第十五話 最強の陰陽師、ご機嫌を取ろうとする


 あの騒動から、二日後。

 ぼくとイーファは、ロドネアへ帰る馬車の中にいた。


「あの、イーファ……」

「な……なに、セイカくん……?」


 イーファはぼくの方をちらちら見つつも、目を合わせようとしない。

 一昨日からもうずっとこんな調子だ。

 ぼくは、微妙に媚びた声になりながら問いかける。


「あー、その……何か欲しいものある?」

「え、な、なに突然!?」


 会話の流れ的に唐突すぎたせいか、イーファがびっくりしたようにこちらを向いた。

 ぼくは恐る恐る言う。


「その……怒ってるかな、と思って……」

「ええ……なにも怒ってないよ。どうして?」

「いやだってほら、ぼく、せっかくの縁談をダメにしちゃったし……」

「セイカくん……昨日も言ったでしょ。わたし、後宮に入る気なんてなかったって。むしろセイカくんがああ言ってくれてうれしかったよ。あの王子様しつこいんだもん」

「……ぼくに気を遣ってない?」

「遣ってないよ! なんでそんなに疑り深くなってるの!?」

「えー、だって……」


 ぼくはうじうじと言う。


「イーファ、一昨日からぼくと目を合わせてくれないし、話そうとすると逃げるし……」

「そ、それはっ……」


 イーファが目をそらし、微かに顔を赤らめながら言う。


「だ、だって……リゼさんがあんなこと言うんだもん……」

「? あの森人エルフの人がどうかしたのか?」

「な、なんでもないよ! と、とにかく、わたしは怒ってないから!」

「そう……?」

「そう! それに殿下のことは、わたしもセイカくんの言う通りだと思う! 一人で勝手に決めつけてわけのわかんないことして。あんなんじゃ、次の王様なんて務まらないよ。もっといろいろがんばらないと」

「いや、何もそこまでボロクソに言わなくても」

「セ、セイカくんの方がボロクソ言ってたでしょ!? なんでわたしの方がひどいこと言ってるみたいな流れにするの!」

「あれ、そうだっけ? まあ、殿下もまだ若いし多少の失敗はあるよ」


 とはいえ、ポンコツ気味なのは確かだ。

 そう言われても仕方ない。


 しかしながら今回のドラゴン問題に関しては、なんとかなりそうだった。

 ぼくの調査報告を受けた女王陛下が、さすがにこの件はセシリオ王子の手に余ると判断したのか、本人が直接介入することにしたそうなのだ。

 相当な傑物とのことだし、帝国側の報告書を作るのはぼくだ。帝国議会で譲歩を引き出すくらい難しくないだろう。

 王子も女王の仕事ぶりを見て、政治のなんたるかを学んでくれるといいな。


 もっとも、これからプロトアスタは少しばかり忙しくなりそうだ。

 たまたま王都アスタを訪れていた帝国の博物学者がこの件に興味を示し、近いうちに教え子を引き連れてドラゴンを見に行きたいと言っていたそうなのだ。

 この話は学会で広まるだろうから、他にも訪れたいと手を上げる学者は出てくるだろう。高名な者が訪れるとなれば首長が何もしないわけにもいかないし、山へ入るための諸々も整える必要がある。王子は慣れない仕事に追われることになりそうだ。


 ま、しばらくは王妃探しどころじゃないな。

 当面は後宮のことなんて忘れて、精々公務に励んでくれ。


 と、そこでぼくは思い出す。


「そう言えば、イーファは後宮を見に行ったんだっけ。どんなところだった? やっぱり香水の匂いとかすごいのか?」

「それがね、ぜんぜんそういうところじゃなかったの。昔は普通の後宮だったんだけど、今は跡継ぎ問題がなくなったから、すっかり教育機関になっちゃったんだって。わたしが見学に行った時も、女の子たちが統計学の講義を受けてたよ」

「へぇ、そうなのか。そういう例は初めて聞くな」

「みんなすごく真剣で。でも、ぜんぜん堅苦しい感じじゃなかったよ。先生もおもしろい問題出したりして」

「おもしろい問題?」

「うん」


 イーファが説明する。


「先生がサイコロを十回振ったら、全部六の目が出ました。次に六の目が出る確率はどれくらいでしょう、って。セイカくんわかる?」


 ぼくは苦笑する。


「そのサイコロ、ちゃんと一から六の目まで均等な確率で出る?」

「えっとそれは……答えられないかな」

「それは答え言ってるようなもんだよ。九分九厘、六の目が出るだろ。十回連続で六の目が出る確率なんて六〇〇〇万分の一くらいだ」

「えっ、あ、うん。正解だよ。ね、ねえ……その十回連続で六の目が出る確率、どうやって計算した?」

「ん? 六分の一の十乗だろ? 分母になる六の十乗は二の十乗に三の十乗を掛ければ求められる」

「……それって、どうやったの?」

「普通に、一〇二四掛ける五万九千……」


 そこで気づく。

 ぼくは式を組む都合上、素数の冪乗べきじょうをいくつか暗記しているのだが……これ、理由を話せなければ謎の数字を無意味に覚えているただの変人だ。

 あわてて理屈をこねくり出す。


「え、えっと……二を五回掛けると三十二。これを掛け合わせるとおよそ一〇〇〇。これで二の十乗ができた。三は少しめんどくさいけど……三の二乗で九。九を掛け合わせて八十一。八十一も掛け合わせてたぶん六五〇〇くらい。これで八乗だから、あと一回九を掛けておよそ六万。これで三の十乗もできた。最後に一〇〇〇と六万を掛け合わせて、六〇〇〇万ってわけ。概算だけど、数字のスケール感は掴めるよ」

「わ……すごい。そっちの方が正確そう」

「? 他にやり方があるのか?」

「わたしはね……」


 イーファの方法を聞いて、ぼくは感心する。


「へぇ。ちょっと強引だけど、工程が少なくて済むな」

「でも、さすがに無理矢理だったよ。数字が近かったのも勘が当たっただけだし……。やっぱり、セイカくんはすごいね。ぱっと計算しちゃうんだもん」

「あー、はは……で、でも、話を聞く限りではずいぶんレベルが高そうだなぁ」

「後宮を出て官僚になる人も多いんだって。リゼさんも昔在籍してたみたいだけど、成績はどん底だったって言ってたよ。王室魔術師になれる人が落第するくらいだから、厳しいんだろうね」

「ふうん……。だけど昔って、どれくらい昔の話なんだろうな……」


 あの人あれで百歳近いらしいからな。八十年前とかかもしれない。


 ぼくは、リゼの纏っていた大きな力の流れを思い出す。


「そう言えば……あの人も、精霊が見えるんだっけ」


 それが森人エルフの権能であると、リゼが自分で話していた。


「イーファの魔法は、森人エルフの魔法だったんだな」

「うん。わたし、ぜんぜん知らなかった」

「両親から聞いたりしたことはなかったのか? 君に森人エルフの血が流れていることについて」

「ううん、一回もないよ。お母さんは、もしかしたら知ってたのかもしれないけど……」

「ふうん。ぼくの父上に訊いたら何かわかるかな」


 いや……たぶんわからないだろうな。

 あの男はどうも、自分の研究以外はさほど興味がないようだし。


 今回のことも、実は何かぼくに対する思惑があるんじゃないかとちょっと疑っていたのだが、特に何もなかった。

 本当に他に頼める人がいなかっただけか、せいぜいが依頼を口実にぼくの最近の様子をうかがいたいとか、そんな理由でふみを寄越したんだろう。


 イーファが言う。


「だけど、ぜんぜん実感ないなぁ。わたし、森人エルフっぽいところなんてどこにもないもん。お母さんも病気で死んじゃったから、長生きできるのかもわからないし」

「んー、だけど……森人エルフは見目のいい種族なんだろう? イーファが綺麗なのは、血のせいかもしれないよ。お母さんも美人だったじゃないか」

「なななな、きっ、はわわわっ」

「そう考えたら、ポンコツ王子なんて袖にしてよかったかもな。もっといい相手だって……」


 ……いや、いるか? 王子様よりいい相手なんて。

 他人事ながら、やっぱりもったいない気がしてきた。


「うーん……イーファは、結婚するならどんな相手がいいんだ?」

「えええっ、えっとぉ……」


 イーファはうつむきがちに、口ごもりながら言う。


「生まれはどうでもいいから……わたしより頭がよくて、強くて、やさしくて、それで少しだけ、さびしがり屋さんな人がいい、かな」


 それを聞いて、ぼくは苦笑する。


「注文多いなぁ。偉そうなこと言うけど、妥協は大事だよ。じゃないと見つけるところから苦労する」


 イーファはぼくをちらと見て。

 それから、仕方なさそうに笑って呟いた。


「……そんなことないよ」

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