母としての覚悟。父としての覚悟

 一つだけ残った満タンの弾倉と、半端に残った弾倉を交換する。

 本当なら煙草を思い切り蒸かしたい気分だが、一本も持っていない。

 エレナとイリナの身を案じながら、エレベーターに乗り込む。

 たかが数十秒の一分にも満たない僅かな時間も、もどかしくて仕方がない。

 もしかすると、着いたホールにはエレナの姿は無く、ズタズタで血塗れになったイリナが倒れているんじゃないかとすら、思ってしまう。

 

「……いや、何考えてんだ、俺は」


 そんな訳がない。そう自分に言い聞かせる。

 軽い音がエレベーター内に響く。


「一階です」


 アナウンスから一拍置き、ステンレスの扉が開く。

 腰だめにAUGを構え、引き金に指を掛ける。


「……来るなら来い。クソッタレ」


 扉の隙間が人一人開いたと同時に、俺は飛び出した。

 目の前にいた、男を蜂の巣にする。

 電車で盗撮した奴と、背格好が同じだった。

 男がその場に崩れ落ちる。悲鳴と薬莢が落ちる音が重なった。

 死体の先にはエレナを庇うイリナと、警官にジュラルミン盾でボコボコにされる一人の男が。

 俺は銃を放り、二人に駆け寄った。


「無事か!」

「……なんとかね。エレナも無事よ」


 エレナは俺の姿を見るなり、大声で泣きだした。


「おじさん! よかった……無事なんだね」

「……ああ」


 彼女はどこも怪我はしてない。

 だがイリナの肩には、銃弾が掠った跡がある。


「お前、怪我してるじゃないか……!」

「なんて事ない。この程度」

「この程度だろうが、怪我は怪我だ」


 ハンカチを渡し、そこで傷を押さえるよう諭す。

 そうしていると警官の何人かが険しい顔して、俺達に近づいてきた。

 

「……署までご同行願います」


 俺は頷いた。イリナも渋々と言った感じで、サブマシンガンを手放す。

 ……ここまでやっておいて、果たして正当防衛は通用するのだろうか。



 翌日。

 俺達を逮捕しようとした刑事にISSの名前を出して、なんやかんやの押し問答をしていると、東京から矢上と公安の草薙がやって来てくれた。

 一回りも年下の奴に身元引受人をやってもらうというのは、なんとも情けない話だが致し方無い。

 四十過ぎの元傭兵。職業は戦闘インストラクター。なんて、素面で聞いたら相手の正気を疑わずにはいられないだろう。


「すいませんね矢上さん。わざわざ、静岡くんだりまで出張ってくれて」

「いいですよ。このお返しは、いずれ精神的に」

「………………」


 俺は苦笑し、缶コーヒーを啜った。

 家路を辿る新幹線の中、トイレやら入口やらがある所で俺と矢上は立ち話をしている。

 客車と隔たる扉から、女三人で談笑しているのが見える。

 人種も立場も年も違うのに、ここまで仲良くできるものだ。

 そんな事で感心していると、矢上は話を本題へシフトチェンジし始めた。


「今回、石田さん達を襲ったのは……株式会社『キビ警備』に所属している人間です」

「キビ警備?」


 その名前に心当たりはない。


「ええ。キビは、きび団子の方じゃなくて、岡山県の旧国名です」


 つまり『吉備』という漢字を書くのだろう。


「けれど、名ばかりで会社の実体も無い、ペーパーカンパニーですよ」

「そんな人間が、なんで――」


 俺の言葉を代弁してくれたので、頷いて意図を肯定した。


「分かっている事と言えば、彼等が誰かに雇われた事と、完全に叩きのめさなければ、諦めずに彼女を狙い続ける……という事です」


 上司の目の前だから出ないが、舌打ちの一つでもしたくなる。

 何故そこまで執着するのか。

 最大の疑問かつ、一番の懸念がそれだ。

 いつどこで狙われるか分からない。そんな状況は、まだ九歳であるエレナにどんな影響を与えるか。

 弱く、脆い精神状態をガラスの心と形容するが、彼女の心はガラスはガラスでも真っ赤に熱された飴状のガラスだ。

 外部的要因で簡単にねじ曲がり、いびつな形になってしまう。

 それが、成長と共に冷えて固まり、いびつなまま固定される。

 ただのガラス細工なら、もう一度溶かして作り直せばいい。

 けれども、これは人の心なのだ。やり直しは効かない。

 無理に直そうとすれば、粉々に砕け散る。

 精神崩壊までは行かなくとも、マトモな日常生活にも暗い影を落とすことになる。

 それを見てみぬふりは出来はしない。

 親としても、一人の人間としてもだ。

 そして。


「……でも、なんでエレナに執着するんだ? 何か、特別な訳でもあるのか?」


 ポツリと疑問を口にする。

 すると、矢上の顔から表情が消えた。


「知ってるのか?」

「……状況証拠から分析した、客観的な意見ですよ」

「是非聞きたいね。……どんなアホな理由でこんな目に遭わされたか、興味あるからな」


 矢上はコーヒーで唇を湿らし、躊躇いがちに言った。


「褐色肌が好きらしいですよ」

「……は?」


 あまりのしょうもなさに、一瞬だけ冗談かと思ったが彼の性分や顔から嘘ではない事が分かる。


「……先日、リンカーンから救出された子供の一人が誘拐されかけました」

「………………」

「その子は、ヒスパニック系の褐色肌でした。……エレナちゃんも」


 確かに、エレナはヒスパニック系で肌は褐色、小麦色をしている。

 ……たったそれだけで、ここまで執着されるのか。

 呆れを通り越し、侮蔑や怒りの念が湧いてくる。


「リンカーンにいた子供の中で、褐色肌の子供はエレナちゃんとその子の二人だけ。他の子供は、誘拐される気配は微塵もありません」

「……偏食の変態がっ!」


 静かに怒りを煮えたぎらせる。


「くだらねぇ理由で、子供の尻追い回して恥ずかしくないのか!」

「そんな恥ずかしい理由で、相手は銃と兵隊を用意しているんです。……筋金入りの変態ですよ」


 矢上の言葉で、一気に現実へ引き戻された。

 確かに、奴は自身の性癖の為に金も手間もリスクも惜しんでない。

 くだらない物に金をかけるのは、一般常識的には中々するものではない。

 仮に掛けていたとしても、大きなリスクを背負う人間はいない。

 それを難なくやれるのは、手強くて資金力がある証拠だ。

 どうやら、俺達は最低で最悪で最強な敵と向き合わなければならないようだ。

 

「上等だよ、クソ野郎が」


 そう吐き捨て、コーヒーの残りを飲み干す。

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