怒りの判断
朝になり、朝食を揃って食べていると矢上から連絡があった。
ISSが一時避難場所として、アパートを用意してくれたらしい。
事件のケリが付くまで、そこで暮らすことになるそうだ。
その事をエレナとイリナに伝え、荷物をまとめ始めた。
と言っても、三人共私物は少ない。せいぜい嵩張るのは、俺のサボ子の鉢くらいだ。
段ボールに詰め込み、草薙が用意してくれたトラックに載せる。
「……これで全部? 随分少ないけれど」
「ええ。これで全部です。よろしくお願いします」
俺は草薙に頭を下げ、トラックを見送った。
そして、空っぽになった部屋を後にする。三人で手を繋ぎ、新しいアパートへと向かう。
大通りからバスに乗ればすぐだ。
セミの声は確実に少なくなっているのが、夏の終わりを知らせている。
しかし、残暑はまだまだ厳しい。
「暑いなぁ……」
イリナがぼやく。どうやら、この日本独特のジメッとした暑さは苦手らしい。
だが個人的には、何度か行った中東の方が辛い。
「……もうちょっとしたら、過ごしやすくなる」
ぼやきにそう返し、アイスでも買ってご機嫌を取ろうか考えていたところだった。
「お姉ちゃん。……ごめんね」
エレナがイリナを見て言ったのは。
突然のその発言に、俺もイリナも目を丸くした。
「……なんで、そんな事言うの?」
怒るでもなく、ただ困惑した様子でイリナがエレナに訊ねる。
彼女は俯き、泣きそうになりながら口を開く。
「……だって、私のせいで、お家が変わっちゃうんでしょ? それで、こうして歩く事になっちゃったから、お姉ちゃん怒ってるんでしょ? お姉ちゃん、暑いの苦手ってお散歩の時に言ってたから……」
俺はその言葉を聞いて、頭をバットで殴られた様な衝撃に襲われた。
子供というのは、我々大人が思っているより何倍も賢くて敏い。
静岡で俺達を襲った集団について、俺とイリナは何も言わなかったが、エレナには想像が付いていたのだろう。
何らかの集団が、徒党を組んで自分を攫いに来たのだと。
そして、その責任は……攫われる自分にあると、そう考えたのだろう。
「そんな訳ないじゃない」
イリナが否定する。
「本当に怒ってるなら、手は繋がないし、こんな事は言わないよ」
そう言い、彼女はエレナの頭を撫でる。
「……怒ってない?」
「勿論。それに、悪いのはエレナじゃなくて、アンタを狙ってる変態なんだから」
俺も頷いて肯定した。しかし、エレナの表情は中々晴れない。
無理もない。
怒りという感情は、彼女をこの混沌の渦へ誘った原因だ。
もっとも、それは身勝手な大人による理不尽な怒りだが、子供にそれを分かれというのは、酷な話だろう。
エレナは怒りと言うモノは全面的に、自分のせいで引き起こされると思っている節がある。
娘の存在を疎ましく思い、自身に当たり散らす実の母親。
自分の価値を巡って、罵詈雑言が飛び交う奴隷船。
鬼の形相で追い詰める追跡者。
彼女の視点から見れば、そう考えるだろうが本質的にはまったく関係無い。
母親は娘がエレナでなくとも当たり散らしただろうし、商品として成り立つのであれば、奴隷船も追跡者の対応も同じなはずだ。
そんな思考を、さっきも言ったようにモノを詳しく知らない九歳の子供に求めるのは、ちゃんちゃらおかしい。
けれど。
イリナの不機嫌は、エレナに起因してない。
自分のせいで全ての問題が起きていない。
最初はそれだけでいいから、そのほんの欠片でもいいから、分かってほしい。
幸いにも、新居に着くまで時間はある。
のんびり話していこう。
そう思い、俺は口を開いた。
「エレ――」
俺の声は、銃声で遮られた。
「アレ?」
イリナはそんな気の抜けた声を出し、地面に倒れた。肩から出血している。
「伏せろ!」
傭兵時代の血が騒ぎだす。
狙撃。その二文字が脳内で踊る。
それから、間髪入れずに二発目が発射され、イリナの腿に当たった。
「ギャッ!」
彼女は痛みのせいか、身体を反らした。
「お姉ちゃん!」
制止を振り切り、エレナが駆け寄ろうとする。
俺は反射的にエレナに飛びかかり、止めようとした。
だが。
伸ばそうとした腕に被弾する。
腕の中に、真っ赤な火箸を突っ込まれたような痛みが走る。
しかし、それでもなお俺は歯を食いしばり、エレナに寄ろうとした。
だが。
銃声と同時に、腿にも腕と同じ様な痛みがした。
そのせいで体勢を崩し、アスファルトの上に転がる。
「おじさん!」
エレナが俺を呼ぶ声はほぼ悲鳴だ。
意識が段々と遠くなり、心臓の鼓動に合わせて身体の外へ血液が流れていく感覚が大きくなっていく。
痛みで朦朧としてきた意識の中、エレナに向けて叫ぶ。
「逃げろ! 通りへ向かって、助けを呼ぶんだ!」
「……でも!」
「俺の事はいい! 逃げろ!」
エレナは何度か俺とイリナを見た後、元々向かっていた方に走って行った。
せめて、通りに着くまでは失神するまい。そう思って、歯を食いしばり痛みに耐える。
最悪、俺とイリナが死んでも彼女さえ生きていれば、矢上や赤沼が何とかしてくれるはずだ。
けれど、そんな事は甘い空想でしかないと、思い知らされる。
あとちょっとで大通りだったのに、突如として現れた黒塗りのバンにエレナは連れ込まれてしまった。
痛々しい悲鳴が、周辺に響き渡る。
抵抗か手足をジタバタさせているのが見えたが、すぐにスライドドアが閉まり車は走り去ってしまう。
「ちく……しょう……」
無事な方の腕を使い、匍匐前進モドキをやって動く。しかし、どうあがいてもその距離はどうすることもできない。
苦渋が口一杯に広がり、悔しさで涙が溢れる。
やられた。
そう呟くと、俺の意識の糸が切れた。
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