第二十四話 最強の陰陽師、思い至る


 静かな夜の岩場に、沈黙が降りた。

 長く続いたそれを強引に破るようにして、ぼくは口を開く。


「だが、それは……考えてみれば当たり前のことなんじゃないのか?」


 ためらいがちにリゾレラへと言う。


「集落が発展すれば、人口が増える。そうなれば新たな畑や家が必要になる。新天地を開拓していかなければならないのは、どんな生物でも同じだろう。それとも魔族だけは違うというのか?」

「たぶんだけど……そういう傾向が、魔族は人間ほど強くないの」


 リゾレラは静かに答える。


「先祖代々の土地から離れず、集落の境界もあまり広げたがらない。まれに新しい土地を目指す変わり者も中にはいるけど、そんな時も他の集落とぶつからない場所を慎重に選ぶの。他の集落は、彼らの先祖の土地であるから」

「……」

「だから、魔族同士で戦争が起こることは滅多にないの。住む場所が重ならなければ、争いだって生まれない。というよりもむしろ……人間が節操なく広がりすぎなの。海から山から、暑いところから寒いところまで好んで棲み着く生き物なんて、他にいないの。人間同士で争いが絶えないのも、それが原因ではないの?」

「……」


 言われてみれば、そのような気がしてくる。

 灼熱の砂漠から極寒の雪原に至るまで、人間はどこにでもいる。確かにこちらの方が異常かもしれない。


「しかしそれでは、人口がなかなか増えないんじゃないのか?」

「そうなの」


 リゾレラがうなずく。


「魔族領がここまで後退してしまったのも、増え続ける人間に対して劣勢になったからだと言われているの。だから前回の大戦が終わったあたりで、各種族が人口を増やすような政策をとって、そのおかげでここまで勢力を盛り返すことができたの。この五百年間、魔族の領域は人間に奪われていないの。ただ、その代わりに……種族間のいざこざが増えたりとか、大型モンスターがいなくなったりとか、弊害は出ているけれど」

「なるほど……」


 思い返してみれば、王や代表らもそのようなことを話していた。

 あれにはこういった背景があったのか。


「なんとなく理解できたが……君は先ほど、理由は二つあると言ったな」


 リゾレラがこくりとうなずく。


「もう一つの理由は、なんなんだ?」

「それは……魔王と勇者の存在なの」


 リゾレラが、わずかに沈んだ表情になって言う。


「彼らは、争う定めにあるの。そのせいでどうしても、魔族と人間は争ってしまうの」

「……それは、因果が逆なんじゃないのか? 人間と魔族が争っているから、本来ただ強いだけの彼らにそのような役目が与えられるんだろう。それに今は、どちらも人口が増えたおかげで、戦力的には時代後れとなっているとも聞いたが」

「違うの。魔族と人間との争いは、どこまでも彼らが中心となるの」

「それは……なぜ」

「勇者と魔王は――――必ずそのどちらかが、正気を失ったようになるの。物心ついた時から、すでに」

「……は?」

「ううん、言い方が難しいの。正気を失うのとは、ちょっと違うかもしれないの」


 リゾレラが難しい顔をしながら続ける。


「でも、少なくとも平穏に過ごすことはできなくなるの。魔王なら人間を、勇者なら魔族を、激しく敵視して、争いの中に身を投じるようになる。やがてそれは種族すべてを巻き込み、大戦へと発展していく……。魔王は大軍を結成して人間の国に攻め込み、勇者は少数の英雄たちと共に魔王を討ちに向かうという違いはあるけれど、行き着く先は同じなの」

「……」

「前回の大戦でも、勇者が攻めてくるという危機感があったからこそ、森人エルフ矮人ドワーフの反発がありながらも魔王軍を結成できたの。これまですべての大戦がどちらかを滅ぼすことなく終結してきたのも、旗頭となる魔王か勇者が倒されれば、急に両者の間で厭戦的な雰囲気が漂い始めるからなの。なぜか倒した側も、それきり人間や魔族に対して興味を失ったようになって……。きっと魔王と勇者という対立構造がなければ、魔族と人間が全面的に争うことなんてできないの。だって魔族も人間も、本来はその内側でバラバラのはずだから」


 ぼくは、わずかに間を置いた後に訊ねる。


「それは……本当なのか?」

「……」

「そんな話、聞いたこともない。人間側の伝承には語られていないし、ルルムや代表たちがその、ぼくや勇者がどうにかなっている可能性については触れたこともなかったぞ」

「今では知る者も少なくなっているの。でも、前回はそうだったの。その前の大戦を知る魔族も、かつて同じことを言っていたの。だからきっと……これはそういうものなの」

「待て。前回はともかく……その前だって?」


 前回勇者と魔王が誕生したのは、約五百年前と言われている。そのさらに前となると……確か今から八百年以上も前だ。

 しかし、魔族の中でもっとも長い寿命を持つとされる森人エルフ黒森人ダークエルフですら、寿命はせいぜい五百年程度だったはず。


「なぜ八百年前に生きていた魔族の話を君が知っている。君は……いったい何者なんだ?」


 聞いたリゾレラは、目をぱちくりと瞬かせた。


「え、あれ……ルルムや他の神魔から、聞いてなかったの?」

「何を?」

「……もしかしてセイカ……ワタシのこと、ただの子供だと思っていたの?」

「人間でいう子供と呼べる年齢かはわからなかったが……まあ、そうだな」


 リゾレラは大きく溜息をついた。


「何? どうしたんだ? やっぱり見た目以上には生きているのか?」

「……ワタシは、子供じゃないの」

「……」

「こう言うと、まだ若い神魔が背伸びをしているだけのように聞こえるかもしれないけれど……本当に違うの」


 リゾレラは目を伏せながら言う。


「ワタシは誰よりも長く生きているの。レムゼネルよりも、エーデントラーダ大荒爵よりも、メレデヴァよりも、ヨルムド・ルーよりも……それどころか、森人エルフ黒森人ダークエルフの長老たちよりも、ワタシは生きているの」

「……何だって?」

「寿命がそれほど長くない神魔にあって……ワタシだけが、『不老』の【スキル】を持っていたから」


 リゾレラが、わずかな憂いと共に告げる。


「これまで五百二十年の間、魔族領を見てきたの」



****



 五百二十年。

 思わぬほどの時の長さに、ぼくは言葉を失った。


 それならば、前回の大戦を直接知っている、ということになるのだろうか。

 しかし、どうやってそれほどの時を……。


「……まず訊きたいんだが、その【スキル】っていうのはなんなんだ?」

「四百年以上前、悪魔族に不思議な能力を持つ男がいたの」


 リゾレラが静かに語り始める。


「その男は他人の持つ才能を、姿を見ただけで言い当てられたの。魔力や剣の腕のばかりでなく、商才や話術のようなものまで。それも、本人が自覚すらしていない才能さえも。その男は自らの力を、『ステータス鑑定』という【スキル】によるものだと言っていたの」

「ステータス鑑定……?」

「いわく、他人の持つ力を文字として知覚できるそうなの。自分はその【スキル】を、生まれながらに持っているのだと言っていたの」

「……聞いたことがないな」


 前世でも、そのような能力は噂にも聴かなかった。

 この世界特有のものだろうか……?


 リゾレラは続ける。


「その頃にはもう年を取らないことで神殿に囲われていたワタシは、里長の計らいで、その男に見てもらうことになったの。そうしたら、『不老』の【スキル】を持っていると言われたの。とても希少なものなのだとも」

「それは……そうだろうな」


 【スキル】というものが何なのかは今ひとつわからない。だが、生まれ持っての不老が珍しいということはわかる。


 前世において、不老とは獲得するものだった。

 修行を極め仙人となった者や、妖の肉を食べた者、あるいはぼくのようにまじないを用いた者もいただろうが、とにかく不老は後天的に得る能力であり、それ以外の例は聞いたことがなかった。


 ぼくの常識から考えても、リゾレラのような例はかなり特殊だ。

 それだけに、少々信じがたくもあった。【スキル】という未知の概念や、『ステータス鑑定』という謎の能力も含めて。


「……その悪魔族の男以降に、『ステータス鑑定』の能力を持つ者は現れなかったのか? あるいは、君以外の『不老』持ちでもいいんだが」


 ぼくが訊ねると、リゾレラは首を横に振る。


「神殿には探してもらっているけれど、どちらも見つかっていないの。ただ……かなり特別な力だから、いろんな事情でそれを周りに気づかせないまま、死んでしまった者がいてもおかしくないの。『ステータス鑑定』だけでなく、『不老』の方も」

「……『ステータス鑑定』は、隠して生きることもできるだろうが……『不老』は無理なんじゃないのか? 年をとらないんだから」

「『不老』は、『不死』ではないの。怪我はするし、病気にもなる。だから、自分自身でもそうと気づかないまま、若くして死んでしまった『不老』持ちがいてもおかしくないの。元々寿命が長い種族だと、特に」

「ああ、そういうことか……」


 確かに、そうであってもおかしくない。

 『ステータス鑑定』の方にしたって、無闇に言いふらせば頭がおかしいとも思われかねない能力だ。心の内に秘め、そのまま天寿を全うしてしまった者がいないとも言い切れなかった。


 一つ息を吐く。

 信じがたいのは変わらないが……否定できる要素もないし、嘘をつかれているとも思えない。

 ぼくは短い沈黙を経て、神魔の少女へと言う。


「……それにしても、まさか君がそれほどの長きを生きていたとはな。年を取らない特別な神魔とあれば、他の種族の者も一目置くというわけか」


 リゾレラの謎が、これでようやく解けた。

 もっとも、ルルムや本人に訊けば普通に教えてくれただろうから、謎でもなんでもなかったわけだが……。


「誰も言ってくれなかったから、てっきり地位が高いだけの子供かと思っていたよ。別に、そこまで違和感もなかったし……」

「なに? 性格が子供っぽいって言いたいの?」

「え、いや、その……」


 睨まれてうろたえるぼくに、リゾレラはすねたように言う。


「……仕方ないの。見た目が子供だと、周りもそういう風に接してくるし……いつまでも変わらない姿で、変わらない生活をしていれば、性格も変わらないの。ワタシよりずっと短い年月しか生きていない子たちの方が、あっという間に大人になっていくの」

「ああ……いやわかるよ。なんとなく」


 ぼくはぽつりと言う。


 前世で初対面の者から『思っていたよりガキっぽい性格』と言われ、ショックで二日引きずったことを思い出した。

 仕方ないのだ。若い弟子たちに囲まれ、いつまでも変わらない生活を送っていれば、精神的な成長なんてしない。

 周りに置いて行かれるばかりの人生だったのは、ぼくも同じだ。


 西洋で古代の叡智に触れ――――そして妻の蘇生をあきらめたあの瞬間から、ぼくは何一つ変わっていない。


 ぼくは微かに笑って言う。


「だが、周りの者は別に君を子供扱いなんてしてないんじゃないか? レムゼネル殿などは、かなり敬意を払っていたように見えたが」

「レムゼネルは……あの子が小さい頃からよく知っているから」


 過去を思い出すように、リゾレラは笑みを浮かべる。


「あの子にとって、きっとワタシはいつまでたっても、少し年上のお姉さんなの」

「ああ、会合の場でレムゼネル殿がなんとなく頼りなかった理由が今わかった」

「もしかしてワタシが隣にいたせい? なら、これからはもっと厳しくしないとダメなの!」

「これからか? レムゼネル殿ももう老境だろうに、同情してしまうな」


 ひとしきり笑った後、リゾレラがぽつりと言う。


「ワタシが特別に思われているのは……年を取らないだけではなくて、きっと前回の魔王に会ったことがあるからでもあるの」

「えっ、魔王に?」

「前回の大戦を知る魔族は、今でも森人エルフ黒森人ダークエルフの中に少しいるけど……魔王を直接知る者は、たぶんもうワタシだけなの」

「……どんなやつだったんだ? 前回の魔王って」


 リゾレラはふっと笑って言う。


「セイカにはぜーんぜん、似てないの」

「ええ……」

「あの人も混血だったの。ただし人間とではなくて、いろいろな魔族との混血。金髪で、肌が少し赤くて、頭には悪魔の角があって、背中には鳥人の黒い翼が生えていて、額には第三の眼があった。それでいて……すごく明るい性格だったの」

「……」

「混血は立場が弱いことも多いのだけれど、あの人はずっと機嫌が良さそうで、少しお調子者で、みんなから好かれていたの。あの時はちょうど、後に四天王と呼ばれる者たちと旅をしていた時期だった」

「……」

「会ったことがあると言っても、まだ不老だと知られていなかった小さな頃に、森で迷っていたところを助けられて、少しの冒険をしただけ。それでも、もっとこの人のことを知りたい、一緒にどこまでも行きたいって思えた。そういう人だったの」


 リゾレラは数歩進み出ると、ぼくを振り返って言う。


「ほんとうは、セイカが……前世の記憶を持っているんじゃないかって、期待していたの」


 一瞬どきりとするぼくに、リゾレラは続ける。


「もしかしたらワタシのこと、覚えているんじゃないかって……。でも、そんなわけないの。だってあの人も、前世の記憶なんて持ってなさそうだったから」

「……」

「それでも、セイカと一緒に行こうと思ったのは……あの頃の何かを、取り戻したかったからかもしれないの。あの時、ワタシにもっと力があって、あの人の旅に付いていくことができたとしたら……何かを変えられたんじゃないかって、ずっと思っていたから。今でも魔法は得意ではないし、剣なんか振れないけれど……でも長く生きてきたおかげで、いろんなことが知れて、いろんなものを用意してあげられるようになった」

「……ああ、そうだな。いろいろと助かったよ」


 それからぼくは、わずかに間を空けて訊ねる。


「君は……それならひょっとして、勇者や人間を恨んでいるんじゃないのか?」

「……」

「だって、前回の魔王は……」


 前回の魔王は、勇者によって倒されている。

 これまでに起こったすべての大戦は、どちらかがどちらかに倒されることで終結しているのだ。


 リゾレラは、ぼくから目を逸らして答える。


「恨んでいたことも、あったの。でも長く生きている間に……そんな感情もなくなったの」

「……」

「だってどれだけ敵対していても、人間を伴侶に選ぶ魔族が後を絶たないの。あなたの母のように。結婚の報告で、幸せそうに人間を連れてこられるなんてことが続けば……いつまでも恨んでいることなんて、できなかったの」


 苦笑にも似た笑みを浮かべて、リゾレラは言った。


「人間とも、仲良くできたらいいの」

「……そうだな」

「でも、向こうはどう思っているかわからないの」

「……」

「勇者は脅威なの。前回の大戦でも、魔族領に勇者のパーティーが攻めてきた時には、とてもたくさんの犠牲が出たの。だから、今回も……」


 リゾレラは、思い詰めた表情で言った。


「すべての魔族が団結して、人間に立ち向かわなければならないかもしれない」



****



 温泉へと向かう道すがら。

 ユキが、頭の上から顔を出して言う。


「大火山に不老不死とは、なんだか竹取物語のようでございますね」

「……役者は誰だよ。帝がぼくで、なよ竹のかぐや姫がリゾレラか?」


 それならぼくは、あの山で何を燃やすことになるのだろうか。


 ユキの戯れ言は半ば以上聞き流していた。そんなものよりもずっと、考えるべきことがあったからだ。


 あのわずかなやり取りで、新たにわかったことがいくつもあった。魔族の森を切り拓いてきた人間たち。長きを生きるリゾレラの秘密。だが何よりも――――魔王と勇者についてだ。


「正気を失ったようになる、か……」


 リゾレラはそう言っていた。

 だが、現実にそのようなことは起こっていない。


 ぼくはもちろん人間を敵視などしていないし、アミュだってルルムたちと仲良くやっている。冒険好きで多少荒っぽいところはあるかもしれないが、平穏に過ごすことができないなどということはまったくない。


 リゾレラが思い違いをしている可能性を考えないならば、やはりぼくが魔王じゃないということになるのか。しかしその場合、戦いに身を投じるようになるはずの魔王が、未だ世に出てきていないことの説明がつかない……。


「……いや、違う」


 ふと気づき、ぼくは思わず立ち止まった。


「……ぼくか」


 転生してきて・・・・・・しまった・・・・ためか。ぼくが――――人間を敵視し、戦いを挑むことになるはずだった、魔王の体に。


 確証はない。だが、それならばすべてが矛盾なく嵌まる。


 だとしたら、異世界人であるぼくが歪めてしまったことになる。勇者と魔王が――――人間と魔族が、争う定めを。


「参ったな……」


 思わず引きつった笑みが浮かぶ。

 まさかただ生まれ変わっただけで、この世界の命運をここまでねじ曲げていたとは。


 世界の行く末を左右できる立場なんてごめんなはずだった。

 力ある者には、それを恐れもしない狡猾な者たちがたかり、食い物にしようとする。だからこそわざわざ転生し、名もなき民衆の一人になろうとしたのに。


 ぼくは、視界の先にそびえる果ての大火山を見据えながら呟く。


「結局……避けられないものなのだろうか」


 力ある者を待つ、定めというものは。

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