五章(聖皇女と勇者編)
第一話 最強の陰陽師、家に呼ぶ
学園生活二年目の、冬が終わる頃。
学期末の試験も済み、学園は春休みを迎えようとしていた。
「メイベル、あんたちゃんと進級できそうなの?」
「なんとか」
「みんなでがんばったもんね~」
ぼくの前を歩く彼女らの方からは、そんな会話が聞こえてくる。
明日から始まる春休みが終われば、ぼくらは三学年だ。
初等部の最終学年。そろそろ皆、先のことを考えなければならなくなってくる。
高等部へ進み、研究の道を選ぶか。はたまた卒業し、自分の力で生きていくか。多くの学生が頭を悩ませるところだろう。
ぼくとしては、冒険者になることをほぼ決めていた。
教師という道も悩んだ。前世のように、子供へ学問を教えながら暮らすのも悪くない。
ただ良い待遇を求めるならば、必然的にこの学園のような帝立機関か、金を持っている貴族に雇われることになる。
そういうのが性に合わないことは自分でよくわかっていたし、何より……権力者の近くにいることは、なるべく避けたかった。
仮に力を振るい、目を付けられる羽目にはなりたくない。
この世は、最強の暴力と世界の真理をもってしても立ち向かえないような、狡猾な人間が動かしている。
そういう連中を相手取るのは荷が重い。
ぼくには荒事の方がずっと性に合っている。
アミュとの約束もあるし。
というわけで、進路を決めたぼくは先の悩みとは無縁のはずだったのだが……。
今はちょっと、別の理由で気が重かった。
……仕方ない。
溜息をつき、意を決して口を開く。
「アミュ。ちょっといいか」
前を歩いていたアミュが、足を止めて振り返る。
「なによ。あらたまって」
「実は頼みがあるんだ」
「頼み?」
「ぼくの実家に、顔を見せてくれないか」
「……は?」
「家族……とかに会ってほしいんだ」
「はあっ!? な、な、な!」
アミュが目を見開き、あからさまに狼狽しながら言う。
「あ、あ、あんたなによそれっ、どういうつもり!? あ、あたしたち別にそんな関係じゃ……」
「ダメか?」
「ダメもなにも、いきなり過ぎるのよ! か、考える時間がほしいっていうか、その……」
「それもそうだな。待ってるよ。でもなるべく早く、いい返事が欲しい」
「~~っ!!」
顔を赤らめて目を丸くするアミュの隣では、イーファが涙目になって何か言っていた。
「アミュちゃん……わたし、アミュちゃんならいいよ。おめでとう……」
「あ、あんたもなに言ってんのよ!!」
と、そこで。
ぼくらの顔を見回していたメイベルが、首をかしげながら口を開いた。
「……求婚?」
「ん? いや、違う違う」
ぼくは苦笑しながら答える。
「実家から手紙が来てね。父上……とかが、アミュにぜひ会いたいって。学園に首席合格した全属性使いの魔法剣士がいるって、噂で聞いたみたいなんだ」
勇者の話に関しては箝口令が敷かれているだろうが、生徒が実家へ送る手紙や、帰省の土産話までは止められない。いくらかはアミュの噂が広まっているようだった。
「魔法学に
「…………」
口をあんぐりと開けたまま固まっているアミュに、ぼくはふと気づいて言う。
「もしかして、誤解させたか?」
「っ!! するわけないでしょっ、ばか!! あんたほんとぶっ飛ばすわよ!?」
なんでぶっ飛ばされなきゃいけないんだよ。
なぜかイーファと並んで疲れたような溜息をつくアミュに、ぼくは改めて訊く。
「それで、どう?」
「んー……? まあ、いいわよ。春休みは家に帰る予定もなかったし、ヒマだし。でもあたし、お貴族様の作法とかよくわからないけど」
「大丈夫大丈夫。所詮遠方の田舎貴族だから、普段は作法なんて気にしないよ。あー……だけど一応、後で教えとく」
さすがに無作法ではまずい相手がいるからね……。
「そうだ、よかったらメイベルも来ないか?」
「私?」
「クレイン男爵家は学会で関わることが多いからね。令嬢が顔を見せてくれるとなれば、父上もきっと喜ぶよ」
「……じゃあ、行く」
「よかった。それならさっそく早馬で手紙を出しておこう」
よしよし。
頭数はいた方がいい。ぼくが相手をせずに済むかもしれないからな……。
などと考えていると、メイベルが口を開く。
「ねぇ、セイカ」
「ん?」
「さっき、家族とか、って言ってたけど」
「えっ」
「ほかに誰かいるの?」
「あー……」
ぼくはメイベルから目を逸らしながら答える。
「兄さんの婚約者が来てる、かもしれないな。あと親戚とか、客とかね。そういうのがたまたま、いるかもしれない。いたらまあ、挨拶しないと。ほら、メイベルも貴族になったんだからわかるだろ?」
「わからない」
「あ、そう? でもそういうものなんだよ」
「ふーん……だからさっき作法教えるって言ってたわけね。なんか気が重くなってきたわね……。イーファはそういうのわかる?」
「わたしは奴隷だから……一緒の席には座らないし、お話しすることもなかったよ。今回もそうする」
「そうだったわね……あたしもそれじゃダメかしら?」
「ダメに決まってんだろ。あー……まあとにかく、そういうわけだから! 馬車は三日後に出るから、みんな準備しておいてね。それじゃあまた」
と、別れ際に言い残し、ぼくは男子寮への道を逃げるように歩き出した。
****
「はぁ……」
「気が重そうでございますねぇ、セイカさま」
男子寮への道すがら、頭の上でユキが言う。
「そんなにあの屋敷へ帰るのが嫌でございますか?」
「まあね……」
会いたくない人間がいるんだよ、二名ほど。
「それならば、いつものように断ってしまえばよかったでしょうに」
「そういうわけにもいかないんだよ」
「なにゆえ、今回ばかり?」
「……実は今、屋敷にかなり偉い人が来てるんだ。アミュやぼくに会いたいと言っているのもその人なんだよ」
「ははぁ……。勇者の娘が入学してから二年も経って、今さらのように連れてこいという
「人の世は面倒なのさ。地位とか権力とか絡むとね」
ぼくがそう言うと、ユキは少し黙った後に、やや釈然としないように呟く。
「それは……ユキには、よくわかりませんけども……」
「……? なんだい?」
ぼくが促すと、ユキがぽつぽつと話し出した。
「地位や権力と言いますが……そのようなもの、結局は力で
「……」
「セイカさまならば、望めばいつでも手に入りましょう。なぜそこまでおもねるのです。かの世界では時の
どこか歯がゆそうに言うユキへ、ぼくは静かに答える。
「そう単純なものじゃないのさ……たとえば、大貴族や皇帝の地位を力で奪ったとして、それからどうする?
「そのようなもの、セイカ様のお力があればいかようにも……」
「なら政敵も力で滅ぼすか? だがそのような恐怖政治の末に、一体どんな世界がある? 粛清に怯え話し合いすらままならない議会に、他者を蹴落とすため密告し合う貴族や商人。賢人の放逐と疑心暗鬼で政治は崩壊し、いずれは他国に攻め滅ぼされるか、民の反乱でも起きるのが関の山だ。少なくとも、この豊かな国は失われてしまうだろう。ぼくに待つのも破滅だよ」
「……」
「力でできることには限りがあるんだ、ユキ。ぼくだってなんでもできるわけじゃない。かの世界では様々な叡智を学んだが、こと
そんな当たり前のことを、少しばかり長く生きたせいであの頃は忘れてしまっていた。
「ぼくは……少しも、予見できなかった。哀れな幼き
「……」
「
「ならば……どのようにすればいいと……?」
「だから、目立たないように生きるんだよ」
ぼくは言う。
「偉い人間にへりくだり、大勢の内の一人に紛れる。策謀で敵わなくとも、そもそも彼らに関わらなければいいのさ。力をなるべく振るわずに、隠しておけばそれで済む」
「……」
「最低でも、その程度は狡猾に生きないとね。じゃないとまた幸せになれないまま死ぬことになる。もっとも、このところはちょっと気が緩んでたけど……」
「でもそれではっ」
珍しく、ユキがぼくを遮るように言った。
「でもそれでは……時に、諦めることにもなるのではありませんか?」
ぼくは、思わずきょとんとして訊ね返す。
「諦める? 何を?」
「それは……うまく言えないのですが……ううん、やっぱりなんでもありません」
それきり、ユキは黙ってしまった。
ぼくはふと笑って、頭の上に乗る
「退屈な話をしてしまったな。何か食べたいものはあるか? ちょうど試験も終わったし、街へ買いに行こう」
「あ、でしたらユキは、桃の砂糖漬けがいいです」
「お前甘いもの好きだよなー」
狐の妖のくせに。
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