六章(自由都市ラカナ編)
第一話 最強の陰陽師、馬車旅をする
よく晴れた、春の日の正午前。
北東へ延びる帝国の街道を、ぼくとアミュを乗せた馬車が走っていた。
御者台に乗って手綱を握っていると、頬を撫でる涼風が気持ちいい。
心なしか、馬も調子が良さそうだ。
「ねぇ、セイカ」
荷台から、アミュが話しかけてくる。
「そろそろ替わる?」
「え? いいよいいよ。まだ全然疲れてないし」
「……そう言って、あんたもうずっとそこ座ってない?」
アミュが若干呆れたように言う。
「なんでもうすっかり馬車大好きになっちゃってるのよ」
アミュの言う通り。
馬車の大まかな動かし方を教わったぼくは、それからほとんどの時間を御者台の上で過ごしていた。
素直に答える。
「結構楽しいんだ、これ。あと自分で動かしてると不思議と気分が悪くならない」
「馬の世話まで甲斐甲斐しくするようになっちゃって」
「馬は元々好きだからね。それに昔は自分で牛の世話も……あ、いや」
「牛……? あんたの実家、牛なんて飼ってた?」
アミュが訝しげに言う。
もちろんそんなわけもなく、前世の話だ。日本に居た頃は、普通に牛車に乗ることが多かったから。
あれは大した速度は出ないものの、その分乗り心地は悪くない。呪(まじな)いで転移したり、妖(あやかし)に乗る方がずっと手っ取り早いのだが、残念ながら人を訪ねるのにはまったく向かないし、風情が欠片もなかった。
と、そんなことを答えるわけにもいかないので言葉を濁すと、馬車の上に沈黙が降りた。
居心地の悪いものではない。
そう感じるのは、この子に対して、幾分か素直な気持ちで向き合えるようになったからだろうか。
「……学園は、今頃どうなってるかしらね」
アミュがぽつりと言った。
ぼくは視線を前へと向けたまま、答えに迷う。
つい先日――――ぼくはさらわれたアミュを助け出すため、帝城へ攻め入った。
大暴れの末、一応連れ出すことは成功したのだが……当然というか何というか、学園に戻ることはできなくなってしまった。
政争に巻き込まれ、下手すればこの子が殺される可能性もあった以上、やむを得なかったとは思っている。しかし……
皇女であるフィオナが取りなしてくれたからよかったものの、それがなければどうなっていたことか。
ぼくは迷った末、ただ会話を繋げるだけのような答えを返す。
「……今頃は、新学期が始まっているだろうな」
「そうじゃないわよ。あたしたちのこととか……イーファのこととか、そういうのよ」
「……」
確かに、気がかりではあった。
侯爵の抱える騎士団にアミュが連行されたことは、入学式の最中だったこともあって大勢の人間に知られている。
ぼくがいなくなったことも、当然気づかれているだろう。いろいろ実績を持ち、今年総代を務めたぼくも、アミュと同じかそれ以上に学園の有名人だ。
今頃どんな噂が流れているやら……。
さすがにまだ大丈夫だろうが、いずれは除籍にもなるだろう。
まあ、学園を去った以上その辺はもう関係ない。それよりもイーファだ。
あの子は奴隷身分だから、主人であるぼくがいなくなって……どういう扱いになるのかがいまいちよくわからない。帝国法や学園の規則を思い出してみても、はっきりとした解釈が難しそうだった。
まあ、ひどくともランプローグ領に送り返されるくらいだろうが……申し訳ないことをしたと思っている。せっかく、学園での成績もよかったのに。
帝城に攻め込む前は頭に血が上っていたから、正直後のことはあまり考えていなかった。ひどい主人だ。
ただ実際のところ……そう悪いようにはならないんじゃないかと、思っていたりする。
あの学園長は、規則に従って粛々と物事を処理するような人間ではない。ぼくがいなくなって成績トップになったイーファを、規則や金といったつまらない理由で手放すことはまずしないだろう。
それに……フィオナもだ。
あの謀略家たる聖皇女は、自身の未来視によって、ぼくの持つ力のほどをある程度把握しているようだった。あんなことがあったばかりの今、ぼくの機嫌を少しでも損ねるような事態を、うっかり見逃すとも思えない。今度はロドネアを破壊されでもしたら堪らないはずだ。
いや……そうじゃないな。
あの子たちと親しげに会話を交わしていた彼女のことを、ぼくは少しでも信じたいと思っていた。
「きっと大丈夫さ」
長い沈黙の後にそう答えると、今度はアミュが黙り込んだ。
それから、ほどなくして口を開く。
「ねぇ、セイカ」
「……ん?」
「いい加減、訊いてもいい?」
ぼくはわずかな緊張と共に、問い返そうと開きかけた口を閉じた。
アミュは構わず話す。
「あんた……なんでそんなに強いのよ」
「……」
「帝城の城壁、あれあんたが壊したんでしょ? しかもその後元に戻してるし……いったいどうやったらあんなことができるのよ」
「……」
「城の衛兵みんな倒して、あたしのとこまで無傷で来て。フィオナが言ってたけど、あの子の聖騎士ですら、誰も相手にならないくらいなんでしょ? あんた……何者なの?」
「……」
ぼくは、少し置いてから答える。
「ぼくは小さい頃、魔力測定の儀式で、魔力を持っていないって言われたんだ」
「……」
「でも、どうしても魔法が諦めきれなくてね。家が家だったから、屋敷の書庫でひたすら勉強して……帝国では珍しい、今の符術を覚えたんだ。普通の魔法は今でも使えないけど、これがその代わり以上になる。強いのは、あの頃必死だったおかげだよ……。この説明じゃダメかな」
「そんなの前にも聞いたわよ」
「……」
「嘘はやめて」
ぼくは小さく溜息をつき、目を閉じた。
この子は人をよく見ているし、感情の機微にも敏い。
ただの学友でいられた頃ならともかく、こんな雑な誤魔化しの弁を、もう信じてはくれないだろう。
誠実に向き合う必要がある。
もう、正直に話そう。
ぼくは、意を決して口を開く。
「ぼく……どうやら、天才みたいなんだよな」
「…………は?」
呆けたような声を出すアミュに、ぼくは渋い顔のまま続ける。
「必死だったって言ったけど……今思えば最初から、人よりずっと上手くできた。一番初めにただの聞きかじりで使った術ですら大成功だったからな……。新しい術だってすぐに覚えられたし、そもそも記憶力もよくて勉強もできた。気づいたのは学び初めてしばらく経ってからだったよ。まあ、あったってことなんだろうな。才能」
「……」
「この符術自体は、もちろん頭のいい先人が生み出して、多くの人の努力の末に体系化されたものなんだけど……実は今使ってる術の半分くらいは、ぼくが自分で編み出したものなんだ。
「……」
「で、気づいたらこうだよ」
説明を終えたぼくへ、アミュが呆気にとられたような顔で言う。
「……なに、その……自慢? あんたそんな自信満々のキャラだったっけ?」
「君が訊いてきたんじゃないか。これ以外に、強さの理由なんて説明のしようがないよ」
「……なにそれ」
「嘘に聞こえるか?」
「…………聞こえないわね」
少し経ってから、アミュが溜息をついて言う。
「それほんとなの? なんか……拍子抜け。聞いて損した気分。すごい秘密があると思ったのに。あたし、何言われるかって覚悟してたのよ?」
「……ひどい言い草だな。ぼくだってこんなこと話したくなかったのに」
実際、こんなことを改めて口に出すのは生まれて初めてだ。前世でだって言ったことはなかった。なんだか気恥ずかしい、自意識過剰みたいで。
正直に話した。
今言ったことは、すべて真実だ。
もちろん――――言っていないことはある。
異世界に、転生。陰陽術に、
強さの理由は、説明した通りだ。
ぼくの実力に、生まれ変わりは関係ない。
アミュが呟く。
「でも……強さなんて、結局そんなものかもしれないわね。あたしだって……勇者じゃなかったら、こんなに剣も魔法も、上手くできなかったんだろうし」
「……」
「そういえば、あたしが勇者だって、どうしてあんた知ってたの?」
「……二年前の入学式の日、デーモンを喚んだ術士を探しに行ったって言っただろう? 見つからなかったとも言ったけど、実は見つけてたんだ。そいつから聞いた。あの襲撃は……実は、君を狙ったものだったんだよ」
「ふうん……やっぱりね。勇者だもん、狙われもするわよね。で? そいつはあんたが倒したわけ?」
「……ああ。誰にも言ってないけど」
「そう……じゃあ二年越しだけど、この前の分とまとめて言うわね」
ぼくの後ろで、アミュがはにかむように言う。
「ありがとね、セイカ」
「……」
「なんだか、あんたには助けられてばっかりね」
ぼくは振り返りもしないまま、微かな罪悪感と共に答える。
「……どういたしまして」
言っていない秘密は、もう一つあった。
アミュ。ぼくは初め、君を利用しようとしていたんだ。
先日のような、為政者に目を付けられ、処刑されるような役割をこそ、ぼくは君に求めていた。
最強たるぼくの、身代わりとなってもらうために。
それを自ら台無しにしてしまった今――――もう、どうしたらいいのかわからない。
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