男は暗がりの中でじっと女を見つめながら首を傾げた。

 すると女はスーツの衿を裏返し、そこに取り付けられていた直径5ミリほどの金属製のボタンのようなものを露出させた。

 それは、マンションの玄関で待機していた警察の科学捜査官が女に取りつけた隠しマイクだった。

 男は、女がそこに自分の注意を向けさせたがっていることに気づいた。そして、呆気に取られながらもうなずく。

 しかし男は、隠しマイクの存在そのものには驚かなかった。

 女は男が隠しマイクを見たことを確認すると、いきなり立ち上がってテーブルを拳で叩いた。

 同時に、叫ぶ。

「なにを⁉ いや! やめて!」

 不意に1人で暴れだした女を、男は茫然と見守った。口を突きそうになる疑問符を必死に呑み込む。

 女は目で、『口を開くな』と命じていた。

 女は口をつぐんだままの男に大きくうなずき、さらに叫んだ。

「あ! それは! だめ! やめて!」 

 女はワイヤレスマイクから延びた短いコードを引き抜いた。マイクをテーブルに置き、吸い殻だらけの灰皿を取って叩きつぶす。

 女と警察の接点は、テーブルの上に煙草の灰が舞い散った瞬間に途切れた。

 男は、もうためらわなかった。精一杯声を抑えて怒鳴る。

「気でも狂ったか⁉ なぜマイクを壊す⁉ せっかく俺の予定通りに事が運んでいたのに!」

 女は目を伏せて首を激しく横に振った。その姿からは、これまでの毅然とした態度は消え去っている。

「違うの! わたし、あなたの計画をダメにしてしまったのよ!」

 女は怯えを隠せずにいた。

 咄嗟に立ち上がった男は女の手を取った。

「落ち着け! どういうことだ⁉ 何があった⁉」

「待って。警官が来るわ」

 ドアが荒々しく叩かれた。焦りをあらわにした刑事の声が響く。

『どうしました! 無事ですか! くそ……返事がない。だめだ、待てない。ドアをぶち破るぞ!』

 女は玄関に走った。

「待って! この人を刺激しないで!」

 ドア越しの警官の声に安堵感がにじみだした。

『無事ですか⁉』

「はい! もちろん!」

『よかった……本当に大丈夫ですか? 怪我は?』

「ごめんなさい、わたしはなんともありません。ただ、隠しマイクを見つけられてしまって……」

 女は傍らの男を肘で突いた。

 男はうなずくと、調子を合わせる。

「貴様ら、余計な真似をしやがって! 手は出すなと言ったはずだぞ!」

 警官の声に再び緊張が走る。

『謝る! 上から命じられたことなんだ。指示に従わなければ、静江さんを君に会わせる許可が下りなかった。すまないことをした。だから、落ち着いて。話し合おう!』

「お前らに話すことなんかない!」

 女が言った。

「説得します! 健二さんは何としてもわたしが説得しますから、もう少し時間を! 時間をください!」

 返事の声が変わった。

 責任者らしい落ち着いた口調で語りかける。

『今までの話は、隠しマイクで残らず聞かせてもらった。君たちが今回の事件に関係ないことも分かった。だから、出てくるんだ。間違いのない捜査を約束するから』

 男は女の顔色をうかがった。

 女は猫に追い詰められたネズミのような恐怖を見せている。

 男はうなずいた。

「警察の言うことなんか信用できるか!」

 女が後を引き取る。

「主任さん、もっと時間をください。健二さんは、これが警察の罠だと疑っているんです。じっくり話せばきっと分かってもらえますから。お願いです!」

 しばらくの沈黙の後に、返事があった。

『よろしい、この場はあなたにお任せしましょう。しかし、決して無理はしないように。それから、ご自宅に待機した捜査班には、すでにさっきの話を伝えました。あなた方の考えを裏づけるような物証が出たら、すぐお知らせしますから』

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらです」

 扉の周りから警官が去る気配があった。

 男は女の肩を掴み、疑問と苛立ちを必死に抑えて、小声で問いただす。

「どうしたんだ⁉ 計画がメチャクチャじゃないか!」

 女は男の胸にしがみついた。

「抱いて! お願い、力いっぱい抱いて! わたし、恐い!」

 男が〈義理の姉〉の動揺を目の当たりにしたのは、これが初めてだった。2人の運命が重なってからの5年間、女はただの一度も本心からの怯えを見せたことはない。

 だが、男は知っていた。

 女が控えめな良妻の仮面の下に、人間として、女としての血と欲望をたぎらせていることを。女の身体のどこに触れれば、心が痺れて逆らうことができなくなるかを――。

 それでも、彼女の精神力の強さを疑ったことはない。

 事実女は、夫には本性を暴かれなかった。5年もの間、夫の弟に身体を任せ、幾度となく絶頂の叫びを上げてきたことを、決して悟らせなかった。

 その〈鉄の意志〉を持つ女が、今は理性を失って無防備にすがりついている……。

「お願い……抱いて……気が変になりそう……」

 女は軟体動物のように崩れた。

 男も怯えた。

 取り乱した女1人に、生涯を賭けた策略を台なしにさせるわけにはいかない……。

 女を落ち着かせることが先決だった。

 精神の崩壊を止めるには、肉体の陶酔を与える他はない。

 幸い、時間はある。

 男はあえて、狂ったように絡みつく女に従った。

 女は男を部屋に押し戻し、圧倒的な力でカーペットに倒した。激しく唇を吸いながら、上着を脱がせようと身を捩る。

 男は、女の背を撫で回し、身体を高ぶらせようと焦った。男のジッパーを下ろした女は、馬乗りになってスーツを脱ぎ捨てた。ボタンが弾け飛ぶ。思い通りにブラウスを脱げずに、生地が裂ける。

 暗がりに、ぼんやりと白い肌が浮かび上がった。

 男の野性が目覚めた。

 警察相手の〈大芝居〉に激しい緊張を強いられていたのは、男も同じだったのだ。

 緊張は一気に解放され、本能が炸裂した。

 男は女を跳ねのけて、逆に覆いかぶさった。スカートと一緒にシルクのパンティを引き下ろす。そして、露になった恥部を舌で貪った。

 女はあえいだ。

「もっと……もっと強く……お願い……犯して……」

 男は純粋なオスと化して、激しく女を貫いた。

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