傭兵の戦い方

 五分程寝転がっていただろうか。稜線が少しずつ白み始め、辺りが冷えて来た。

 そして。


「……来た」


 俺はそう呟くと、目を開けた。

 暗闇になれた視界は、微かにモヤが掛かっている。それは、目の異常でも何でもない。

 霧だ。

 軽井沢は、一年の三分の一も霧が出る。

 碓氷峠から上昇気流に乗ってきた空気が、急激な気圧と温度の変化にさらされるためだ。

 かつてこの町を文学にしてきた小説家達も、霧について触れている。

 数秒ごとに濃くなっていき、目の前にある屋敷の影もおぼろげになってきた。

 これで狙撃は難しくなる。これから突入する部隊に、無駄な犠牲を出さずに済む。

 それに、エレナを連れてトンズラする時に逃げやすい。


「行くぞ」

「ええ」


 俺は安全装置を外し、イリナはマチェットを鞘から出す。


「今から三分後。突入してくれ」


 無線にそう呼び掛け、手元に残した方の携帯を操作して門の所に置いておいた携帯に電話を掛ける。

 呼び出し音の後、門の方から叫び声がした。


『警察だ! ここを開けろ!』


 着信音をベルではなく、叫び声に変更しておいたのだ。

 公安の草薙に頼み録音させてもらった声は、離れていても迫力を感じる。

 屋敷の中に居る奴等には、キツイ目覚ましとなっているはずだ。

 俺は近くにあった窓ガラスを撃ち、鍵を破壊する。

 突然の怒声に銃声。寝起きの頭で理解するには、中々ヘビーな状態だ。


「行こうぜ。ポイントマン」


 窓枠を乗り越え、屋敷内に入る。着信音は切れたが、上階からはドタバタと音がしている。

 大方、兵隊アリが必死こいているのだろう。

 俺達は薄く笑いながら、カーペット張りの廊下を進んだ。

 階段の眼の前に着くと丁度、二人の男が一階の床に足を着けた所だった。

 手にはグロック17。俺達の顔を見て、驚愕の表情を浮かべている。

 撃たれるより早く、俺は右にいた男を撃ち殺し、左側にいた男は銃を構えようとした瞬間、銃を持つ手をイリナにマチェットで切り落とされた。

 男の悲痛な叫び声が玄関ホールに木霊する。

 鮮血滴る腕を押さえる男を、台尻でぶん殴り黙らせた。


「まぁ、とにかく、手当たり次第にぶっ飛ばそう」


 そう言ってやると、顔がパッと華やいだ。お互いの得物を構えながら、階段を上がる。

 二階へ上り切った時、銃声と同時に俺の頬を銃弾が掠めた。

 鋭い痛みが走り、血が垂れる。


「近い」


 今の銃撃は、三日前に自分とイリナを撃った奴が放ったと確信した。

 証拠と言えば勘しかないが、極度の興奮状態においてそんな事は些末な事だ。

 脳がスナイパーと戦う算段を素早く導き出す。

 スナイパーが最も苦手とするのは何か。答えは簡単だ。

 近距離での戦闘これに限る。

 勿論、狙撃者が格闘に長けているや、近距離用の銃器を持ってる可能性も捨てきれない。

 だが、室内戦で距離を詰め一撃必殺の戦法を取っていないあたり、奴が持っているのはライフル一丁だけになる。

 拳銃で狙撃するのはプロ中のプロが出来る事だし、サブマシンガンなら近づき至近距離で弾をばら撒いた方が確実だ。

 電気が点いてないのだから、尚更その方が良い。

 それに、いくら格闘で俺を制することが出来ようが、近接戦闘においてイリナに勝つことは難しい。

 そうと理解すれば、あとは実行するだけ。

 アドレナリンのおかげで、足の痛みは軽減されている。俺は大昔の蛮族が如き雄叫びを挙げながら、弾が飛んできた方へ駆けだす。

 イリナもマチェットの柄を強く握り、俺の隣を走る。

 自身を鼓舞する為、相手に恐怖を与える為。古今東西、突撃の際は大声を張り上げると決まっている。

 案の定、廊下の先にいたSG550ライフルを持った若い男が、腰を抜かしていた。

 暗がりで表情は分からない。だがきっと、今にも小便ちびりそうな顔をしてるに違いない。

 男は引きつった悲鳴を出しながらライフルを放り、俺達に背中を向ける。

 俺は反射的にセレクターをバーストに変更し、下半身を狙って発砲した。

 初弾こそ外れたけれたが、残り二発の弾はふくらはぎを貫いた。

 男は体勢を崩し、その場へ倒れ込んだ。

 それでもなお、彼は泣き声混じりに呻きながら、這って逃げようとした。

 その無様な姿は、正確に俺達の肩や足を狙撃した者とは思えない。

 だが、逆に言えばこれが狙撃手の弱い所であり、末路とも言える。狙撃というのは、元からその行為に名前が付いており誰が誰を撃ったかが明確だ。

 戦場において、スナイパーは捕虜にはなれない。

 誰が言いだしたかは知らないが、狙撃という行為のおぞましさを端的に表している。

 勿論、俺もイリナも戦場に生きていた時は、散々煮え湯を飲まされてきた。だから、そこら辺の扱いは慣れている。

 でも、俺は一矢報いた。

 残る遺恨を持つのは、この場だとイリナだけになる。

 地を這う芋虫よりも滑稽な元スナイパーを、妻は冷ややかな目で見ていた。


「今ここで、お前を殺すのは簡単だ。でも、殺しても傷は癒えない。なら、お前を痛めつけてその悲鳴を聞いて、傷の疼きを忘れようと思う」


 そう宣言すると彼女はマチェットを高く振り上げ、男の肩へ振り落とした。

 肉が裂け、骨が砕け、血が溢れる音がする。一度だけでなく、何度も何度も執拗に振り下ろす。

 右腕と胴体との接続がまさに薄皮一枚になるまで、イリナはマチェットを止めなかった。

 人間が出せる最上級だと思う悲鳴も、徐々に弱くなっていき今は掠れた呻きしか聞こえない。

 それを数秒眺めた後、妻はフッと息を吐き俺を見た。


「……エレナが待ってる」

「……そうね」


 戦闘員の気配は無い。後は、エレナと今回の主犯だけだ。

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