第九話 最強の陰陽師、話をする


「なに?」

「焦りすぎだよ」


 ぼくは言う。


「ずっと歩き通しだったし、君は怪我が治ったばかりなんだ。もう少しここで休んだ方がいい」

「……わかったわ」


 意外と素直に、アミュは再び腰を下ろした。


「のど渇かない? 水あるよ」


 と言って、ぼくは天井から吊り下がっていた薬罐やかんを差し出す。

 アミュは、それを怪しそうに眺める。


「実はずっと訊きたかったんだけど、これなに?」

「薬罐って言って、生薬を煮出すのに使うそうの……じゃない、外国の道具だよ。今は水だけ入ってる」


 アミュは恐る恐る取っ手を受け取ると、注ぎ口に口を付けて薬罐を傾ける。


「……おいしい」

「そうでしょ」


 その答えにぼくは満足して、自分でも一口、薬罐吊やかんづるの水を飲む。


 薬罐吊やかんづるはその名の通り薬罐の姿をしていて、山中で木の上からぶら下がってくるというただそれだけのあやかしだ。

 特に害はないどころか、中の水がとてもおいしいというありがたい存在で、ぜひ捕まえたいとわざわざ探したほどだ。

 けっこう珍しいからあのときは苦労したが、その甲斐はあった。


 実はモンスターの体液だなんて言ったら、アミュは怒るかな。

 ただの水だけど。


「話でもしよう」

「話?」

「そもそもぼく、アミュと話したくて今日来たんだしね。ほら、何かぼくに訊きたいこととかない?」


 アミュは少し考えた後、小さな声で言う。


「あんた、本当は何属性使えるの?」

「さあ」

「さあ?」

「自分が使ってるのが何属性の魔法なのか、正直よくわからないんだ。あー……」


 ぼくは苦笑して言う。


「魔法のことはあまり訊かないでもらえると助かるな。答えにくいことがあるから」

「ふうん、そう。じゃあ…………あの従者とは実際どこまでいったわけ」

「はっ、またその話?」

「なによ。訊きたいことないかって言ったのはあんたじゃない」


 そう言ってアミュが睨んでくる。


「ちゅーくらいした?」

「してないって」

「乳か尻揉んだことくらいはあるんでしょ」

「だからないっての。ぼくをなんだと思ってるんだよ」

「なんなの? あんたの奴隷なのよ? いくら手を出しても誰からも責められないのに。周りの男どもなんて絶対あの子のことやらしい目で見てるわよ」

「は……? 誰だよそいつら」

「急に怖いのやめなさいよ。はぁ」


 アミュが溜息をつく。


「つまんない」

「つまんないってなんだよ。品のないおっさんみたいな奴だな……」

「あの子、たぶんあんたのこと好きよ」

「……それ違う人にも言われたけど、勘違いだって。イーファは小さい頃から一緒で、家族みたいなものだから」

「お貴族様が奴隷と家族ってなにそれ」

「別に珍しくもないよ。小さい頃から子供と一緒に教育を受けさせて、成人してから解放して領地経営や事業を手伝わせるとかよくある話だし。ほら、家庭教師は一人で済むからお得だろ?」

「なにその理由、貧乏くさっ」

「イーファはそういうのじゃなかったけど……ぼく、妾の子だったから昔から家で腫れ物扱いでさ。母親には無視されるわ兄貴にはいじめられるわ侍女メイドには陰口たたかれるわ。そんな中でイーファだけが普通に接してくれたんだよ。あの子が今敬語じゃないのもそれが理由」

「……そうなんだ」

「わかった? ぼくとイーファはそういう距離感なの」


 ――――本当は。

 本当は情を移したくないだけだ。いつ切り捨てることになってもいいように。


 ぼくは、生まれ変わっても人間を信用していない。


「あんたも……いろいろ苦労してたのね。その、本当のお母さんは? 伯爵家に引き取られたってことは……死んじゃったの?」

「え……さあ」

「さ、さあ?」

「そういえば気にしたこともなかったな」


 どうでもよすぎて。


「まあ、普通に考えたら死んだんじゃない? じゃないとぼくを引き取らないでしょ、たぶん」

「軽っ……寂しいとか思わなかったの? 家でそんな目にあってたのに」

「正直あんまり辛いと思ってなかったからね。あ、今ではそんなに家族仲悪くないよ。母親と二番目の兄は相変わらずだけど、父上は学園に行くことを認めてくれたし、上の兄からはこの前手紙もらった」

「なんというか……あんたもたいがい変わってるわね」


 呆れたように呟くアミュに、ぼくは笑って訊ねる。


「アミュの家族はやっぱり冒険者関係?」

「なんで知ってるのよ。誰かから聞いたの?」

「いや。ダンジョンや冒険者の事情に詳しかったから、そうなんじゃないかなって」

「そうよ。母はギルドの幹部。父は未だに冒険者やってるわ」

「モンスター相手の戦闘に慣れてるみたいだったけど、アミュも森や迷宮に潜ってたの?」

「……十歳の頃から。父と一緒にね」

「どうりで」

「……」

「冒険者の中で、アミュは強い方だったりする?」

「……どうでしょうね。正式にギルドへ登録してるわけじゃないから、記録の上ではまだ十級ですらないけど」

「登録してないって、なんで?」

「十五歳にならないとギルドへは加入できないのよ」

「それなのに迷宮に潜っていいの?」

「……本当はよくないけど、あまり厳しくはないわ」

「へぇ」

「……」


 ……どうも、話したくなさそうな雰囲気が漂ってくる。

 話題変えるか。


「あー、なんか趣味とかある?」

「……別に」

「そう言えば、学園には剣術クラブがあるって聞いたけど、アミュは入らないの?」

「ぬるそうだったからやめたわ。一人で素振りしてたがマシ」

「えっと、じゃあ……好きなこととかは」

「…………戦うこと」

「え?」

「相手がモンスターでも人でもいいから、戦ってる時が好き。他の、どんなことをしている時よりも……それだけ」

「……」


 あれ、これ話題変わったか?

 相変わらず話したくなさそうなアミュに、ぼくはかける言葉を迷う。


「やっぱり、変でしょ」

「え?」


 膝を立てて座るアミュが、自らの杖剣を抱き寄せる。


「お父さんにもお母さんにも言われたわ。アミュはおかしいって」

「……」

「冒険者は……どんな荒くれ者でも、普通は冒険以外の物が一番大事なんだって。金でも、名誉でも、家族でも、仲間でも。冒険そのもののために生きてる人はいないみたい」

「……」

「傷つけば痛いし、死にそうになるのは怖い。あたしは、そんなの些細なことだと思うんだけど……普通はそうじゃないって。みんな心のどこかでは、戦いを嫌ってるんだって。あたしは……そういう気持ちが壊れてるみたい」


 アミュの独白を、ぼくは黙って聴く。


「あたし、強いでしょ? 昔から強かったのよ。剣も魔法もすぐに覚えられた。ギルドのみんなに天才だって誉められたわ。勇者の再来だ、ともね。初めてダンジョンに潜った時だってモンスターを何体も倒して、度胸があるとも言われた。一年経った頃には腕を認められて、父以外のパーティにも加わるようになったわ。でも……すぐに、そんなこともなくなった」

「……」

「今思えば当然よね。大規模パーティが崩壊して半数が死んで、ギルド全体が葬儀中みたいな雰囲気になってた中、平然とまた行こうなんて騒いでたんだから。戦闘狂とかイカれてるとか、死にたがりなんて言われるようになったわ。お父さんとお母さんに迷惑がかかるのがいやで、パーティに参加することはなくなったけど……その後も一人でこっそり森に入ってたくらいだから、みんなの言う通りだったわね」

「……」

「学園に来たのは、ギルドを離れたかったのもあるんだけど……強くなりたかったの。もっと魔法を学んで、誰よりも強くなれば、戦いなんて退屈なだけになるんじゃないかと思って。そしたら、あたしも普通になれるかなって……でも、やっぱり無理かも」

「……」

「だって、学園で授業受けてるよりも……レッサーデーモンに襲われた時とか、今の方が、楽しいって思ってるのよ? おかしいでしょ、こんなやつ。だから…………」

「別に、おかしいとは思わないけどな」


 ぼくは、そう口を挟んだ。


「人間なんて一人一人違うんだから。それも個性だよ」

「……個性って言っても、限度があるでしょ」

「ないよ、限度なんて。普通ってものがあるなら、アミュも普通だ」

「……なにそれ」


 アミュがぼくを横目で睨む。


「気休めならやめて」

「気休めじゃないよ。そうだなぁ……」


 ぼくは少し考えて話し出す。


「人に限らず生命は皆、子を残して次の世代に繋ぐものだ。では、どんな子を残すべきだと思う?」

「どんなって……強い子じゃない?」

「強いとは?」

「それは、力があるとか、賢いとか」

「力はそれが必要のない環境だと、筋肉が体を重くする分かえって害になる。賢さも、時に新たな挑戦の妨げになる」

「じゃあどんな子だといいわけ?」

「多様な子だよ」


 ぼくは言う。


「環境によって強さは違う。だけど環境がどう変わるかは神ですら知り得ない。暑くなるのか寒くなるのか。食べ物がどれくらい減るのか、敵がどれくらい増えるのか。だから生命は、できるだけ多様な子を残す。どんな環境になっても、いずれかの子が生き残れるように。人が一人一人違うのもそれが理由だよ。アミュだって――――そんな多様な子たちの一人でしかない」

「……」

「アミュが求められる環境は、単にまだ来ていないだけだよ。もし世界にもっと争いが増えたら、アミュの言う普通の人たちは戦いに疲れ果てる。でもそんな時、アミュが先頭に立ってみんなを励ましたら、きっと感謝されると思うよ。誰もイカれてるなんて言わない」

「……そんな時なんて、死ぬまで来ないかもしれないじゃない」

「それでもいいんだよ。アミュがいた意味はあったから。争いの世に備えてた、っていうね。少なくとも、ぼくはアミュがおかしいなんて思わないよ」

「……そう、かしら」

「それにさ、アミュにだって戦い以外に好きなことあるでしょ」

「え……なに?」

「猥談。今日君が一番楽しそうだったのってこれ……いだぁっ!」


 鞘の尻で小突かれた。

 顔を赤くしたアミュがぼくを睨んでくる。


「冒険者って粗野で下品な奴ばっかだから、し、嗜好がうつったのよっ! それ誰かに言ったら殺すからね!? あと、あ、ああああたしが、ぬっ、脱いだこともっ!!」

「ふふっ」

「なによその反応。まさか脅す気!?」

「いや違うよ。そういう前向きな考え方はいいなと思っただけ」


 目をしばたたかせたアミュが、ふと静かになる。


「そうね。こんなこと、助かってから言うことだったわね」

「助かるよ。きっと」

「うん……」


 それきり、アミュが沈黙する。


 実はさっき、アミュに言わなかった話が一つある。

 アミュの戦いを求める性格が、勇者の転生体であることに起因する可能性だ。

 ぼくのように記憶を持った転生者ではないようだが、剣や魔法の才に、性向が紐付いている可能性は十分ある。


 わざわざ言うことでもないけど。


 と、そのとき。

 ぼくはおもむろに顔を上げ、天井に目をやった。

 あれ、これはひょっとして……。


「……ありがとね。セイカ」

「……」

「あなたと話せてよかった。それと、助けてくれたことも感謝してる」

「……」

「……セイカ?」


 何もない天井を見上げていたぼくは、アミュへと視線を戻した。

 そして、笑って立ち上がる。


「よし! 行こうアミュ!」

「え、ええ?」

「ここはダンジョンだろ? ぼく、冒険は初めてなんだ。どうせなら楽しもう。二人だけのパーティだけど、ぼくらならモンスターなんて敵じゃないよ」

「……しょうがないわね。先輩冒険者としていろいろ教えてあげるわよ。よく見てなさい」


 アミュは仕方なさそうに笑って、差し伸べていたぼくの手を取った。

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