9

名前と誕生日が知られるってことはだ、とジゼルが話を元に戻す。


「住処は知られているわけだから、そこに名前と誕生日が加わればのろいを掛けられる」


「呪い? 殺されるのか、やっぱり」


顔色を変えるロファーに、ジゼルが笑う。


「もちろん、殺すことも可能だけど、呪いと言ったっていろいろある。三回転ぶ、なんてのから、風邪をひく、とか、何でもありだ」


「よく判らん」


「ただ、手順を間違えると、あとが面倒だし、そもそも手順自体が煩雑で、魔導師はまず滅多にやらないけどね。むしろ、街人のほうがよく使うかな。指きり、とか」


「指きり? 約束するときとかの?」


「そう、それものろいの一種。なじないとも言うかな」


「ジゼルといるとなんでも、ほらなんだ、神秘力、あれに聞こえる」


「うん、あながち間違いじゃないよ。世のことわりつかさどるのが神秘力だからね」


またややこしい話を聞かされそうだ、とロファーがゲンナリする。と、


「誰か来た。こんな時間に?」


と、ジゼルが顔をあげる。もう、日が暮れて外は真っ暗だ。


「窓を閉めて、ロファー。キッチンと、ドアの横」


そう叫ぶと、ジゼルは寝室に走った。


何事かと思いつつ、ロファーも慌ててドアの横の窓を閉め施錠し、ついでだからカーテンも閉め、キッチンの窓が施錠されていることを確認する。


キッチンの窓は閉められて施錠もされていた。


寝室からジゼルが戻る。ドアに駆け寄り、施錠を確認する。


≪不侵入。強固に≫


ずんと空気が重くなったとロファーは感じた。


「誰が来たんだ? まさか?」


「たぶん、そのまさか。いい度胸している。私の結界に断りもなく入るとは」


と、言うジゼルの口元は笑っている。


が、目は赤い光を放ち、怒りの色を見せて、ドアを睨み付けている。


「さて、魔導術無効の結界で何を始めるのか、お手並み拝見と行こうじゃないか」


ジゼルをじりじりとした緊張感が包む。どうしてよいか判らず、ロファーは見守るばかりだ。


が、何も起こらない。ジゼルが緊張を解いていないところを見ると、まだ敷地から出て行っていないのだろう。


だが、何も起こらない。


「どうなっているんだ?」


とうとうロファーがつぶやく。ジゼルはドアを睨み付けたままだ。


と、ドアがノックされる。


「あれ、呼び鈴がない?」

「さっき、取っ払った」

「そうか・・・」


自分でも、なんでこんな時にこんな事を思うのか、と思いながら『家の改修ならジゼル工務店へお任せください』と心の中でロファーは呟いた。


トントン、と再びノックの音が聞こえる。ジゼルが、親指と人差し指で自分の顎をつかむように撫でる。



トントン、更にノックされる。ジゼルはドアを見詰めたままだ。


「本当に、差出人?」

とロファーが尋ねる。

「お疑いなら、勝手口からでも出てみたら?」

ジゼルがロファーをあざけった目で見る。


「なんだったら、それは、それは、お美しいお嬢様とお話しでもなさったら? 気にいられたロファー、行きたきゃ行けよ!」


「おい、さっきと言っていることが違うぞ」


いきなり怒り出したジゼルにロファーが慌てる。

うるさい、敵の様子を見てるんだ、邪魔するな」


「あ・・・ごめん」

小さな声でロファーが謝る。


ジゼルは相変わらず、ドアを睨み付けている。


と、

「ロファー、いるんでしょ?」

密やかな声がドアの向こうでした。


「お願い、会いに来たの。ドアを開けて」


するとジゼルが腕を組む。そしておもむろにロファーの顔を見る。


「開けたきゃ開けろ、なんて言うなよ」

囁くような声でロファーがジゼルに言う。


それをジゼルが鼻で笑う。


「間違っても開けるな。閉めてある扉を家主の許可なしに開けることは魔導士には出来ない」


「そうなんだ? それじゃあ、魔導師じゃなかったのかな?」

「なにを頓珍漢とんちんかんな」


「あぁ、ごめん。うちの店に入り込んで両親を襲ったのは魔導士だと思っていたから」


チッとジゼルが舌打ちし、ロファーが自分の失言に気付く。


「いや、だからって、魔導師は嫌とか、そんな事を言っているわけじゃなく・・・」


ロファーの言い訳をさえぎったのはドアの外から流れ込むすすり泣く音だった。


「・・・これ、こないだの夢の?」

「うん?」


「ほら、こないだ、珈琲を飲んだ夜、ジゼル、俺に話しかけただろ、頭の中に」


「あぁ、眠れなくって大変だった。送言術を使って、お話ししよう、って言ったのに、相手にされなかった。


冷たいロファー。なのに私はこうしてロファーを何とか助けようとしている」


言い訳なのか苦情なのか、判断付かないロファーが苦笑する。


たぶんジゼルは両方かねて言っている。言い訳するつもりだったのに、その時の寂しさを思い出して苦情に変わってしまったのだ。


「で、そのあと、一晩中すすり泣きが頭に響いて。てっきりおまえだと思っていたんだが、今、聞こえるすすり泣きにそっくりだ」


「ふぅん」

またロファーはジゼルの怒りを買ったようだ。


「それじゃ何か、あなたは私より、あのすすり泣きを取ったという事か?」


「おおい、俺の意思じゃないだろうが」

俺が泣きたいよ、とロファーが思う。


「まぁ、いい。今夜はじっくり私の相手をしてもらおう。ドアの外はほっとけ。どうせ、今度はドアの外で一晩中、泣くつもりだろう」


と、ジゼルはキッチンに行ってしまう。


勘弁してくれよ、とロファーが後を追う。ドアの外の人物は、すすり泣きに加え、時々ドアをノックしてくる。そのドアの前に一人でなんかいたくない。まるで怪談話だ。


キッチンではジゼルが湯を沸かし始めた。


「もう、ミルクがない。リンゴジュースで割るかな」

「へぇ、それ、美味しいの?」


ロファーが問うが返事がない。どうしたものかと、ボケっと立っているしかないロファーだ。


仕方ないのでジゼルを見ていると、ティーポットに入れた紅茶にジゼルは、がばがばとリンゴジュースを入れた。


「ポット、寝室に持って行って。常人のロファーでもそれくらいできるだろ?」


ちょっとムカッとしたが、今、争っても勝ち目がないと、ロファーは素直に従う。


するとジゼルがトレイにカップを乗せて寝室に来た。カップはちゃんと二脚ある。


テーブルでカップにお茶を注ぐと、ジゼルは自分のカップを持って、暖炉の前のラグに座った。そこにも低いテーブルが置いてある。そこにカップを置く。


そして自分の横のラグを叩く。ここに来い、とロファーに言っているのだ。


これにもムカッとしたが、まぁ、いいか、とロファーは今度も従う。ジゼルの意地っ張りは承知しているロファーだ。


「疲れたのか?」


ジゼルの横に腰を降ろしながらロファーが問う。

「うん・・・」


座ったロファーの袖を引いて、腕にもたれかかってくる。


「もう、泣きたい気分。図々しいにも程がある。私の結界にずけずけ入り込み、私の住処のドアを叩く。私の事など眼中にないと言っている」


よしよし、とロファーがジゼルの肩を抱き、頭を撫でる。


「俺のせいで済まない。どうしてこんなことになったものだか」


「ドアの向こうにいるのはロファー、『麗しの姫君』だ、多分。西の街の火事の時、チラッと出くわしたアイツだ」


「あの、闇に隠れていた?」


「そう、覚えていた? あの時、ロファーに目を付けたんだ、きっと。だから私もいけない。用心を怠った」


「うーーーん、よく判らないけれど、何とかなるんだろう?」


「そうできればいいけれど。下手をすると生かしては返せないかも」


驚いたロファーがジゼルを見る。


「生かして返せないって?」


「ううん、ただでは返せない、が正しいかな」


ジゼルは遠くを見ているようだ、ロファーは何故なぜかそう感じた。

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