三章(帝都トーナメント編)

第一話 最強の陰陽師、呼び出される


 ぼくたちが魔法学園に入学して、早一年が経った。


 魔法の灯が照らす講堂で、大勢の新入生たちがめいめいに談笑を交わしている。

 去年の春ぶりに見る入学式は、あのときの騒動のせいか、はたまたただの偶然か、やや人の数が少なく見えた。


 あれから魔族の襲撃もなく、学園生活も穏やかなものだ。

 筆記の成績が徐々に落ちていたアミュも、イーファの勉強会の甲斐あってか無事軌道修正に成功し、ぼくらは揃って二学年へと進級していた。


 で、今日は入学式。

 今年は在校生としてここにいる。

 アミュもイーファもぼくも、初等部二学年の成績優秀者として出席が許されていた。


「アミュちゃん、これおいしいよ」

「ほんと? 一つもらうわね」


 二人ともくつろいだ様子で式を楽しんでいる。


 去年は緊張してただろうし、途中からデーモンの襲撃があったからな。料理を満足に味わう余裕もなかっただろう。

 学園中の式神であちこち見張っているが、さすがに今年は刺客の気配もない。

 何事もなく終われそうでよかったよかった。


 もう演目は一通り済み、歓談の時間が終われば閉式となる予定だった。

 ぼくとしてはもう腹も膨れたことだし、そろそろ帰りたいところだけれど……。


「セイカ・ランプローグ君」


 ふと背後から声がかかった。

 ぼくは振り返る。


 そこには、糸杉のような老夫が立っていた。


 骨張った長身の身体に面貌。総髪になでつけられた髪はすべて白いが、ピンと伸びた背筋だけは老いを感じさせない。


 ぼくは目をしばたたかせる。こういった場でしか見ないが、この学園の副学園長だ。

 式の始めに挨拶したきり姿が見えなくなっていたので、退席したものだと思っていたけど……。


 ぼくが何か言う前に、副学園長が感情のうかがえない目でこちらを見下ろし、口を開く。


「明日の夕方、イーファ君と共に学園長室まで来るように」


 それだけ言うと、背を向けて去って行った。

 ぼくは眉をひそめる。なんだ?


「どうかした?」


 皿を手にしたアミュから、怪訝そうに声をかけられる。


「呼び出しみたいだ。たぶん学園長から」

「ふうん……? そういえばあたし、学園長って見たことないわね」


 ぼくもそうだ。

 学園内ではもちろん、こういった式典の場でも挨拶の類はすべて副学園長が担っている。今年の入学式でも去年の入学式でも、学園長の姿を見ることはなかった。

 てっきり帝都の官吏が名前だけ置いているのだと思っていたが、ひょっとして違うのか?


「でも、呼び出しなんて穏やかじゃないわね。退学勧告かしら?」

「明日の天気みたいな調子で縁起でもないこと言うな。というか、イーファも一緒だぞ」


 冗談はともかく、なんだろう?

 特に心当たりはないけど……。


 なんとなく、妙な予感がした。



****



 翌日の夕方。

 授業が終わった後、ぼくは緊張する様子のイーファと二人、学園本棟最上階に位置する学園長室の前に来ていた。


「失礼します」


 ノックと共に入室する。


 高級感のある、落ち着いた内装の室内。

 そこで待っていたのは二人の人間だった。


 一人は糸杉のような立ち姿の副学園長。

 そしてもう一人は、老年の女性だ。


 エラの張った顔に鉤鼻。いかにも魔女と言った風貌だが……何より特徴的だったのは、豪奢な仕事机を前に、椅子に座っていながらでもわかるその矮躯わいくだった。

 おそらくはこの学園の誰よりも小さい。


 隣で、イーファが息をのむ気配がした。


「よく来たね。ランプローグの」


 老婆が、風貌に似つかわしいしわがれた声で言った。

 その目がすがめられる。


「これは意外だね。才に溺れた糞餓鬼が来ると思っていたが、存外に達観した顔をしている」

「……それはどうも。ぼくも意外でしたよ。帝立魔法学園の長が、まさか亜人だったなんてね」


 書物でしか知らないが、間違いない。

 人としては小さく、寸胴な体型。学園長は矮人ドワーフと呼ばれる種族の生まれだろう。


 小柄な老婆は口元を歪める。


「その呼称は気に入らないね。アタシらは人に次ぐ種族じゃあない。まだ魔族と呼ばれた方がいいくらいさ」


 確かに、矮人ドワーフも厳密には魔族だ。

 だが彼らは人間と敵対していない。


 過去の大戦で、矮人ドワーフ森人エルフといった元来人間に対し友好的だった一部の種族は、魔族の連合軍から離脱し、新たに共同体を作って中立を宣言した。

 当初は争いもあったものの、今では人と魔族の両方と交流を持つ貴重な存在だ。彼らの領土は魔族領と帝国領の中間にあり、そこは軍事的な衝突を防ぐ緩衝地帯ともなっている。


 敵対する魔族と区別するため、帝国の人々は彼らを亜人と呼んでいた。

 まあ人間に準ずる種族みたいな意味なので、確かに蔑称と言えなくもない。


「このアタシを前にその態度とは、達観は尊大な自信の裏返しかね。ふん、あやつの血族だけある」

「……? 父をご存じでしたか?」

「いいや。お前の叔父のことだ」


 はて。今生での父に男の兄弟がいたとは聞いていなかったが。

 話しぶりからするにこの学園の生徒だったようだけど……若くして死んだとかだろうか?


 学園長は息を吐いて続ける。


「まあそんなことはどうでもいい。さっさと本題に入ろうかね。アタシもお前も、そこな奴隷の嬢ちゃんも、早いとこ済ませたいのは一緒だろう」


 ぼくはちらと横目で、緊張で固まっているイーファを見やる。

 大都市か冒険者の集う街でもなければ、亜人はまず見ない。初めて目にすればこんな反応にもなるだろう。


 学園長があまり公に姿を見せないのは、もしかしたら無用ないざこざを避けるためかもしれないな。


「で、本題とは?」

「ランプローグの、お前さんは帝都へ行ったことはあるかい?」

「いえ……」

「ならば知るよしもないだろうが、帝都では毎年春に、宮廷主催の剣術大会が開かれる」


 学園長が説明を続ける。


「ウルドワイトの現皇帝も観戦する、いわゆる御前試合だ。優勝者には莫大な賞金と、近衛への入隊が認められている。帝国全土から腕自慢の集う、この国最大の剣術大会だよ」


 聞いたことはなかったが、そういうのがあっても別に不思議はないな。

 学園長は、そこで一拍おいて言う。


「お前たちにはこの大会に出てもらいたい」

「はい?」

「……え、わ、わたしもっ?」


 驚きのあまりか、イーファがここに来て初めて声を上げた。

 ぼくも思わず眉をひそめる。


「どういうことです? ぼくら、剣なんて使えませんよ」

「今年はルールが変わったのだ」


 ぼくに低い声で答えたのは、傍らに立っていた副学園長だった。


「ルールが変わった?」

「魔法の使用が許可された」


 沈黙するぼくに、再び学園長が言う。


「強ければいい、ということさ。魔法剣士のような人材を取りこぼす損失に、この国もようやく気づいたんだろうね。よって今年は剣術に限らない、なんでもありの武術大会となった。魔法剣士だけでなく、光属性の支援魔法バフを纏う僧兵モンクでも、土属性のゴーレムを使役する人形遣いでも、火属性や風属性の後衛職でも自由に出場できる。さすがにモンスターを使う調教師テイマー召喚士サモナーなどは対象外だがね」

「死人が出そうなルールですね」


 魔法には峰打ちも寸止めもない。

 普通は当たればただでは済まない。


「元々多少は出ていたが、まあその辺りはどうにかするだろうさ。話を戻すと、魔法解禁にあたって我が学園にも出場枠が与えられた。予選は免除、いきなり本戦から出場できる特別待遇枠だ。これが、二人分ある」

「それに、ぼくとイーファが選ばれたと?」

「いや……実は一人はすでに決まっていてね」


 そのとき、部屋の扉がノックされた。

 振り返ると、開かれた戸の奥から、一人の人間が歩み入ってくるのが目に入る。


 それは小柄な少女だった。


 赤というよりはさび色に近い髪に、空色の瞳。大人しげな見た目だが、この場においてもおどおどする様子はなく、感情の読めない表情のまま超然としている。


 学園長が笑顔で声を上げる。


「おお、よく来たねメイベル。さあ、先輩たちに名乗っておやり」


 少女はぼくとイーファに一瞥をくれると、無表情のまま淡々と自分の名を口にする。


「……メイベル・クレイン」


「クレイン……」

「クレイン男爵家の息女だ。養子だがね」


 クレイン男爵家は名前だけ聞いたことはあったが、娘が学園にいたなんて初耳だ。そもそもこの子を学園内で見たことがない。


 いや待て、さっきぼくたちを先輩と言ったか?


「まさか……新入生ですか」

「ああ。入学式で見なかったかい?」


 ぼくはしばしの沈黙の後、疑問をそのまま口にする。


「わかりませんね。そもそもこういうのは普通、上級生から選ぶものでは?」

「高等部の生徒は自分の研究で忙しい。それにこの学園は、戦闘技術を学ぶ場所ではないからねぇ。攻撃魔法を教えるにも理論が中心だ。武を競う大会に向いた生徒は、そう多くないのさ」

「なぜ、ぼくらが向いていると」

「去年自分がロドネアの森の地下ダンジョンから生還したのを忘れたかい? 加えて……お前さんたちは一年半ほど前にも、領地で高レベルのエルダーニュートを倒している」

「……」

「優秀な生徒の過去くらいは調べるさ。事実、お前さんたちは二人とも実技の成績も良いからね」

「あ、あの、あれはほとんどセイカくんがやったことで、わたしは全然……」


 あわてて言うイーファに、学園長は貼り付けた笑みを向ける。


「もちろんわかっているとも。だがアタシは、お前さんにも十分な力があると思っているよ。主人ほどではないかもしれないがね」

「……そしてそれは、彼女も同じだと?」


 ぼくはメイベルを視線で示して言う。

 学園長は、笑みを貼り付けたままうなずく。


「ああ、メイベルは強いよ」

「昨日入学したばかりの生徒の、いったい何を知っていると言うんです」

「言っただろう、生徒の過去くらい調べると。彼女は入試成績も良くてね」

「入学前から出場枠に内定しているだなんて、どれほどの武勲があるんですか?」


 学園長から返ってきたのは、笑顔の沈黙だった。


 ちらとメイベルを見やるが……彼女は、ぼくらの会話などどうでもいいかのように、無表情のままただ突っ立っているだけ。


 ぼくは溜息をついて言う。


「やっぱりわからないな。何よりわからないのは――――なぜこの場に、アミュが呼ばれていないんです?」


 部屋を満たす空気の質が、少しだけ変わった気がした。


「入試は首席合格。実技試験に至っては満点で、入学後も成績はずっと上位です。さらには去年、襲撃してきたレッサーデーモンと、地下ダンジョンのボスモンスターを倒している。入学前には冒険者をやっていて十分な戦闘経験もある。上級生を含めても、アミュ以上に適切な人材がいるとは思えませんが」


 そして、勇者だ。

 たとえ事情を知らない者でも、その強さを理解できないわけがない。


 短い沈黙の後、学園長が口を開く。


「それを踏まえても……アタシはお前たちの方が適任だと判断した。それだけだよ」

「その理由は?」

「さてね。強いて言うなら勘かね。年長者の勘は、そう馬鹿にできるもんじゃないよ」


 年長者、ね。

 ぼくにとってもそうかは、かなり微妙だけど。


 学園長は続ける。


「で、どうするんだい。お前さんが出るか、嬢ちゃんが出るか、それとも二人とも辞退するのか」

「……もし辞退すると言ったら、どうなります?」

「その時は枠を一つ使わないだけさ。予選からの本戦出場者が、その分一人増えるだろうね」


 イーファが、ちらとぼくを見てくる。

 どうする、セイカくん? という目をしていた。


 うーん……。

 どうも、何かありそうな気はする。少なくとも一部の説明は確実に嘘だし、いろいろと妙だ。

 意図が気にはなる。が、わざわざ首を突っ込む必要も……、


「……まだ、話は終わらないの」


 不満と無関心を、混ぜ合わせて押し固めたような声。

 思わず顔を向けたぼくは、そこで初めて、メイベルの目をまともに見た。


「……」


 やがて顔を戻し、ぼくは溜息をついて告げる。


「ぼくが出場しますよ」

「おや、いいのかい? てっきり断るかと思ったがね」


 楽しげに言う学園長に、ぼくは黙ってうなずく。


 イーファも、少し意外そうな顔をしていた。


 ぼくが出場を決めた理由は、言ってしまえば一つだ。

 メイベルという少女の纏う雰囲気が――――師匠に師事し、兄弟子やあやかしどもと殺し合いをしていた頃のぼくに、少し似ていたから。

 まあまともなものじゃない。


 だから、少しだけ見届けたくなったのだ。


 魔法が解禁された武術大会とやらと。

 それを取り巻いているであろう、様々な思惑の顛末てんまつを。

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