エレナと男
どれほど、泣いていただろうか。
気が付くと、外は真っ暗になっていた。エレナは、薄っすらと湿っている目尻を拭った。
泣いて幾分か気持ちが落ち着いたので、色々と脳が色んな事を言ってくる。
個々は何処なのか。
あの男は誰なのか。
今後の自分の処遇はどうなるのか。
……石田のおじさんと、イリナお姉ちゃんはどうなったのか。
おじさんは、連れ去られる直前まで生きていた。
自分に、逃げろと言ってくれた。
しかし、お姉ちゃんは分からない。
気を失ってしまったのか……死んでしまったのか、撃たれてから何も言わなかった。
そんな考えが脳内を駆け巡る。
「……生きてるよね?」
エレナ自身も誰に問いかけているのかは分からなかったが、そう呟いた。
彼女の世界の中で自分の事を理解してくれたのは、後にも先にも石田とエレナしかいない。
何十億分の二。
それが彼女の世界の全てであり、希望でもあるのだ。
完全に信用は出来ないけれど、信じられる大人の心当たりがその二人しかいない……という事情もあるが、この極限状態において少女が信じるにはこれほどの適任はいないだろう。
助けは来る。約束を彼等は守ってくれる。
自分にそう信じ込ませ、不安定な精神を安定させようとする。
病は気からと言われたり、プラシーボ効果というものがあるように人間は、思い込みによって想像以上のパフォーマンスを発揮する事もあるのだ。
「大丈夫。……きっと、大丈夫」
石田とイリナはピンチの時に、必ず駆け付けてくれた。
ならば、今回も助けに来てくれる。
絶望の中に咲く一縷の望み。
エレナの胸に柔らかな光が宿った時、部屋の扉が開いた。
男だった。
「泣き止んだね……」
相も変わらぬ気色悪い笑みを浮かべ、エレナの方へ近づいていく。
けれど、泣いて落ち着き希望を持つエレナは、数時間前とは打って変わって若干恐怖を滲ませながらも、男を睨みつけた。
「……おや、随分とイケナイ目をしてるね」
「………………」
「これから、一緒に暮らしていくんだ。少しは、仲良くしようよ」
顔を更にだらしなく緩めた男は、エレナの頭に手を伸ばす、が。
「……――だ」
「え?」
「嫌だ!」
魂の叫び。
それは、彼女の必死の抵抗だった。
大切な人の生存を信じていても、孤立無援な状態に変わりはない。
でも、彼女は産まれてからこれまでの人生において、誰からも救いの手を差し伸べられない事の方が多かった。
実の母親に疎まれ、挙句に売られ、暗い船室の中で両親の名前を泣き声で呟く同世代の子供の中でも、孤立していた。
けれど、今は違う。
迎えに来てくれる大人がいる。
「絶対に、嫌だ……」
帰る場所がある。だからこそ、抵抗が出来たのだ。
「……撃たれたあの男と女が、助けに来てくれるとでも思っているのかい?」
男の声は少し震えていた。
「よしんば生きていたとしても、撃たれてからまだ二日しか経っていないんだ……動けるはずがない」
その言葉は、自分に向けて言っている様にも聞こえる。
エレナにはその機微は分からないが、男の感情が揺れた事はなんとなく感じ取った。
「……君も、諦めが悪いなぁ」
男はまた手を伸ばし、今度はエレナの頭に手を乗せられた。
「あの二人の事なんか、忘れた方が良い」
そう言って、男は自身の顔とエレナの顔を鏡合わせにする。
当然だが、エレナは顔を背けた。
「これからは、私と共に暮らすのだから……もう少し、仲良くしてもいいんじゃないか?」
男の戯言をエレナは無視をする。
「つれないなぁ……」
こうなっては、てこを使っても気持ちは動かない。男はそう判断した。
押してダメなら引いてみろ、なんて言葉があるがこの状態は扉にノブや窪みが無いのと同じだ。
暴力的に娘を犯してもいいが、そうしても自身の理想には近づけない。
犯すことによって、多大ななるトラウマを植え付ける事により、言う事を聞かすことも出来るが……男の理想はそうではないのだ。
それならば、バービー人形でも買って遊んでいた方が良い。
男が欲しいのは、自分を心の底から慕ってくれる女の子だった。
それは、人形には出来ない。
何故なら、アレは物を言わないただの人の形をした物体であり、心というものはそもそも存在しないからだ。
好みの容姿で、言語を話すことが出来て、人を好きになる心がある少女。
男が追い求めていたのは、そんな存在だった。
それにはまず、前提条件として一定の好感度が必要になる。
どんな人間も初対面の奴に注ぐ愛情を、持ち合わせてはいないからだ。
それ無くして人間関係は構築できない。
だからこそ、軟禁状態に置きながらも一定の自由を与えたり、泣き止むまで部屋に入らなかったりとしたのだ。
彼なりに努力はしている。もっとも、それは意味を成すどころかエレナにとってはストレスでしかないのだが。
「……また、朝に来るよ」
男はそう言い残し、寝室を去って行った。
エレナはそれを見届けると、胸を押さえ溜めていた感情を涙にして流し始めた。
希望はあるが、所詮は彼女の望みである。
助けに来ることが確定してるわけではない。
でも、この場においては酸素よりも大事なモノである。
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