第二十二話 最強の陰陽師、起きる


 夜。ぼくはふと目を開けた。

 視界にあるのは、高い天井と梁。立ち寄った巨人の集落で、外れに建つ古びたやしろを宿として借りたのだ。宿というには粗末な建物だったが、王たちの身分を明かしたくなかった都合、集落の中心で宿を借りることはしづらかった。


 ぼくは身を起こすと、寝入る王たちを見回す。


「……」


 やがておもむろに立ち上がり、音を立てないよう静かに社を出た。

 そして、外で周囲を気にしながら佇む人物へ声をかける。


「このような夜更けにどうされたのかな、セネクル殿」


 銀の悪魔は、はっとしたようにこちらを向いた。

 セル・セネクル。アトス王の従者は、確かそんな名だった。

 従者の悪魔は、ややすまなそうな笑みを浮かべ、ぼくに答える。


「起こしてしまったようですね。申し訳ございません。少々喉が渇いたもので、井戸の方へ」

「其の方は巨人の井戸を一人で上げられるのか」

「……」


 銀の悪魔は、困ったような顔をするばかりだった。

 ぼくは続けて言う。


「アトス王がいないようだが、其の方は気づいていたか?」


 悪魔の王の寝床は、いつの間にか空になっていた。

 セル・セネクルがややためらいがちに答える。


「ええ……ですので、少々様子を見に行っておりました」

「……」

「遠くへ行かれてはいません。すぐそこの、裏手におられます。魔王様の結界から出ていないことは、おそらく把握されていたとは思いますが」


 銀の悪魔の言うとおり、アトス王がぼくの張った結界の内側にいることはわかっていた。だから、彼のことはそれほど心配していなかったわけだが。

 ぼくは問う。


「なぜ主君のそばについていない」

「……。どうにも、一人にしてほしそうなご様子だったもので」


 セル・セネクルは、言葉に迷うようにそう答えた。

 自らの行動に、自信が持てていないように見えた。


「おそばへ参ることもためらわれ、しかし私だけ眠るわけにもいかず、こうしてここで陛下のお戻りを待っておりました。何かあっても、すぐに駆けつけることができるようにと」

「……。そうか」


 ぼくは肩の力を抜き、一つ息を吐いた。

 妙な行動をしていたから問いただしてみたが、別に大したことではなかったようだ。

 アトス王がこんな夜に一人でいるというのは少々気がかりだったが……彼にもいろいろ、抱えているものがあるのだろう。前世の経験上、こういう時はそっとしておくに限る。


 ぼくは告げる。


「ならば、其の方も眠るといい。そこでずっと待たれていたとわかればアトス王も気にするだろう。あの子のことなら心配いらない」


 王たちを預かるにあたり、ぼくはちょっと過剰なくらいの安全措置をとっていた。

 たとえ結界から出てモンスターや刺客に襲われたとしても、大事にはならない。

 ぼくは踵を返しながら続ける。


「ただ、今後不用意に結界に触れるのはやめてくれ。そのたびにぼくが起き出さなきゃならなくなるからな……」

「あの、魔王様」


 銀の悪魔に呼び止められ、ぼくは振り返った。

 セル・セネクルは言う。


「よろしければ……陛下を、迎えに行ってはいただけないでしょうか」

「……。一人にしてほしそうなんじゃなかったのか?」

「そうではあるのですが……」


 銀の悪魔は、曖昧な笑みと共にぼくへ告げた。


「魔王様に声をかけていただければ、きっと陛下も喜ばれると思いますので」



****



 巨人の造った巨大な社の裏手に回ると、小さな声が聞こえてきた。

 それはどうやら、歌であるようだった。


「……」


 アトス王の姿を見つけ、ぼくは足を止める。

 小柄な悪魔の王は、木材の一つに腰を下ろし、静かに歌っていた。

 悪魔族に伝わる歌なのだろうか。それは前世でも今生でも聞いたことのない、不思議な旋律だったが……やや高い少年の声には、よく合っているように思えた。


 歌声が止むのを待って、ぼくは声をかける。


「意外だ、君は歌が上手だったんだな」

「あっ! まっまっまっ魔王様!」


 アトス王はびっくりしたように飛び上がると、ぼくへ向き直り姿勢を正した。

 それから、うつむきがちに言う。


「ききき、聴き苦しいものを……も、申し訳ありません。うるさかった、ですか……?」

「いや、ここへ来るまで全然聴こえなかったよ。巨人の社は大きいから」


 ぼくはそう言って笑みを浮かべると、アトス王の横に腰を下ろした。

 悪魔の王が、恐る恐るといった調子で訊ねてくる。


「あの……どうして、わっわっわっ我が、ここにいると?」

「セル・セネクル殿に聞いたんだ。彼も心配するだろうから、あまり一人で抜け出さないように。明日も早いしな」

「はい……」


 アトス王はうなずくと、それからぽつりと言う。


「王宮にいる時も……たったったったまにこうして、一人で歌っていたのです。誰にも、ききき聴かれない場所で……」

「……。それは、悪魔族に伝わる歌なのか?」

「ええ、古い民謡です。幼い頃に、母がよく歌って、ききき、聴かせてくれたもので……わっわっ我も、好きな歌でした」


 ぼくは、少し笑って言う。


「そうだったのか。だが、どうせなら他の者にも聴いてもらえばいいだろうに。王ならば宴席のような場もあるだろう。せっかく達者なのにもったいない」


 聞いたアトス王が、力なくうつむいた。


「わっわっ我の歌う様など……皆を不快に、さささ、させるだけでしょうから」

「……そんなことはないと思うが……」

「いいえ。きっきっきっ、きっと誰もが、思うでしょう。こっこっ言葉が不得手で、歌ばかり達者とは、ままままったく、どうしようもない王だ……と」


 言葉が見つからないぼくに、アトス王が続ける。


「幼い頃から、わっわっ我は、こうなのです。こここ、言葉がうまく、出てきません。直そうと高名な医者や教師を招聘しょうへいし、さささ、様々な手を試みたのですが、どれもうまくいかず……こ、こ、今日こんにちまで、来てしまいました」

「……」

「ならばと、こっこっこっこの欠点を補うべく、王としての勉学に注力してきたのですが……」


 アトス王が目を伏せる。


「ま、ま、魔王様に同行し、久しぶりに皆とさ、さ、さ、再会して……自信を失ってしまいました」

「……。それは、どうして?」

「皆、口ではあれこれ言いつつも……かかか賢く、深い見識があり、明確なこ、こ、こ、志を、持っています。我には……なにもありません」

「……」

「ガウス王にヴィルダムド王は、自らのしゅ、種族の行く末を憂い、どうするべきかをはっきりとみ、み、見定めています。シギル王は、せせせ、政治的なバランス感覚に、す、優れた男です。加齢と共に、ち、ち、ち、力を付けていけば、軍部の舵取りを、うまくやるようになるでしょう。王宮内の、せっせっ政治に長けたプルシェ王は、おそらくすでに、すすす少なくない議員を、味方に付けています。フィリ・ネア王が君臨する獣人族は、こっこっ今後さらに、勢いを増すことでしょう。人間社会から魔族領に、ももも、もたらされた貨幣経済の広まりは、か、か、彼女にとって、追い風となりますから」

「……」

「しかし、わっわっわっ我にはなにも、ありません。種族の目指すべき道筋も見えず、せせせ精通している事柄も、なく……そっそっそればかりか、言葉すらまともに発することのできない、置物の王です。本当は、わっわっ我は、皆と並ぶ資格すら、ないのかもしれない……」


 つかえながら言い終えたアトス王は、また深くうつむいてしまった。

 ぼくは、少し置いて告げる。


「そんなことはないと思うな」

「ありがとうございます。ききき、気休めであっても、うれしく思います」

「気休めではないよ。それどころか……君はあの子らの中の誰よりも王らしいと感じる」


 アトス王は驚いたように顔を上げた。


「まま、まさか、そんな……」

「本当さ。立ち居振る舞いに気品があり、種族のどんな事柄について訊いても淀みなく答えられる。言葉が不自由とも思わないよ。だって君がセネクル殿に託す言葉は、いつだって完璧な、王としての言葉だったじゃないか」

「ししし、しかし……」


 アトス王が信じられないかのように言う。


「わっわっ我には、種族の目指すべき道筋も、得手とする事柄も……」

「ヴィル王やガウス王の目標が単純で明快なのは、鬼人オーガ族や巨人族が発展の余地を大いに残しているからだろう。悪魔族の社会はだいぶ成熟しているようだから、道筋がはっきりしていなくても仕方ない。発展した国ほど政治が複雑になるからな。得手とする事柄も、なくたっていい。君は幅広い物事を決定しなければならない立場なんだ。むしろ専門家をいかに集め、使うかの方が重要となるだろう」


 ぼくは告げる。


「君に必要なものがあるとすれば、それは自信だ。もっと胸を張ってもいいんじゃないか?」

「……ありがとう、ございます」


 アトス王が、微かな笑みと共に言う。


「すす、少し……自信が持てた、気がします。これでいくらか、こっこっこっ言葉も流暢になれば、いいのですが」


 ぼくは、少し考えて訊ねる。


「やっぱり、緊張したりするとどもりが出るのか? 初めに会った時より、今の方がずっと自然に喋れている気がするが」

「ええ。あの時は、しっしっしっ失礼しました。ただ平常時であろうと、普通の者のように話すことは、む、む、難しいです。そそそそれに、王という立場で、大勢の前では話さないというわけにも、いきません」

「うーん……」


 ぼくはずっと思っていたことを告げる。


「ぼくの知る限りでも、前世……あ、いや、人間の歴史の中で、吃音持ちの為政者や指導者は何人かいた。その中には、意外だろうが演説の名手とされる者も。だから決して、致命的な欠点というわけではないと思うんだが……」

「ほんとうですかっ?」


 アトス王が、身を乗り出すようにして訊ねてくる。


「では彼らはいったい、どのようにしてこっ、こっ、こっ、こっ、この悪癖の克服をっ?」

「い、いやそこまでは、ぼくも知らなくて……」


 幸か不幸か、弟子には吃音持ちがおらず、この病について詳しく調べたことはなかった。

 とはいえ、このまま突き放すのもかわいそうだ。

 ぼくは頭をひねる。


「……そういえば、セネクル殿に言葉を託す時は普通に話せているのか?」

「はい。セネクルは幼い頃からの従者で、きっきっ気負いなく話せるというのもありますが……そそそそれ以上に、囁くようにして話すと、不思議と淀みなく、言葉が出てくるのです」

「そうなのか。話し方で変わるものなんだな」


 しかしかと言って、誰彼かまわず囁きかけるわけにもいかない。

 またしばし考えていると、もう一つ気づいたことがあった。


「あ、そういえば……歌」

「……?」

「歌っている時も、言葉に詰まる様子はなかったな。囁いていたわけでもないのに」

「歌……ですか。こっこっこっこれまで気に留めたことも、ありませんでしたが……」


 アトス王が、考え込むようにして言う。


「……言われてみれば確かに、そそ、そのようです」

「なら……歌うように話してみるというのはどうだろう」

「えっ、歌うように?」

「ああ。こう、節をつけるというか……そのような歌だと意識して話す。そうすれば、どもらずに話せるんじゃないか? もちろん普段からは難しいかもしれないが、あらかじめ話すことを決めているような場面なら、あるいは」

「……興味深い方法です。こっこっこっこれまでどんな医者も教師も、そそそそのように言ってきたことは、ありませんでした」

「まあただの思いつきで、うまくいく保証はまったくないんだが……」

「いえ……光明がみ、み、み、見えた気がします。ありがとうございます、ま、ま、魔王様。練習してみようと、思います」


 アトス王は、小さく笑って付け加える。


「歌と同じように、誰にも聞かれぬよう、こ、こ、こっそりと……少々、恥ずかしいので」

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