迫る魔の手
普段は大人二人とエレナで布団を分けていたけれど、今回からエレナを守る様に、川の字で寝ることにした。
やっぱり、守ってくれる存在が近くにいるのは安心するのか、あれほどの事があったのに彼女はぐっすり寝ている。
自然と口元が動き、いつの間にか微笑んでいた。
昔はすぐに表情を直し眠りに戻っていたのに、今日は何故か眠れなかった。
二人を起こさないように起き上がり、水を一杯飲んだ。
ぬるかったが、水を飲んだことで気持ちが幾分か落ち着いた。
すると今度は脳味噌に血液が行き始めたのか、思考が活発になっていく。
あの戦いの最中に見た幻覚。
エレナが幼き日の自分に見えたのは、いったい何故か。
答えは決まっている。
心の何処かで、彼女を自分と重ねていたのだ。
……もっとも、エレナの方がまだ境遇はマシかもしれない。
同じくらいの歳頃の私は、既に何十人もの人間を殺していた。
暴力という概念が骨の髄まで染み込んでいた。
なりたくてなったのではなく、ならざる負えなかったのだ。
それに比べると、親に捨てられ売られても、助け出されこうして安心して寝ていられる状態にあるだけ、彼女は恵まれている。
差し伸べられた手を素直に掴み、それにしがみ付いていられるほどの強さも彼女にはあるのかもしれない。
――私は、その分野の強さは無かった。
昔、一度だけ堅気の生活に戻った時の事。十五歳だった。
良い大人の庇護の下、社会復帰に向けて職業訓練を受けていた。
その際、私にちょっかいを出してきた奴を持っていた包丁で切りつけたのだ。
幸い殺す前に別の大人が止めてくれたが、痛感した。
私はもう普通の生活を送れないと。
寄らば斬る。それが、処世術と化していた人間には、もとより難しい事ではあったが。
そして、温かいご飯と屋根の付いた寝床を投げ出して、私はまた戦いへと身を投じた。
もう一生。平穏な日常は味わえる事が無いだろう。
そう思っていたのに。
綱渡り状態ではあるものの、安寧な生活を送れている。
更に言えば、母親にもなった。
血こそ繋がっていないが、そんな事は大した問題ではない。大切なのは、個人間で築く絆なのだ。
現にあの時、身体が自然にエレナを庇っていた。
肩を掠めた弾丸の痛みを感じぬほど、必死だったのだ。
総合的に考えれば、あの時は目の前の男を撃った方がいいのに、不合理な方を選んだ。
あんな無茶が出来たのも、ひとえにエレナの事が自身の身より大切だと無意識下で判断したからだろう。
つまりは、私がエレナの事を損得勘定抜きで大切だと思っているのだ。
手を肩の傷へ当てる。
薬が効いているのか、多少の違和感だけで痛みは無い。
これが、子供を身を挺して守った勲章か。
煌びやかでも、何でもないただの傷。けれども、どんなキンキラキンな徽章やバッジより誇らしい気持ちになる。
そんな気持ちに浸りながら、もう一度布団へ潜り込んだ。
それから、寝ている娘の手を握った。
幼い頃眠れない時に、母親がよくやってくれた事を真似る。
「
私はそう言い、目を瞑った。
アメリカ合衆国。フロリダ州マイアミ。
ISS本部強襲係第一班班長は、双眼鏡を使いかなり離れたある豪邸を観察していた。
海兵隊で鍛え上げた巨体を何とか物陰に隠している姿は滑稽だが、その目は真剣そのもの。
眼光だけで最低でも兎は狩れそうだ。
彼は屋敷をザッと見て、人気があまりない事を感じ取り、二階の一室の窓が固く閉じられているのを知る。
その屋敷は、調査係が調べ上げた番号の発信先だ。
そこから屋敷の所有者を調査して、一から十までの個人情報を明らかにする。
ISS的に後は、本人をとっ捕まえて洗いざらい吐かせればいいというのが、結論だった。
「……目標がいるかは、分からんな。だが、やるか」
そう呟き、インカムの向こうにいる部下達に指示を出した。
「突入。邸宅内に人がいた場合は拘束しろ。……絶対に殺すなよ」
『了解!』
威勢のいい返事が返ってくる。班長はバンに乗り込み、突入要員以外の班員と無線に耳を傾ける。
突入要員は
それからキッチリ二分後。ガスが充満した頃、MP5を手にしガスマスクを装備すると邸宅内へ踏み込む。
室内は成金趣味の調度品が調和を考える事無く配置され、趣味の悪さを露呈していた。
一階で一人のメイドを確保し、班員達は二階へと歩を進める。そして、一室一室丁寧にクリアリングしていき最後の一室のノブに手を掛ける。
その部屋は班長が確認した、窓が閉じられた部屋だった。
扉を開け室内のクリアリングをし、倒れていたメイドを確保した。
その時は、ガスが充満し視界不良で尚且つガスマスクを装着していたので室内の詳しい様子は分からなかったが、後にガスが抜けてから部屋に入ってきた調査係の人間は違った。
シルヴィア・カイリー以下四名の調査係は、部屋を見て目を見開く。
そこに鎮座していたのは、豪奢な天蓋付きベッド。
「……なんじゃこりゃ」
「ディズニープリンセスかよ」
情け容赦ないツッコミが入る中、シルヴィアは遠慮なくクローゼットを開けた。
彼女はまた、仰天することになる。
ウォークインになっていたその空間には、少女用の衣類が几帳面に収められている。
「うっそだろ……」
シルヴィアの背中越しにクローゼットを覗いた、男性係員が絶句する。
更にに調べると、ご丁寧なことで下着まで用意されていた。
女性は顔をしかめ、男性も心の底から呆れた。
屋敷内の調査を終え、今度は確保したメイドに事情を聞く。
二人のメイドは揃ってヒスパニック系の褐色肌で、主な仕事は基本的な家事と、屋敷に住む予定の女の子の世話だと言う。
この時点で、調査係の面々は怒りを通り越し、最早あっぱれとも思う様に。
だが、そんな何処か呑気な感想も飛び込んできた情報によって消えてしまう。
それは逮捕する人物の出入国記録を調べていた係員からで、内容は対象が経った今日本へ入国したとの事だった。
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