漢の約束
何かが盛大に倒れる音で、意識の糸が結ばれた。
しかし、身体は鉛が詰められたように重く、上体を起こすのだけで難儀する。
けれど、嗅覚などの感覚が蘇ってきて、記憶のモヤが晴れてきた。
おそらく、ここは病院で俺はベッドで寝かされている。
そこまで判断した後、目を開けて音がした方に首を傾けた。
そこには、苦悶の表情を浮かべながら点滴の針を腕からぶっこ抜き、心電図のコードを引きちぎるイリナがいた。
「Nik
母国語かなんかで怒鳴りながら、彼女はベッドから転がり落ちた。
多少回復はしたとは言えど二発の銃撃を喰らい、それでもなおこうも暴れられるとは、自身の妻ながら背中が寒くなる。
心電図か何かの機械が断末魔にも似た音を出し、病室はタチの悪い悪夢さながらの光景になった。
止めろと言いたかったが、声が出せなかった。
酷く喉が渇いていたからだ。
……そう言えば、今は何月何日か。目に見える範囲で、時計やカレンダーの類は無い。だが、窓から射す光は太陽ではなく街に輝く電灯や僅かな月明りだ。
数時間。一日。
そうであってほしいが、一週間や一か月寝てましたなんて事も否定は出来ない。
もしそうだとすれば、エレナはいったいどうなっているのか。
捕まったままなのか、運良く救出出来たのかすら分からない。
そんな不安と、あの時何も出来なかった自身への失望感が合わさり、胸の奥から苦い物が込み上げてきた。
涙が滲む目で天井を眺めていると、騒ぎを聞きつけた看護師やら医者やらが駆け付けてきた。
大人数人がかりでイリナを落ち着かせ、なんとかベッドに寝かせる。
俺も看護師に水を貰い、声帯を本来の機能で動かすことが出来た。
「……今は、何日の何時……です?」
「今は――」
彼が口にしたのは、撃たれてから数えて一日経った日にちだった。
時刻は日付が変わる少し前。
それを脳が理解したと同時に、焦りが湧いてきた。
手が点滴の針に伸びるが、医者に停められる。
「まだまだ、安静にしてください!」
「けれど!」
医者相手に食い下がるが、病室に入ってきた矢上に咎められる。
「今は、休むべき局面です。……腕と腿を撃たれて、マトモに戦える人間はいませんよ」
「……っ!」
矢上を睨みつけるが、彼は動じない。俺は結局、負け犬の様に目を逸らしてしまった。
「とりあえず、事件の話を聞かせてください。こっちが欲しいのは、戦力ではなく情報です」
そう言って、傍にあったパイプ椅子に腰かける。
いつまでも拗ねている訳にもいかないので、渋々だが俺は話し始めた。
イリナはへそを曲げたまま、俺達に背を向けている。
彼女にも分かるよう英語で話そうかと思ったが、火に油を注ぎかねないので止めた。
矢上には。
銃声とほぼ同時か同時の弾着。つまりは、一キロ未満からの狙撃。
発砲間隔から考えるに狙撃銃はボルトアクションではなく、半自動タイプの銃。
と伝えた。
すると、彼は懐から一枚の写真を出し俺に見せた。
それには四発の薬莢が映っている。
「7.62ミリ×54R弾の薬莢です。……石田さんの証言から考えるに、狙撃に使用されたのは旧ソ連のドラグノフ狙撃銃ですね」
ドラグノフ。傭兵時代、何度か目にしたし片手の指の数くらいだが使った事もある。よもや、その銃で自分が撃たれるとは思ってもみなかったが。
「距離は約二百メートルといったところですね」
「その距離だったら、確実に俺達を殺せたのに……何故、トドメを刺さなかった?」
「簡単な事です。……我々を舐めているんですよ」
その時、矢上の瞳に闘志の炎が揺らいでいるのが見えた。
「………………」
「薬莢などの証拠を残し、石田さん達を生かしておいたのも、単純にISSを舐めているんですよ」
「……それは、相手がヘボだっただけじゃないか?」
プロなら二百メートルの距離なら狙った場所から外さないだろうし、薬莢を残すような事も無い。
「銃刀法が厳しいこの国で、ドラグノフなんて違法な銃を持ってる奴がヘボなんてあり得ると思いますか?」
「……まぁ、確かに」
密輸なりなんなりで銃を手に入れる事は不可能では無いが、ヘボがそこまで完璧に出来るとは思えない。
矢上の言う通りだ。
「たとえ、エレナちゃんの誘拐が目的なら、足だけ撃てばいい。わざわざ、余計な事をやってるんですよ」
「余裕ぶっこいてると?」
「ええ。……石田さん達を生かしておいたのは、ある種の警告かもしれませんけどね」
「警告?」
「これ以上痛い目に遭いたくなければ、女の子に手を出すのは止めろと言うね」
「……クソッ」
コケにされた事と、相手のアホらしい言い分に腹が立つ。
何が手を出すのは止めろだ。
「ふざけやがって……」
身体全体から声を絞り出す。
エレナは、俺とイリナの娘だ。細かい倫理やルールなんか関係ない。
俺は敬愛に当たるような父親じゃないし、イリナも自信を懐が深く慈愛に満ちた母親だとは思ってないだろう。
完璧じゃないかもしれないけれど、確かに家族なのだ。
それは誰かが穢していいモノではなく、自身で壊していいモノでもない。
「日本ISSは、その威信を掛けて犯人を追います。石田さん。その時が来たら、絶対に貴方が先陣を切ってエレナちゃんを助けてください。……だから」
「分かったよ。それまでに、身体を休めておく。……絶体に呼べよ」
矢上の言葉に、俺はそう呼応した。
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