10

ドアを叩く音は断続的に、すすり泣きは継続的に、寝室にまで聞こえてくる。


それでもドアの前の居間にいるよりは幾らかマシだった。


とても落ち着けるものではなかったが、聞こえないふりをして、いつも通り、のんびりと、心情的にはとてものんびりとは言えないが過ごした。


しばらくして、ジゼルが低いテーブルの上を片付け、そこに魔法陣が描かれたビロードのシートを広げた。


「少し、カードを見てみよう」


と、美しい装飾のカードを持ちだしてくる。


うらない?」


ロファーの問いにジゼルは答えない。シートの上でぐるぐるとカードをき混ぜ、一纏ひとまとめにすると、二つの山に分けた。


もともと下にあったほうの山を手に取り、一枚一枚、表に返してシートの上に並べていく。


「過去の座に『火』が出ている。現在の座は『遭遇』で、近未来は『暴露』だ。そして解決策は・・・『変身』となっている」


「どういうこと?」


カードを片付けながら、今度はジゼルも答える。


「火のカードは、やはり西の街の火事を指すんだろうね。遭遇のカードは、ロファーは気が付かなくても、どこかで遭遇して、それで恋心に火がついた、ってところだと思う」


その程度なら俺にも判りそうだ、と思いながらロファーが先を促す。


「うん、それで?」


「あとは、判らない。占いは専門外だ」


「おい、なんか誤魔化してないか?」


クスリとジゼルが笑う。


「魔導士にもいろいろいるのだよ。星を読むのを得意とする星見魔導士、学者は真理を探求するのに向いた特性を持っているし、占いが得意な魔導士だっている。


私は占いにはあまり向いていない。あれこれ考えを巡らすなんて、面倒で好きじゃない。


さぁ、この辺で説明は終わり。夜も更けた、寝よう」


おまえはどんなことだって面倒なんだろう? そう言いたいロファーだったが言えばまた、ご機嫌を損ねるのでやめておいた。


ベッドに潜り込んでからも、当然のようにドアを叩く音とすすり泣く声は続いている。


「我が住処の周囲が果樹園だというのがあだになったな」

と寝返りを打ってジゼルが言う。


「人通りがないから人目もない。隣家が気づくこともない。やりたい放題だ」


「結界から摘まみ出す事はできないのか?」


「そんな種類の結界にしておけば良かった。街人しか来ないと思っていたから、念のための他者魔導術無効しかしていない。これがあれば敷地内は私の領域だ。


普通なら、私に用もない魔導士は遠慮して入らない」


言いながら、怒りが込み上げるのか、ジゼルの体が小刻みに震える。


よしよし、と、ロファーが懐にジゼルを包み込む。


「ロファー?」

「うん?」


「ずっと傍にいてくれる?」

クスッとロファーが笑う。今まで何度同じセリフを聞かされたことか。


物心ついたころからずっと、森の中の一部屋しかない建屋で、一人で過ごしていたとジゼルは言っていた。


朝夕、世話係は部屋を訪れたが、用事を済ませると、すぐに帰って行ったらしい。


それを寂しいと思ったこともない、寂しいという気持ちもよく判らない、とジゼルは言った。


友達は? と聞くと、森の小鳥たち、と何の疑問も持たない明るい笑顔で答える。


その時、ロファーがジゼルに抱いた思いをジゼルはきっと知らないだろう。


「ずっと傍にいるよ」


「一生いてくれる?」

それにはロファーも少し口籠くちごもる。


「そうだね、ジゼルがいてくれ、と言うのなら」


何も考えず、もう寝よう、ロファーが言うと、少しだけロファーの顔を見詰めてから、ジゼルはロファーの胸元に潜り込んで目を閉じた。


糞生意気で、自分勝手で、我儘な魔導士は、ほんの子どもで、だけど、自分を守ってくれる大人が必要だと、やっと気が付き始めた。


本来なら親の役目、それが自分にできるだろうかと、不安に思いながらも、ジゼルを守るのは自分だと、ロファーは考え始めている。


あと何年、この魔導士は自分を頼ってくれるのだろう、と時々ロファーは思う。きっとそのうちロファーを必要としなくなる。そうなって欲しい。


けれど、きっとその時、俺は物凄く寂しいのだろう、とロファーにも判っていた。


見た目の年齢の割には心が幼い魔導士の実際の年齢をロファーは知らない。聞けば、魔導師に年齢を聞くものじゃない、とはぐらかされ、五千年くらい前に生まれたのかも、なんて揶揄からかわれる。


見た感じだと十四くらいかと思う。まるきり子どもとも言えない年齢だが、ロファーの目には子どもに過ぎない。


そうじゃなければ、たとえ性別不明でも同じベッドで眠るなんてできない。懐に抱いて眠るなんてとんでもない。


育ちすぎた子ども、ロファーはそんな目でジゼルを見ていた。


ジゼルが寝息を立て始める。ロファーはそっとジゼルから離れ、ベッドの端に寄る。


今夜は何度殴られ、蹴られるのだろう?


苦笑しながら仰向けになると天窓から星空が見えた。空は晴れ渡っているのだろう。


やがてロファーも睡魔に引き込まれる ――


ドンドンドン! ドンドンドン!


誰かがドアを叩いている。マーシャがミルクを持ってきたかな? いや、それにしては音が大きい。


半覚醒のまま、ロファーが上体を起こす。ジゼルもさすがに気付いたようで、目を擦っている。


窓を見るとまだ外は暗い。そして、そう、すすり泣きが聞こえない。


ドンドンドン!


再度の物音に、ロファーが音の出どころを探す。ジゼルが起きだして、身構える。


ドンドンドン!


「そこか!」

ジゼルとロファー、同時に天窓を見上げた。


すると、外から中を覗きこむ人影がある。


「おのれ!」

ロファーが止める暇はなかった。


体からスパークをほとばしらせたジゼルがドアに向かう。


「おい、ジゼル、待て!」

慌ててロファーが追いかける。が、間に合わない。


バン! と音を立て、ジゼルはドアを蹴り開け、外に躍り出る。


と、屋根を見上げて怒鳴り声を上げた。


「このぉ、おい! 降りてこい! どうやって屋根に上った!」


ロファーも慌てて建屋から出て、ジゼルの横で屋根を見上げた。


すると、屋根に半ば隠れながら返答がある。


「降りてもいいけど、攻撃しない?」


「馬鹿か! 人の眠りを妨げやがって、ぶん殴ってやるから来い!」


いつものジゼルからは想像できない酷い言葉遣いだ。


「あら、わたくしを殴る? そんなことして父があなたを許すかしら?」


「また、親の七光りか? あいにく前にも言ったが、ここは南の陣地だ。あなたの父上は北ギルドでは権力をお持ちだろうが、ここでは何の権限もない」


ジゼルの口調はきついが、言葉使いは普段通りに戻っている。少しは冷静になったかと、ロファーがほんの少し安心する。


「あなたは魔導術が使えるけれど、ここでは私は使えない。不公平だわ」


「自分でわざわざ出向いておいて、勝手な言いぐさは如何いかがなものか?」


「だってそちらが隠してしまうのだもの。こうでもしなければどうにもならない」


「あいにく譲る気はない」


「本人も同じ考え? 飼猫ではなく、わたくしの夫に、と望んでいるのですよ?」


「よくも知らない女にれる男がどこにいる、と、当のロファーが言ったがな」


「惚れて欲しいとは思っていないからご心配なく。わたくしの物にできればそれでいいの」


「物扱いか!」


と、急にジゼルが吹き出した。


どこにあるか判らないジゼルのツボにまったようだ。


笑い転げるジゼルの横でロファーがオロオロしていると、


「ロファー、ここに来て、星がきれいよ」


と、屋根の上から声がする。


更にジゼルが笑い転げる。たまらずロファーが悲鳴を上げる。


「ジゼル、何とかしろ!」

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