第二話 最強の陰陽師、野営する
夕暮れ時。
街道の脇にあった大きな岩の陰に馬車を停めて、ぼくは言った。
「今日はここで野宿するしかないだろうな」
本当は今日中にラカナへ入りたかったのだが、前の町で少し出立が遅くなってしまったこともあって、予定通りとはいかなかった。
ここからラカナまではまだ数刻ほどかかりそうだし、この先は山や森が近いから、暗くなってから進むことは避けたい。
「その方がいいわね」
アミュが、馬車から飛び降りて言う。
「でも、明日にはラカナに着きそうね」
「そうだな……。本当はこんなはずじゃなかったけど、明日は明るいうちに入城できるから、ゆっくり宿を探せていいかもしれない。日暮れ前に慌てて探すとぼったくられそうだ」
正直、手持ちの金も心許ない。
フィオナが用意してくれた金は路銀としては十分だったが、この先ずっと生活していくにはもちろん足りない。なるべく節約したかった。
こんなことなら、帝城へ行く前に寮に残していた金をいくらか持っていくんだったな……。
事情をわかっているアミュもうなずいて言う。
「そうね。まあでも、ラカナは冒険者の街だから、安宿はきっとたくさんあると思うわよ」
「安宿なぁ……。下手な安宿だと、野宿の方がマシなところも多いからなぁ……」
「なにその、事情通みたいな。あんたそんなに旅慣れてたっけ? たしかにそうは聞くけど」
それから、アミュはにっと笑って、ぼくへ告げる。
「今日はあんた、寝ていいわよ。見張りはあたしがしとくから」
「え、でも……」
「どうせ、明日もあんたが御者やるんでしょ? 居眠りされたらたまんないわよ。それに、あんたいっつもあたしより遅く寝て早く起きてるけど、ちゃんと寝てるの?」
「……」
「今日は甘えなさい。わかった?」
ぼくはしばし悩んだ後、苦笑して答える。
「なら、そうさせてもらおうかな」
「決まりね。じゃあ、食事にしましょう。たしか向こうに川があったから、あんた水汲んできて。あたしは火をおこしておくから」
「はいはい……」
歩き出しながら、ぼくは赤い空を見上げて思う。
思いがけず始まったこの旅も、そう悪いものじゃない。
****
で、明くる日の早朝。
「寝てるし……」
たき火のそばで、膝を抱えて眠りこけるアミュを見下ろして、ぼくは呆れながらそう呟いた。
まあね。こうなるんじゃないかと思ったよ。
体がなまるとか言って夜中に剣を振っていたけど、あんなことしたら眠くなるに決まってる。
一晩中気を張っているのは、それだけでも疲れるというのに。
「……」
見張りに寝られるのは、本当は野宿をする上ではかなりまずい。
安全そうな場所に停めたとは言え、野盗や獣やモンスターの危険は当たり前にある。
軍だったらまず処罰の対象だろう。
だが、この子を責める気にはなれなかった。
あんなことがあった以上、昨夜どころか、もうずっと気が休まらなかったに違いない。ちゃんと眠れていないのはこの子も一緒だ。
たき火の様子を見るについ先ほどまでは起きていたようだし、よくがんばった方だろう。
まあそもそも、何かあったら式神でわかるようにしていたしね。
馬車から引っ張ってきた毛布を少女の背中に掛けてやると、ぼくは明け方の空を見上げた。
馬はもう起きているようだが、さすがに出立にはまだ早い時分だ。
少しその辺の散策でもするか。
アミュのそばに式神を残し、ぼくは歩き出す。
昨日水を汲んだ小川の近くまで来た時、ふと口を開いた。
「ユキ」
頭の上で、もぞもぞと
ユキとは、あの日
ぼくはもう一度声をかける。
「ユキ」
「……なんでございましょう、セイカさま」
髪から顔を出したユキが、平坦な調子で答えた。
ぼくは静かに言う。
「ごめんな」
「なにを謝っておられるのですか」
そう言われて、ぼくは困ってしまった。
自分でも、何を謝っているのかよくわからない。
「……もっと、お前の言うことを聞いておけばよかったよ」
「では次の機会には、あの娘を見捨てられますか?」
「……」
「あるいは力を隠すことを諦め、今後はずっと、前世で得た強さを頼りに生きられますか?」
「……」
「セイカさまにも、たとえ道理に沿わぬとて、譲れぬものがございましょう」
ぼくが黙ると、ユキは続けて、申し訳なさそうに言う。
「むしろ、ユキの方こそ……あのような無意味な提案をすべきでは、ございませんでした。セイカさまが到底聞き入れられるものでないことは、わかっておりましたのに」
「そんなことはないさ。ぼくは……初めはお前の言う通り、あの子を犠牲にするつもりでいたんだから。そもそもはぼくの言い出したことだ」
「いいえ。ぜったい――――セイカさまは、聞き入れられませんでした。ユキにはわかります」
そう言うと、ユキは髪の中へ潜ってしまった。
ぼくは小さく息を吐き、独り言のように呟く。
「世の中、ままならないな。どうすればいいだろう。ぼくはこの先、どう生きれば……」
「……それはご自分でもよくお考えくださいませ」
つんと答えるユキ。
ぼくは頭の上に手を伸ばし、髪の中の細い体を撫でてやると、ユキが続けて憮然と言った。
「撫でればいいと思っておられませんか?」
「じゃあ、何か欲しいものあるか?」
「物をやればいいと思っておられませんか?」
ぼくが黙って頭から手を離すと、ユキが少し置いて言った。
「ユキは今、干し
ぼくは苦笑して答える。
「なら、ラカナに着いてからだな」
ユキは黙ったままだったが、この様子はたぶん、それでいいということだろう。
ふと、その時――――ぼくは足を止めた。
小川の向こうに広がる森。木々の合間から姿を現した存在に、目を奪われる。
それは大きな、鹿の姿をしたモンスターだった。
灰と茶が混じったような毛並みで、頭には直方体の結晶が組み合わさった幾何学的な角が生えている。背や脚にも見られる鈍い虹色をしたその鉱物は、どうやら魔石であるようだった。
水を飲みに来たのだろうか。普通の鹿の倍ほどもあるそのモンスターは、川の手前でぼくに目を向けたまま、動きを止めている。
名前はわからないが、かなり神々しい雰囲気のモンスターだ。
ぼくは無言で式を向ける。
鹿型のモンスターは、一瞬で反応して森へ逃げようとしたが、遅かった。ヒトガタの作る五芒星の陣に囚われ、跳躍しかけの格好でその動きを封じられる。
よしよし。
「セイカさま?」
頭の上のユキが訝しげに問いかけてくる。
「なにゆえ封じようとされているのです? 襲いかかってきたわけでもありますまいに。この世界の物の怪は位相に耐えられないのですから、セイカさまの手駒にもできませんよ?」
「だからいいんだよ。こいつは売る」
ぼくは口元に笑みを浮かべながら答える。
「ラカナは冒険者の街だからな。モンスターの死骸の換金先くらいいくらでもあるだろう。勘だけど、こいつはきっと高く売れるぞ」
というわけで。
ぼくは印を組み、真言を唱える。
「――――ओम् एकम् सप्त विंशतिः अष्टादश एकम्ट नव द्वे सकल स्वाह」
その時、鹿の眼がぼくを睨み、魔石の角が光を放った。
しかしながら、何も起きないうちに、その体は空間の歪みへと吸い込まれていく。
そして後には、扉のヒトガタだけが残った。
きっとそれなりに強かったんだろうが、すまない。
位相の中で綺麗な死骸となってくれ。
「うーん……なんだか、ユキには罰当たりなことをしたように思えます」
「ぼくが罰当たりって、今さら過ぎるだろ。前世で何体の神を封じたと思ってるんだ」
踵を返し、アミュの待つ馬車への道を戻っていく。
今生でのぼくは、やはりついている。金の問題も早速解決しそうだ。
ただなんとなく……ユキの言ったことも、わかる気がした。
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