牟歯の少女隊-ムシノショウジョタイ-

ちだはくさい

第1話 出会-デアイ-牟歯-ムシ-

――ヒトはから生まれる。

  結ばれた男女は世界から子を授かり、家族を育む。

「泉に手を」

 信徒の装いをした男に促され、母親となる女性は小さな泉に両腕を沈める。

 の広間に設けられた泉は石造りで人工的なものだが、そこには確かに世界の力が宿っている。

 泉は深いものではないが、沈めた両腕は水面を境にさっぱり見えない。しかし両腕に抱かれるようにゆっくりと質量が増していく感覚がある。

 未知の体験に驚き父親の方を見やる母へ、信徒の男が静かに囁く。

「さあ、ゆっくりと、掬い上げて。……そう、ゆっくりと」

 母親が両腕を上げていくと、水面から乳児が現れる。母の両腕に抱えられる形で、静かに寝息を立てて。

 両親は顔を見合わせる。同時に表情が綻び、歓喜の笑みを交わす。

――子は親を選べず、親は子を選べない。すべては世界の一存にある。

 先ほどまでの笑みは止み、両親は顔を強張らせた。両親の視線は子の口元。

 小さく開閉を繰り返す口からは、拙いながらも鋭いが覗いていた。

 牙を見るや否や、悲哀に顔を歪ませる両親の背後から、信徒は歩み出る。

「……この子は世界に選ばれました。選ばれし小さな兵士に大きな賛美を。世界協会は『牟歯ムシの少女』を歓迎いたします」

――世界は平等であり、不平等である。

 選ばれて娘の将来を儚み、泣き崩れる両親を横目に、信徒はニヒルな笑みを浮かべ、手を叩く。周囲で儀を見守っていた他の信徒たちも次々に手を叩く。

 盛大な拍手の音に包まれ、赤子は牟歯として目を覚ました。


※※


 盛大な拍手の音は、22年後の協会の講堂でも響いていた。

拍手が向けられたのは赤子ではなく、信徒の装いをした若い男。講堂の奥でスクリーンを背に、同じ格好の者たちからの賞賛を受けていた。

 発表テーマは「節足の行動習性と誘引物質」というもの。

「いやァ。毎度のことだが実に素晴らしい研究成果だ。さすがだネ、アズ君」

 階級のひと際高そうな帽子を被った老人からの祝福の言葉を、アズという男は謙遜抜きに否定する。

「いえ、これはあくまで基礎研究です。『節足』を滅するには至りません」

 アズに照れは見えず、淡泊な印象を受ける。

「それでも大事な一歩だとも。これを機に節足の研究は大いに進む。街への被害も減るだろう。君はもっと上の階級になるべき人材だと僕は思うヨ」

「ありがとうございます。ですがたとえ階級が上がろうと、研究者としての権限だけは保持していただきたく」

「本当に研究熱心だネェ。師としては嬉しい限りだけど……一体、何が君をそう駆り立てるんだい」

 老人の疑問にアズは一瞬の、間をおいて答える。

「……節足の根絶、ただそれだけです。深い理由はありません」

 アズの言葉にはほんの少しだけ、熱が込められていた。


 帰り道、アズは乱立するビルに埋め込まれたテレビにふと注意を引かれた。

『中学校で頻発している牟歯の少女に対するいじめ、差別問題。生徒内だけでなく教師からも受ける差別や非難に終わりはあるのでしょうか。街の意見を聞いてみました――』

 アナウンサーが街頭アンケートを行っている映像では、老若男女問わず牟歯の差別について当然という意見が挙がる。その内の一人の意見はこうだ。

『そりゃぁ牟歯と俺たち人間は違う。兵士としてのためだけに生まれた劣等種に平等も何もないだろう』

『やはり牟歯と人間の溝は深く、簡単に埋まるものではありません。専門家の大半はそもそも問題と捉えるべきでないと意見しており――』

 当然のことだろう、とアズは思う。

――問題とすべきはその劣等種でしか節足に対抗できない科学技術の現状だ。人の手で節足を殺すことができれば、節足もどきの劣等種共々根絶できる――

 ぎり、と歯を軋るアズの脳裏を過ったのは中学生の時の記憶。少女の悲壮な笑みと、離れ行くアズの延ばした、届かなかった手。水の弾ける音が聞こえたところでアズははっとする。

 ゆっくりと、深呼吸をする。少し荒立った息を収め、状況を認識する。ここは街の中。いつもの帰り道。そうだ、落ち着け。

 動揺の収まりを自覚したアズが顔を上げたとき、一人の女性が前を横切った。それ自体は街中でよくあることだが、アズはその女性の後姿を目で追ってしまっていた。

 赤みを帯びた茶色の髪。毛先に少しだけ外ハネのクセがある。顔ははっきりとは見えなかったが、直観的に。直観的に記憶の少女の姿を重ねていた。記憶の少女は肩につかないほどのショートヘアだったが、あれ以来少女とは会っていない。

 ――しかし、万が一、彼女だとしたら。恐らくあのくらいの年齢で、背丈で、髪の長さで……そうであっても

 限りなくあり得ることのない可能性だと思いながらも、すれ違った女性を追うようにアズの足は動き出していた。女性はちょうど街角を曲がるところだった。

 アズは周囲も気にせず駆け出し、女性を追う。

 人通りの多い繁華街を抜け、大人一人がやっと通れるような細い路地を抜ける。女性を見失わないように必死に追いかけるアズは、普段は来ないような街はずれへとたどり着いた。

 周りには人一人おらず、静まり返っている。そこらに点在する住宅も明かりはなく、人が住んでいるか定かではない。沈みはじめていた日は消える直前で、街灯が少ないこともあって辺りはやけに暗い朱に染まっていた。女性の姿を見失ってしまったアズはその場で荒い息のまま呆然とする。

「……くそ、何やってんだ」

 身体より先に冷めた口先で自虐する。

――わかっていたことだろう。あり得ないんだって。

 ゆらりと踵を返し、帰路につこうとする。

 そこで、アズはほのかに地面の揺れを感じた。

――地震……いや、少しずつ何かが近づいているような……。

 明らかに地震と異なる揺れだと気づいたとき、アズの足元の地面が弾けた。

 舗装された石畳は容易く砕かれ、その勢いにアズは吹き飛ばされ塀に背中を打ち付ける。

 瞬間的な息の詰まりに咳き込み、酸素を必死に取り入れようとしていたアズは、ギチギチと蠢く不気味な音に冷静にならざるを得なかった。

 少し冷たい吐息を全身で感じる。俯いた視界にぼとぼとと液体がこぼれた。液体の落ちた地面は炭酸水のような音を立てながら蒸気を上げている。

 顔が引きつった。目は自然と見開いたままで、瞬きすら忘れていた。恐怖という恐怖を脳と身体と心で感じながらも、それを確認せずにはいられない。

 ゆっくりと首は頭を持ち上げ、恐怖の根源を見定めようとする。99パーセント確定している当たってほしくない予想。その最後の1パーセントを殺すために、その目でしっかりとそれを視界に捉える。それが1%に縋るための行為なのか、諦めるための行為なのかはわからない。

 視界に映ったのは、無数の小さな牙が生えそろい、四つに裂けた口。そこへ獲物を運ぶための触手がせわしなく口元を蠢いている。口のすぐ上には前方に張り出した触覚が二本。その脇についた感情の無い黒に染まった目。昆虫の頭殻のようなそれを見たアズは、やっとのことで状況を理解する。

――節足っ……!? いくら街はずれとはいえ、なんでこんなところに……!!

 思考はやけに巡ったが、身体は凍り付いたように動かない。

 全高は4mほど。口の大きさからして一口で飲み込まれることはないが、素手で抵抗できる相手ではない。体格に見合わない野太く無骨な両腕が迫るのをアズは見つめることしかできなかった。

 大小の棘が生えた鋏のような腕はアズの全身に突き刺さり、アズは悲痛な叫びを上げる。

節足はそのままアズを頭上に吊り上げる形で口へ運ぼうとする。

 段々と迫る蠢きから目を離すこともできず、痛みと恐怖で言葉にならない声をただ漏らしていた。

 脳裏を過ぎるのは走馬灯だろうか。

 過去の記憶の断片が駆け巡る。


 癖のある朱色のショートヘアの少女が微笑む。

――世界の皆を笑顔にする……アズ君らしくて私は好きです! じゃあ、私と一緒に――


 このまま力を抜けば、彼女にまた会えるだろうか。

 目を閉じ、だらりと腕が宙に下がる。


 走馬灯にノイズが走る。

 一変して、少女の表情が歪んだ。顔は赤に染まり、目に涙を溜め、それでも必死に笑みを作っていた。

――私は大丈夫、大丈夫ですから、アズ君はどうか――


 不意に、漏れた言葉。

 逆さに流れる涙も気にせず、目を見開いて弱々しく手を伸ばす。

「ミラぁ……ッ!」

 ぼやけた視界の中、節足の背後に飛び乗る人影が見えた気がした。

 途端、身体を突き刺す鋏の力が緩んだ。

 節足の目の闇が、白く濁った。かと思えば、外骨格だけを残して、溶けるように崩れ落ちた。

 鋏から解放され、重力に従った身体は柔らかい腕に支えられ、廃墟の壁にもたれるように下ろされた。


「大丈夫ですか、あなた」


 ――これは走馬灯。では、ない。


「意識はありますか。声が聞こえますか。私が見えますか」

 焦点の合わない目をゆっくりと動かし、ようやく目の前の人物を捉える。

 そこに立っていたのは、記憶の少女によく似た少女だった。

 ゴーグルを着けているため目元は見えないが、髪の色から長さ、背丈まで記憶と重なった。

「ミラ……? じゃ、ない、よな……あなたは……」

 しかしアズはすぐに否定する。あまりにも似すぎていた。あれから何年も経った今、同じ容姿で存在するはずがない。それこそ、先程のすれ違った女性ほどの年齢になっているはずだった。

「意識が少しぼやけているようですね。私はスギサといいます」

「スギサ、さん……ですか。すみません。助けてくださり……ありがとうございました」

 ゴーグルで目元は見えずとも、口角で笑みを浮かべたのがわかった。

「いえ、として皆さんを守るのは当然ですから」

 アズは耳を疑った。

「牟歯……? 牟歯って……もしかして、……」

 アズの声色が変わるのを気にも留めず、スギサは屈んでアズの怪我の状態を確認する。

「えぇ、私は牟歯の者です。……出血が思ったより多いですね、医療班が来るまでせめて簡単な処置を」

 身体に触れようとするスギサの手をアズは払い除けた。

「……やめろ」

「あの、どうかされまし」

「触るなッ!!」

 様子が一変したアズに、スギサは唖然としていた。

「節足も、お前ら牟歯も、許さない! 殺すだけの下等生物が!!」

 おもむろに立ち上がったアズはスギサの襟首を掴み、翻すように自分の寄りかかっていた壁に強く押し付ける。

「落ち着いてください。出血が酷いんです。処置しなければあなたの命が」

「黙れッ!!」

 アズは一種のパニック状態に陥っていた。

 見開いた目は目線も合わせず、焦点も合わず、涙を流し、ただ震えていた。

「お前らのせいで……お前らのせいで、ミラはッ!!!!」

「身近な人を失い節足を憎む気持ちはわかります。ですが……」

 襟首を締める力が強くなり、スギサの声が途切れる。

「お前らが来なかったから……! 節足がいなければ……! お前らがいなけれ、ば……」

 無理に動いたせいか、アズは徐々にひざから崩れ落ち、そのまま倒れ込んだ。

 解放されたスギサは咳き込んだ後、チョーカー形の通信機で連絡を取る。

「こちらスギサ。逃げた節足の処理完了。一般人1名保護。出血多量で危険な状態。すぐに医療班を」

 通信を切ってゴーグルを外した。

 スギサはゆっくりと深呼吸をして、この世に生きていることを再確認する。

「ミラ……なん、で……」

 無意識下でも過去にうなされているのだろうか、辛そうに唸るアズを見下ろし、スギサは呟く。瞳には哀れみが映っていた。

「ごめんなさい……アズくん」

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