を、王位に就けた、ために、です……」

「セネクル……!?」

「あなたに、待つのも、苦難、ばかりだ……私も、もう、いない……」


 そして最後の一息を吐き出すように、銀の悪魔は言う。


「これから、は……せいぜい……ご自分で、話され、ます……よ、う……」


 悪魔の体が力が抜け、首が微かに横に傾いた。

 その息が絶えたようだった。


 よく晴れた朝にそぐわない、絶望的な沈黙が、辺りに流れる。

 そんな中――――ぼくはヒトガタを、裏切り者の死体に跪く小さな悪魔の王へ向けた。


「一応、訊いておこう。アル・アトス王」

「……セ、セイカさまっ? なにを……」


 ぼくのただならぬ様子を感じたのか、ユキが耳元で動揺の声を上げた。

 ぼくはかまわず続ける。


「其の方の従者は帝国の手先だった。この事態は……其の方の差し金か?」

「……いいえ」


 答える声は、小さく震えていた。

 こちらを振り仰ぐ仕草も、ずいぶんと弱々しい。

 だが、ぼくを見返すその目には――――強い力が宿っているように見えた。


「そのようなことは、決して」

「……そうか」


 そう言って、ヒトガタを散らす。

 疑う意味はなさそうだった。


 ぼくは雲のない果ての大火山を見据えながら、重い息と共に告げる。


「ならば……これからのことを考えよう」




――――――――――――――――――

※鉄蜷矢の術

螺旋が描かれた円錐状の鉄杭に、回転を加えて放つ術。ジャイロ効果により直進性が高い。

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