第二十三話 最強の陰陽師、火山を見物する


 翌日。

 蛟に乗ったぼくたちの眼下には、大きな山がそびえていた。

 山肌に木々はなく岩ばかりで、ところどころから白い蒸気が上がっている。

 ぼくは呟く。


「これが……地震を生んでいるという、果ての大火山か」

「そうなの」


 すぐそばで、リゾレラがうなずいた。


 昨日の夕暮時のこと。

 めぼしい場所を回りつくし、次の目的地が誰からも出てこない中で、最後に、とリゾレラが提案した場所が、この果ての大火山だった。

 魔族領の東の端に位置する巨大な火山で、魔族領に地震が多い原因とも言われている山だ。

 場所によっては火山特有の毒気が溜まっており、山をよく知る者でなければ危険ということで、蛟で上から見るだけとなったが……それでも十分な景色だった


「みんなは来たことあるのか?」


 振り向いて訊ねると、王たちは全員首を横に振る。

 まあ場所が場所だし当然だろう。


「山の向こう側には、砂漠が広がっていると聞きましたが」


 ヴィル王が訊ねると、リゾレラが答える。


「そうなの。この先はずーっと、海まで砂漠なの」

「ふうん。こちら側は森が広がっているのに、不思議な地形だな」

「山の向こうには太古の昔、人間の国があったの。大きな国だったけど、何千年も昔に大噴火が起きて、溶岩や土砂や噴煙が全部そちら側に流れて、滅びてしまったの。それで放棄された穀倉地帯が、そのまま砂漠になった……っていう古い伝承が、この辺りの魔族の集落に伝わっているの」

「へぇ」


 穀倉地帯が砂漠に、ということは、元々土地が痩せていたか、噴火による気候変動あたりが原因だろうか。


 蛟でさらに近づくと、火口が視界に入る。


「あー、溶岩湖はないんだな」


 思わず呟くと、リゾレラが眉をひそめて言う。


「そんな恐ろしいものがあるわけないの。噴火したわけでもないのに」

「人間の国には、それほど活発な火山があるのですか?」


 ヴィル王の問いに、ぼくは言葉を濁す。


「い、いや、そういうのもあると聞いたことがあったものだから……」


 日本の富士山には、火口に噴煙をあげる溶岩湖があったので、つい期待してしまった。

 ぼくは話題を逸らすように言う。


「でも、この火山もかなり活発なんだな。あちこちから蒸気が出てるし」

「なあ、あそこにあるのはなんなんだ?」


 ガウス王が指さす先を目をこらして見ると、山肌にレンガに似た石材で造られた井戸のようなものがあった。

 一箇所ではなく、ぽつぽつと複数箇所にある。井戸には似ているがつるなどはなく、ただ穴が開いているのみのものが多い。その一方で、水車小屋にも似た複雑な機構が付属しているものもある。

 それらのすべてから例外なく、白い蒸気がもくもくと上がっていた。


 ぼくは首をかしげる。

 前世でも見たことがない設備だ。ペルシアにあった地下水路カナート竪坑たてこうに近い気もするが、温泉でも汲み上げているのだろうか……?


「あれは蒸気井戸なの」


 その時、山を見下ろしたリゾレラが言った。

 聞いたこともない単語に、ぼくは反射的に訊ねる。


「蒸気井戸? なんだそれ?」

「火山から蒸気を取り出す設備なの」


 リゾレラはそれから、もう少し詳しい説明を始める。


「溶岩の熱で山の中の地下水が温められて、蒸気ができるの。あの井戸は、それを地中から取り出しているの」

「蒸気だけをか? そんなことをして何の意味があるんだ?」

「昔はこの辺りに住んでいた矮人ドワーフたちが、鉱石採掘のための動力源に使っていたの」


 リゾレラは続ける。


「蒸気が上がってくる力で、水車みたいなものを回すの。それを歯車でいろいろやると……いろいろなことができるようになるの。重い鉱石を持ち上げたりとか、削ったりとか、運んだりとか……」

「細部がすごいざっくりしてるな」

「ワタシも別に詳しくないの。それに今は、そんな用途にはほとんど使われてないの」

「じゃあ、なんであんなにあるんだ?」


 あらためて山肌を見下ろす。

 水車小屋のような設備が付属している井戸は、そもそもほとんどなかった。大部分は石材で囲まれたただの縦穴だ。


 リゾレラは答える。


「蒸気井戸には、噴火を抑える役目があるの」

「ふ、噴火を?」

「そうなの」


 リゾレラがうなずく。


「噴火は、土の中にある蒸気の上がってくる力が強くなりすぎて、土砂や溶岩と一緒に地上に飛び出してきてしまうことで起こる……そうなの。だからああやって山に穴を空けて、普段から蒸気を外に逃がしてあげることで、噴火を抑えているの」

「そ……そうなのか?」


 初めて聞く情報に、ぼくは呆然と呟く。


「いや、確かに噴煙には蒸気が混じっていると聞くが……そんなことで、噴火などという巨大な現象を抑えられるものなのか……?」

「細かいことは知らないの。でも、大昔に矮人ドワーフの賢者が言っていたことなの。それに実際、矮人ドワーフが蒸気井戸を作り始めた千年前くらいから、果ての大火山は噴火を止めているの」

「……」


 理屈としては通るし、歴史的にも辻褄が合うなら……やっぱりそういうものなのだろうか。

 ふと、ガウス王が思い出したように言う。


「ああ! そういえば昔親父が言ってたな。実物は初めて見たぜ!」

「ガウス王は知っていたのか……。ぼくは初めて聞いたよ。魔族の文明もなかなかすごいな」


 そう言うと、他の王たちが意外そうな顔をした。


「『むしろ、ご存じなかったとは思いませんでした』と、王は仰せでございます」

「な。てっきり何でも知ってるもんだと思ってたよ」

「魔族ならば多くの者が知っておるがのう」

「へぇ。じゃあみんなも知ってたんだな」

「うん。フィリも、小さい頃に家庭教師から教えてもらったよ」

「僕もいつのまにか知っていました。ちなみに今の蒸気水車を管理しているのは、主にふもとの集落に住む鬼人オーガ族の者のようです。やはり鉱石の採掘に利用しているのだとか」

「へぇ……」


 ぼくは次第に興味が湧いてきた。


「……ちょっと降りられないかな。小屋のある井戸の近くなら、管理する者がいる以上は当然毒気も溜まっていないんだろうし……」

「やめるの」


 ぼくがそう言うと、リゾレラが即座に止めた。


「前ならともかく、ここ最近は火山が活発になってきているから、毒気もどうなってるかわからないの。蒸気だって、ワタシが昔来た時にはこんなに吹き出てなかったはずなの……。山を知る者の案内がない限り、近寄らない方がいいの」

「うーん……そうか。それならやめておくか」


 実を言うと、今ここにいる全員、多少の毒気を吸ったところで問題はない。

 ぼくがそのようにしているからだ。


 ただ……と、ぼくは山肌に点在する蒸気井戸を見下ろして呟く。


「ま、無理して見るほどのものでもないからな」



****



 その日の夜は、近くにあった鬼人オーガの集落で宿を借りることとなった。

 リゾレラが熱心に推していたからだ。なんでも、その村には温泉が湧いているのだとか。


「『温泉ですか!』と、王は仰せでございます」

「おー。ここじゃねぇけど、昔軍の連中と一緒に黒森人ダークエルフの管理する湯治場へ行ったっけ。お前らは?」

「オレも行ったことがあるぜ! あの時は確か親父とお袋も一緒だったな」

「僕は初めてだよ。楽しみだな」


 おおむね好評のようだった。どうやら魔族の間にも湯治の文化があるらしい。


「えっ!? やだやだ! フィリはぜったい、入らない~!」


 唯一フィリ・ネア王だけは死ぬほど嫌がっていたが、意地の悪い顔をしたプルシェ王と、真顔のままのリゾレラに引きずられて、結局は湯場へ向かったようだった。

 風呂嫌いが猫人という種族の特徴なのか……まあもしくは、単にフィリ・ネア王がそうだというだけかもしれないが。


 で、ぼくはというと。


「……っと。ふう」


 集落の外れにある、ひらけた岩場にて。

 位相から出した酒樽を並べ終えたぼくは、額の汗を拭った。

 これらはすべて、今までに立ち寄った集落にて、少しずつ買い集めていたものだ。


「さて……」


 ぼくのすぐ目の前には、蛟の巨体が浮遊している。どこかそわそわとして、何かを待っている様子だった。

 いつまでもじらしていれば暴れられかねない。

 ぼくは龍へと告げる。


「よし。好きに飲め」


 言うやいなや、蛟が酒樽の一つに食らいついた。

 たがを歪めて器用に蓋だけ割ると、そのまま頭を傾けてごくごくと中身を飲み始める。

 あっという間に空になってしまった酒樽を、蛟はその辺にぽいと放り捨てた。そしてすぐに、次の酒樽へと食らいつく。

 ぼくはその様子を眺めながら呟く。


「……気に入ったようで何よりだ」


 なんと言っても魔族の酒だ。何から造られているのかも定かでなかったが……まああやかしはその辺、気にしないのだろう。

 前世でもいろいろ飲ませていたが、濁り酒だろうとすみさけだろうと、西洋の葡萄酒ワインだろうと麦酒エールだろうと反応は特に変わらなかった。


「……なあそれ、どういう味なん……うわっ」


 蛟の長大な体が、ぐわんぐわんとうねる。

 ……どうやら酒樽三杯ほどですでにだいぶできあがってしまったらしい。

 酒樽三杯と言えばなかなかの量だが、蛟の巨体を考えれば人間で言う盃一杯にも満たないだろう。下戸にもほどがある。


 ぼくは半ば呆れ混じりに呟く。


「天狗などを除けば、あやかしはだいたいこうなんだよなぁ。どんな酒飲みよりも酒好きな割りに、下戸。まあある意味、安上がりで助かるが……」


 頭の上からユキが顔を出し、渋い声音で言う。


「ユキは、酒など嫌いです。あんな妙な味のする水を好き好んで飲む意味がわかりません。褒美ならば、甘い物の方がずっといいです」

「そして中にはこういう変わったのもいる、と。……っていうか、この分ならこんなに酒樽を買い集める必要もなかったな……」


 余った分はどうしよう、と考えていた時……。


「え、セイカ……?」


 背後から声が響いた。

 振り返ると、リゾレラの姿があった。目を丸くして蛟を見上げている。


「こ、こんな時間にドラゴンを出して、どうしたの……? それになんだか、様子がおかしいの……」

「ああ、別に心配ないよ。酔っ払ってるだけだから」

「酔っ……?」

「ここ数日、蛟をずっと飛ばせ通しだったから、褒美に酒をやっていたところだったんだ」

「ド、ドラゴンが、お酒なんて飲むの……?」

「こいつにとっては大好物のようだな」


 リゾレラは、完全にできあがってしまってぐねぐねうねる蛟の様子を、不安そうに見つめている。


「……明日、こんなのに乗って飛ぶなんて心配なの」

「大丈夫大丈夫。限界まで酔ったら寝て、朝起きたらちゃんと元に戻ってるから」

「そんなのぜったい、二日酔いになってるの」

「魔族にも二日酔いってあるんだな。でも翌日に具合悪そうにしているところは見たことないから、心配ないよ。……こいつは、人と同じような理屈で酔っているわけでもないしな」

「えっ……どういうことなの?」

「酒を飲むと酔うという、人間の習性を模倣しているだけだ。飲んだ酒も、腹に溜まるわけでもなく消える。そういうものなんだ」

「……不思議なモンスターなの」


 リゾレラが呟く。

 まあ正確には、あやかしという存在がだいたいそういう性質なのだが。


 ぼくは訊ねる。


「みんなはもう上がったのか?」


 リゾレラがこくりとうなずく。

 よく見ると、風呂上がりなためか、リゾレラの白い肌も少し赤らんでいるようだった。

 ぼくは言う。


「そうか。じゃあぼくも入りに行こうかな。こいつも朝まで起きないだろうし」


 すでに蛟は神通力を止め、地表に体を横たえて寝息を立てていた。

 こうなると、朝まで絶対に起きない。だから前世では、酒をたらふく飲ませ寝込みを襲うのが、強大なあやかし討伐の常道とされていた。


 リゾレラがうなずいて言う。


「そうするの。明日には……帰らなくちゃいけないの。だから今日は、ゆっくり休むのがいいの」

「……そうだな」


 この魔族領を巡る遊興も、今日で最後。そういうことにしていた。

 明日には皆で一度魔王城へ戻り、荷物を片付けてからそれぞれの王宮へ送り届ける予定だ。

 各種族の内情を訊くというぼくの用事は済んでしまったので、これ以上彼らを手元に置いておく理由はない。

 むしろ、もっと早くに帰しておくべきだっただろう。


 それをここまで引っ張ってしまったのは……正直、ぼくもあまり帰りたくなかったからだ。

 内情は知れたものの、ルルムの里に戻って代表らにどう働きかけるか、思いついたわけでもない。

 王たちを帰した後のことを考えると、かなり気が重かった。


「……みんな、気晴らしにはなっただろうか」


 思わず、名残を惜しむような言葉が出てしまった。

 リゾレラがこくりとうなずいて言う。


「楽しそうにしていたの。こうやって集まって、いろんなところを巡れてよかったの」

「それなら……」


 よかった、と言おうとしたところ――――これまであったもやもやとした違和感が、形になっていくような感覚があった。


 ぼくはわずかな沈黙の後、違う言葉を発する。


「…………それならどうして、人間だけがこの場にいないんだろう」


 リゾレラが、無言でぼくの顔を見上げた。

 それを見返さぬまま、ぼくは続ける。


「魔族は単一の種族ではなく、様々な種族の総称だ。中には鬼人オーガのような好戦的な種族や、巨人のような力に恵まれた種族もいる。発展度合いだってそれぞれ異なる。普通ならば……互いに激しく争い、どれか一つの種族が魔族領の覇権を握っていてもおかしくなかったはずだ。それこそ人間の帝国のように」


 前世でも、宋やイスラム、かつてのローマなどがそのような歴史をたどっていた。

 日本で朝廷が力を持っていたのも、まつろわぬ国々を平定していった結果だ。


「だが現状は、そうなっていない。少々の小競り合いこそあるようだが、うまく共存し合っている。王や代表らの間にも、かつて魔族間で大きな戦乱があったような軋轢は感じられない。きっと昔からこうだったんだろう。不思議だが、そういうものだと納得できなくもない。しかし……どうして人間だけは違うんだ? なぜ同じように共存できない」

「……」

「人間と魔族は、どうして争うんだ?」


 リゾレラは無言のまま、星の瞬き始めた空を見上げた。

 それから、おもむろに口を開く。


「……セイカは人間の国で過ごしてきたから、そう思うのも無理はないの。ここ百年くらいは戦争らしい戦争も起こってないから、若い魔族の間でも、そんな風に考える者が増えてきているの。商人たちのおかげで、人間が作った便利な物が手に入るようになったから、最近は特に」

「……」

「でも……」


 リゾレラが、思い詰めたような表情になる。


「魔族と人間は、争う定めなの」

「それは、どうして……」

「理由は二つあるの」

「……」

「ねえ、セイカ」


 リゾレラが、こちらを仰ぎ見る。


「魔族領は、ほとんどが森なの」

「……? そうだな」

「大地は、放っておくと勝手に木が生えてきて、自然と森になるの。だからこの大地は、太古の昔そのほとんどが、今の魔族領のような森だったと言われているの」

「……。だが……」


 人間の領域は、その大部分が普通の平野だ。


「それなら……」

「そうなの」


 リゾレラが静かにうなずく。


「人間が、あそこまで切り拓いたの。魔族の住んでいた、太古の森を」

「まさか……あれほどの面積をか……?」


 思わず疑問を口にするが、ぼくは前例をすでに知っていた。

 前世の西洋だって、かつてはそのほとんどが深い森に覆われていたと言われている。あれほどの発展を見せていたのは、その大部分を人間が開拓したからに他ならない。


 その森にもし、人間に似た存在が先住していたとしたら?

 開拓の際に、彼らを追いやってしまったとしたら?


 彼らは、人間を敵視するようになるのではないだろうか。


「……だが、魔族は……種族に差はあるものの、ほとんどの者は人間よりも強いじゃないか。そんな者たちが、ろくに技術も得ていない、数も少なかった頃の人間に追いやられるなんて……」

「弱い者ほど、どんな手でも使うの。川に毒を流されたり、罠に誘い込まれたりすれば、屈強な鬼人オーガや巨人でも倒されてしまうの。つい数百年前まで、人間はそうやって魔族を殺し、森を切り拓いていたの」

「……」


 ありえない、とは言えなかった。

 強大な妖や獣に対し、人間がどのようにして対抗してきたかを思えば。

 そればかりか、時に同族に対してでもだ。


「たまに、すごく強い人間も現れるけど……そんなの物の数じゃないの。これまで圧倒的に多くの魔族を殺してきたのは、強くもなんともない、普通の人間たちなの」

「……。ならば、魔族は……人間を憎んでいる、ということなのか? かつて自分たちが支配していた領域を侵し、同胞を滅ぼしてきた敵であるから……」

「憎む?」


 リゾレラは目を瞬かせる。

 まるで、そんなことを言われるとは思いもよらなかったという顔だった。


「……違うの。魔族が人間に抱く感情は、そういうものじゃないの」

「……」

「力が弱く、魔力もあまり持たず、寿命も短い脆弱な種族であるはずなのに……強いはずの魔族を殺し、森を切り拓いて、その資源を使ってあっという間に増え、自分たちの領域を浸食してくる。そんな存在に抱く感情は、憎しみなんかじゃないの……恐怖なの」


 リゾレラは、薄い微笑をぼくに向けた。


「魔族はみんな、人間が恐ろしいの――――だからこそ武器を手に、立ち向かってきたの」

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