幕間 ブレーズ・ランプローグ伯爵、帝都にて


 ブレーズ・ランプローグは、文机で開いていた書物を閉じた。


 帝都にある高級宿の一室。

 酒場の二階にあるような安宿とは違い、清潔で静かな部屋だったが――――今は少しばかり、学究に集中できない。


 今日は、セイカがロドネアへと出立する日だった。

 今頃は最初の街に寄り、宿をとったところだろうか。


 自分の選択は正しかったのか。

 どうもそればかり考えてしまう。



****



 セイカは、ブレーズ自身の子ではない。


 今から十二年前。

 黒いローブを着た謎の女が、まだ赤子だったセイカを屋敷へ連れてきたのだ。

 この子は――――ブレーズの弟、ギルベルトの息子だと言って。


 ギルベルトは、兄であるブレーズから見ても変わっていた。

 自由奔放で、貴族らしさの欠片もない。広い世界を見てみたいと、学園卒業後には冒険者になってしまったほどだ。魔法学の大家、ランプローグ伯爵家から冒険者になった者など、おそらく弟くらいだろう。

 ただ、ギルベルトは優秀でもあった。

 学園では首席。冒険者としてもめきめきと頭角を現し、あっという間に上位層の一人となっていた。

 一族の中には認めない者も多かったが、兄としては密かに誇らしかったものだ。


 だから、初めは信じられなかった。

 ある日ギルベルトが、魔族領で消息を絶ったという報せを聞いた時は。


 その数年後に、謎の女がセイカを連れてきた時。

 ブレーズは、その子を孤児院へ預けようとは思わなかった。

 もしかしたらすべて嘘かもしれないが――――これも一つの縁だと感じたのだ。


 妻は、魔族の子なのではないかと訝しんだ。

 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、セイカを育てると決めたブレーズ自身、その疑いも無理からぬことだとは理解していた。素性の怪しい子であることには違いない。

 ただそれでも……あの女は、どこか必死な様子でギルベルトの名を口にしたのだ。見捨てる気にはなれなかった。

 同じように怪しむ者もいるだろうと、周りには愛人の子だということにした。もちろん二人の息子にも本当のことは伏せた上で。


 だが時が経つにつれ。

 セイカが魔族の血を引いているのではないかという疑いは、ブレーズの中でも大きくなりだした。


 この国では珍しい、黒い髪に瞳。それだけではない。

 一歳になった頃から、セイカは魔法の力を現し始めたのだ。

 それはどの属性でもなく、ただ物を動かすのみの原始的なものだったが――――およそありえないことだった。


 魔法と言語は密接な関係にある。

 それは、無詠唱を極めた魔術師でも変わりはない。


 だから、言葉も話せぬ幼子が魔法を使うことなど、本来はありえないのだ。

 生まれながらに魔法を扱えるとされる、魔族の子でもない限りは。


 セイカの魔法は次第に強くなっていった。

 二歳になる頃には、物を動かすだけでなく破壊するようになった。

 小さな物から、次第に大きな物へ。

 そして次は、生き物へと。


 セイカは喜ぶことも、面白がることもなく、淡々と玩具やベッドや、虫や鳥を壊した。

 自分にできることを、ただ確かめているように。


 セイカの魔法のことは、妻と一部の使用人以外には伏せていた。

 ただ敏感な息子たちは、怯える妻から何か感じ取ったのだろう。

 ルフトはセイカを怖がるようになり。

 グライは逆に、敵意を向けるようになった。


 セイカはどれほどの魔力を持っているのか。

 そう思い、三歳の頃に行った測定の儀式では――――予想に反し、どの属性の魔力もまったく有していないという結果になった。

 これもまたおかしなことだ。

 魔力がなければ魔法は使えない。


 もちろん例外はある。だがそれは、測定すらできない程度の魔力しか持たない者が、取るに足らない魔法を行使した、そんな事例だ。

 セイカには当てはまらない。


 不思議なことに、儀式の夜以降――――セイカは目に見えてまともになった。

 破壊の魔法を使うことが一切なくなったうえ、普通に会話することも増えた。

 時にはルフトよりも大人びて見えたほどだ。


 このまま普通の子供として成長するのではないか。

 そんな考えは、セイカが七歳になる頃に打ち破られた。


 魔法演習でセイカが見せた、火の魔法。


 あれは火炎弾ファイアボールなどではない。


 威力や色以前に、あの炎は魔法によるものではない。

 おそらくは何か鉱物が燃焼したもの。

 つまりまったく別の魔法だ。


 魔法から慎重に遠ざけていたにも関わらず、セイカはまたもや独自の魔法を使って見せたのだ。


 さらに言えば、先日のモンスター騒動も奇妙だった。

 エルダーニュートの死骸を検分したが、あれは明らかに、炎によって倒されたものではなかった。

 火傷も外傷も少なすぎる。

 まるで毒殺でもされたかのように。


 付け加えるならば、あの奴隷の娘、イーファの見せた中位魔法も妙だ。

 術名の発声はしていたが、あれは炎豪鉾フレイムノートとは微妙に異なる。

 あれの父親は優秀な男だが、魔法の才はない。数年前に亡くなった母親も同様だ。

 イーファは、近頃セイカと仲が良かった。

 関係がないとはどうしても思えない。


 セイカには、父であるブレーズにも理解できないところがある。

 だからこそ。

 だからこそ、セイカが学園に行きたいと言いだした時、都合がいいと思った。


 セイカを軍にやるのは危険すぎる。

 帝国軍は国防の要だ。万一があってはならない。


 グライには悪いことをした。

 あの年で中位魔法を使いこなす優秀な子だ。学園でも結果を残せただろうが……背に腹は代えられない。


 本当は、グライとの決闘にて、あの子の本性を見極めるつもりだった。

 グライではまず相手にならなかっただろう。だから少しでも危険があれば即座に介入し、必要ならば――――セイカを殺すことすらも、考えていた。

 幸か不幸か、それは叶わなかった。

 だが……おそらく、これでよかったのだろう。


 妻は未だに怯えているが、今のセイカは優しい子だ。


 平民にも穏やかに接し、粗相をした奴隷も笑って許す。

 もう無闇に生き物を殺したりはせず、それどころか部屋にいたクモをそっと掴んで窓から放したこともあった。

 イーファと仲が良く。

 最近では、ルフトとも打ち解けている。

 そして、グライに対しても同じだ。


 決闘の前夜。ブレーズの条件が気に食わず仕掛けてきたグライを、セイカは傷一つ負わせずに打ち負かした。

 一体どのようにしたのか、グライはついぞ語らなかったが……結果だけで十分だ。

 息子が今も無事に生きているという結果だけで。


 周りの人間に恵まれれば、セイカは国を守る勇者ともなるだろう。

 だが逆に――――もし裏切りや破滅に見舞われれば、人を滅ぼす魔王ともなり得る。

 そんな気がしてならない。


 学園は良いところだと、かつてギルベルトが言っていた。


 願わくば――――今も、そうであらんことを祈る。

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